第7話 日高誠と無自覚暴走
科学室の広い空間には九台の実験用の机が並んでいる。
水鞠コトリは中央に配置された机に移動し、天板を叩いた。
「ここに辿り付けたのはラッキーだったよ。
下手をしたら、ずっとあのままの状態になっていたかも知れない。
さっ、座って」
そう言って椅子に座り、向かいの席を指差した。
いやいや、その前に訊く事がある。
「その格好は何だよ。何でウチの制服を着ているんだ?」
いつもの紺色の魔法着じゃ無い。
何故か俺と同じ東谷高校のオリーブ色の制服を着ている。
「アタシはここの生徒だよ。一年四組に在籍している。
ついでに科学部の部長だ」
そう言ってエッヘンと胸を張った。
「生徒!? 何だ何だ?
魔法の力でいきなりそういう設定に変えたのか?」
「違うよ。アンタが認識出来ていなかっただけ。
初めからそうだったんだ」
「マジかよ……」
こんな目立つ奴、今まで気付かなかったのかよ。
スゲエな魔法。
「魔法のフィルタを掛けているんだ。
周りからは普通の女子高生としか認識出来ない様になっている」
「……何でもアリだな」
いきなり頭は大混乱だ。
まずは目頭を指で押さえて強制的に脳をクールダウンさせる。
その後、猫の瞳に視線を向けた。
「なあ、一体何が起きているんだ?
俺の存在が世界から消されたみたいなんだが」
俺の問いに、魔法使いはシリアスな面持ちに変わる。
「この世界は魔法のシステムによって管理されているんだ。
アンタはシステムから異物として除外されていたんだよ。
その影響で封印魔法までも解除されてしまった」
「魔法のシステム……除外……。意味が分からん。
それだけでああなるのか?
て言うか、何で俺だけがそんな事になったんだよ」
「身に覚えは無いの?」
「おいおい。また俺の仕業なのかよ」
「今回は違うよ。
封印されたあの状態から魔法が暴走をする事は無いからね」
「だったら、身に覚えなんてある訳無いだろ」
俺がそう答えると、水鞠コトリは猫の様な瞳をギラリと光らせた。
「誰かが願ったんだ。日高誠を世界から消して欲しい、ってね」
「俺を消す?」
驚いた。それは全く予想していなかった展開だ。
「似たような前例があるから間違い無い。
無自覚暴走により生まれた結晶体の仕業だよ」
「無自覚暴走……!」
「結晶体はシステムの穴を利用してでも自身の願いを叶えようとする。
前のアンタみたいにね」
無限に復活するマネキン人形。あれがまた生まれているのか?
「はは……。誰だよ、そんなバカな事を願った奴は」
「それは今調査中。
特定して結晶体を破壊しないと、また同じ事が起きる」
「マジかよ……」
絶望感に浸りながら天井を見上げた。
「そう言う事だから、よろしく」
水鞠コトリは無関心な様子で床に置いていた鞄を手に席を立つ。
小さな猫の人形のバックチャーム揺らしながら俺の横を通過。
科学室の扉へと向かう。
「何処へ行くんだ?」
「四組の教室。授業が始まる時間だよ」
「授業!? こんな時に!?」
「こんな時だからだよ。
アタシはこうやって普通の女子高生を演じていないとダメなんだ。
世界に干渉出来なくなるからね。
アンタも早く自分の教室へ行った方がいい。
今は周りから認識されているはずだよ」
「本当か!?」
「でも油断しないで。
今のアンタは、いつ消えてもおかしくない状態なんだ。
しばらくの間は普段通りの行動をする事。
でないとまた消える事になるよ。放課後になってからここへ来て」
そう言って科学室から出て行ってしまった。
「嘘だろ……」
話がファンタジー過ぎて処理が追いつかねぇ……。
とりあえず元の状態に戻っているのか確認してみよう。
覚悟を決め、重い足取りで科学室を出る。
校舎の中は生徒が行き交い、いつもの騒がしさを取り戻していた。
水鞠コトリの言う通りだった。
周りの人間から俺の姿が見える様になっているらしい。
ひとまずは安心だ。
しかしまあ。
俺みたいな人間を消したいと願うとは暇な奴が居たものだ。
一体誰なんだよ。全く。
* * *
「よぉ、お疲れだな日高。何かあったのか?」
吉田が心配そうな表情で向かいの席に座った。
机に置かれた弁当箱を見て、そこで初めて気が付いた。
「……もう昼休みなのか」
「おいおい。マジで言っているのか?
調子が悪いなら無理しないで保健室で休んでこいよ」
「ああ、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだ」
魔法の記憶が消された後の十日間。
その間も吉田玲二との謎の友人関係は続いたままだ。
昼休み以外でも何かと俺の近くに居る。
これは吉田自身の意思なのか?
どういう考えでいるのか、ここでハッキリさせておく必要がある。
「なあ吉田。報告は済んだのか?」
「何の話だよ」
「俺がどんな奴か報告するんじゃなかったのか? 志本紗英に」
「あー。そう言えば、そんな話もあったな。
あれから志本は何も訊いてこないし、正直どうでも良くなってたわ」
「……ならいい」
吉田はバカ正直で、無駄な嘘を吐くタイプじゃない。
ここ数日だけでもそれを充分に把握出来た。
自分の意思で俺と共に行動していると見ていいだろう。
吉田は志本紗英からアクションを受けていなかった。
それは俺も同じだ。
あれから志本とは何度か廊下ですれ違ったが、無反応だった。
ラケット返却ミッションはクリア出来ていると見ていい。
その状況からして、志本が結晶体を創り出したとは考え難い。
……分からん。
他に俺と絡んだ人間なんて居たか?
俺が難しい顔をしていると、吉田が首を傾げる。
「考え事って、志本の事かよ」
「それもそうなんだが……」
俺を消そうとしてる奴がいる。犯人を見つけ出したい。
……なんて言える訳が無い。
ここは一旦話を変えよう。
「なあ、水鞠コトリを知っているか?」
「水鞠? 四組の水鞠コトリだよな。今更何を言っているんだ?」
「知っているんだな」
「大丈夫か日高。入学早々、志本と一緒に話題になっていただろうよ。
特に男どもの間で。何だか変な奴がいるって」
「そうだったのか……」
ツッコミ所満載なアイツを「変な奴」の一言で片付けるのかよ。
水鞠コトリは居て当たり前の存在だった様だ。
「まさか日高の口から水鞠の名前が出て来るとは意外だな」
「ああ、実は科学部に入ろうかと思ってな。
そうしたら部長が四組の水鞠だって言うからさ。
どんな奴か訊いてみただけだよ」
咄嗟にそんな出まかせが口から出て来た。
「科学部かぁ。マジかよ」
「何か知ってるのか?」
「東谷中の奴らの話だと、水鞠って奴は無茶苦茶な性格らしいぞ。
科学室に籠って怪しい研究をしていたって話だ。
それに魔法使いなんじゃないかって噂だってある」
「魔法使い!?」
バレてるよ! 隠し切れて無ぇよ!
普通の女子高生を演じているとは何だったんだ?
もっと上手くやれよ。
「日高は科学部に入って何をしたいんだ?」
何を……って。
「最近は色々と知りたい事が多くてな。勉強がしたいんだよ」
「科学部でか?」
「透明人間になる薬を作りたいんだ。吉田にも分けてやろうか?」
俺は怪しい笑みを作り、フラスコに薬品を注ぐジェスチャーを始めた。
吉田は俺の意味不明な冗談に細い眉を反り返す。
そして呆れ顔で溜息をついた。
「要らんな。映画でも大抵最後に痛い目に遭うオチしか無いだろ」
「そうかもな」
吉田の言う通りだ。
やはり透明人間で生きていくのは無理がある。
どうにかして俺の存在を確定させなければならない。
その結果、魔法で俺の記憶が消されるとしてもだ。
「あれぇ?」
吉田が何かに気付き、箸を止めた。
廊下に向いた級友の視線を追いかける。
そうしていくと、教室の扉の奥に立つ女子生徒に辿り着いた。
背は高く、凛とした佇まい。
肩までの真っ直ぐな黒髪とその完璧なスタイル。
シルエットだけで誰か判別出来るレベルだ。
「志本紗英……」
東谷高校のアイドル、志本紗英が一組の教室に現れた。