第54話 日高誠と理想的な彼女
俺は今、魔法運命ってヤツの怖さを改めて思い知っている。
志本は上半身裸になっていた俺を見ても動揺していた様子は無い。
同じベンチに座り、天使の様な笑顔を浮かべているのだ。
いくら「引き合う力が強いから」と言っても不自然過ぎるだろ。
俺がいきなりパンイチになったとしても許して貰えそうな勢いだ。
俺はチラリと志本に視線を向け、
「悪かったな。休憩させてもらって」
「私は大丈夫だよ。ゆっくり休んでいて」
謎の像換獣のせいで俺の魔力は空っぽだ。
ベンチから立ち上がれない程の疲労に襲われている。
かと言って、このまま座っているのも危険だ。
また意識を失うかも知れない。
……今、何時なんだ?
スマホを尻ポケットから引き抜き、画面を確認する。
ん? メッセージを受信している……?
『***』
未来人からだ。着信はたった今か。
志本からスマホの画面が見えない様に身体で壁を作る。
そっとメッセージアプリを開いた。
……何だ? 何て書いてある?
『志本紗英から目を離すな』
またこれか。
それは分かってるっての。
「どうしたの?」
「うお!?」
志本が背後から覗き込む様にして顔を近付けて来ていた。
慌ててスマホを手に取って隠す。
「い、いや、何でもないんだよ。本当」
「へぇ。そうなんだ」
何故か志本は顔を突き出したまま体勢を元に戻さない。
顔! 顔が近いよ!
「志本……?」
いや、こう見ると本当に整っているなぁ。
睫毛が長いし、瞳の色素が薄いらしくブラウンになっている。
唇は艶やかで……って、マジマジと見ている場合かよ!
「目を離すな」って、そう言う意味じゃ無いだろ。
「ちょ、志本少し離れ……」
両手を前に揃えて押し返すポーズを取り、アピールをする。
だが次の瞬間、俺はそのままの姿勢でベンチに押し倒されてしまった。
いや、なんでそうなる!?
つか、重っ!? 何だか色々とおかしい!
実際に「おかしな事」が起きていた。
俺の上に乗っかっているのは志本紗英では無い。
巨大な犬だった。
おそらくゴールデンレトリバーの雑種だろう。
とにかくデカい。
ハアハアと荒い息を上げ、顔を付けたまま離れない。
「日高!? 大丈夫!?」
ベンチの横で志本紗英が叫ぶ。
無事で良かったよ。こいつに襲われたのは俺だけだったらしい。
誰だよ飼い主! リードを離すなよ!
「ごめんなさぁい。大丈夫ですかぁ?」
甲高い少女の声が聞こえて来た。
視界の隅にベージュのショートパンツが映り込む。
「おいでアルク」
名前を呼ばれると俺からすぐに離れ、大人しく主人の側に座った。
かなり訓練されている様子が見て取れる。
やれやれと上半身を起こし、少女の姿を確認した。
中学生? いや、小学生か?
動きやすそうなライトグリーンのブラウスを着た小柄な少女だ。
「この子ってぇ、遊んでくれそうな人が居ると突撃しちゃうのぉ」
「そ、そうなんだ……」
幼い話し方なのに仕草は大人っぽい。アンバランスな印象だ。
「ああ!? 服が汚れちゃってるよぉ」
「いや大丈夫。元々汚れていたから。気にしないで」
「本当ですかぁ?」
「本当。本当だから」
すると少女は微笑み、
「じゃあ私、これで失礼しますぅ」
深くお辞儀をして早々に立ち去ってしまった。
巨大な犬と小柄な少女が並び歩く後姿はどこか奇妙だ。
騙し絵みたいに遠近感が狂わされている。
どうでもいいが、あのデカい犬は俺の何処に惹かれたんだよ。
「訳が分からん……」
突き抜けた珍ハプニングに、俺と志本は放心状態だ。
無言のまま少女を見送る。
「今の娘……」
志本が何かを言い掛けて黙ってしまった。
「知っている子なのか?」
「カサキさんだよね。五組の」
「カサキ? 東谷高の生徒なのか?」
サイズ感から小学生かと思ったよ。高校生とは思わなかった。
「結構話題になってたよ? 可愛い子が突然転校して来たって」
「転校生……?」
「知らないの? 一週間前だよ」
「いや、全く……」
「変なの。私も間近で見たのは初めてだけどさ」
「そうなのか……」
気付かない内に、また周りを拒絶していたのか?
だとしたら本当に進歩が無いな、俺……。
「そんな事より!」
志本は俺の正面に立ち、俯いたまま両手を握り締めて震え出した。
そして溜めていたエネルギーを放出する様に前に出る。
「と……っても可愛かった!」
……はい?
二人の間に風が通り抜けて行く。
俺と志本だけが時の流れに取り残された様に固まっていた。
「見てなかったの? カサキさんの事」
「ああ、そりゃぁまあ……」
いや待てよ。着ていた服や雰囲気は思い出せる。
だが、肝心な顔が思い出せない。
嘘だろ? そんな事があるか?
確かに俺は真正面から見ていたはずなのに。
「犬に飛び付かれたショックがデカ過ぎて記憶が飛んでいるかも……」
「勿体無い! 私服姿、凄く可愛かったのに! それに……」
「それに?」
「胸が凄く大きい……」
「はい? 今何て……」
「物凄い巨乳だった。本当に凄い。こうよ、こう!」
そう言ってジェスチャーで胸の大きさを伝えようとする志本紗英。
美少女から「巨乳」ってワードが出て来た事に驚いた。
それと同時に実物を見ていなかった自分に激しい後悔が襲う。
こう見ると志本もかなりの巨乳に見えるのだが。
これを遥かに上を行くって想像が付かん。
……って、志本の胸をガン見しちゃってたよ!
慌てて視線を逸らすがもう遅い。
志本は俺が何を考えを見透かす様に、勝ち誇った笑みを浮かべた。
いや、さっきから何がしたいんだよコイツは。
どう反応したらいいか分からん。
とりあえずコホンと軽く咳をして間を落ち着かせた。
「それじゃ、そろそろ行くか」
「そうだね」
* * *
西村屋に到着。
予算の問題もあり、俺は美希へのお土産だけを買う事にした。
精算を済ませて店を出ると、外には行列が出来ている。
駅から離れた場所なのに盛況だ。本当に人気の店だったらしい。
団子屋の買物袋を手にした志本が、来た道と違う方向を指差した。
「近くに神社があるのよ。そっちから帰ろう」
導かれるまま、見知らぬ道を歩く。
この辺りは自然が豊かで坂道が多い。
俺の住む二合市は川が多い平坦な場所だから、景色がまるで違う。
神社を過ぎ、しばらく進んだ所で志本が足を停めた。
俺も続いて立ち止まる。
「向日葵……?」
目の前には向日葵畑が拡がっていた。
広さはテニスコート二つ分位だろうか。
花はまだ開いていない状態だ。
「七月になると一斉に花が咲くの。私、この場所が好きなんだ」
志本紗英が振り返り、柔らかく微笑む。
そしてスマホを手にして、俺に寄り添って来た。
「これ去年の写真。スマホの壁紙にしてるんだ。カワイイでしょ」
ちょ、距離が近い!
反射的に一歩下がり、志本との距離を離した。
何でわざわざ隣に?
いくら何でも塩対応から変わり過ぎだろ。
「どうしたの日高」
「いや、悪い。ちょっと驚いただけだ」
そう弁解すると、志本はイタズラっぽく笑った。
もしかして俺、からかわれているのか?
さっきから反応を楽しんでいる様にも見える。どっちなんだよ。
ふと、志本が空を見上げた。
「雨が降りそうだね。そろそろ駅に行こうか」
「そ、そうだな」
いつの間にか空は燻んだ色になっていた。
最近の天気の流れだと、これでも持ち堪えていた方だろう。
俺と志本は向日葵畑を離れ、駅までの道を並び歩く。
しばらく無言が続いていたが、志本から話を切り出して来た。
「日高って不思議だよね。どんな子がタイプなの?」
「タイプ?」
いやいや、どうしてそんな事を言わなきゃならんのだ。
「特に無いな」
「そんな事ある訳無いでしょ」
何故か怒られてしまった。
俺だって思春期真っ盛りの健康な男子だ。気になる女子は何人か居た。
しかしながら今思い返してみても外見に一貫性は無いのだ。
好きなタイプは「無い」と言っていいのではないだろうか。
志本は俺を睨んだまま、
「日高って女子に興味が無いでしょ。噂通りなんだね」
「噂って何だ!?」
「いつも吉田と居るからじゃない?」
「そんな理由で!?」
吉田だけじゃ無い。最近じゃ水鞠と一緒にいたぞ。
それに三ノ宮菜々子とも絡んでいた。何でそうなった?
「じゃあ答えて。身長は高い方がいい? 低い方がいい?」
志本が歩きながら俺をビシッと指差す。
「低い方が……いいかな」
俺の身長は高一男子の平均身長よりも五センチ低い。
背の高い志本と同じ位の身長だったりする。
「目の大きさは? 大きい? 小さい? 普通?」
「目!? ええと……」
そんな幾つかのやり取りを繰り返し、俺の理想のタイプ像が完成した。
背は低く、髪はフワフワで茶色。
目はクリクリとして大きく、鼻と口は小さい。
胸は大きく、歳は同じか下。性格は人懐っこい。
何だよこれ。
理想のパーツを合体させたら非現実的なキャラクターになったよ。
志本も同じビジョンになっているのだろう。
納得がいかない様子で睨みを効かせて来た。
「……ふざけているの?」
「ふざけてねーよ! 訊かれたから答えただけだっつーの!」
「だって、それって……」
志本が動揺している。
「……どうした?」
「カサキさんの外見『そのまま』じゃない」
……はい?
何を言っているんだ?
カサキ……。犬を連れていた少女の名前だ。
そんな容姿だったって言うのか?
志本の言う通りならば、確かに俺はふざけた事を言った事になる。
いやいやいや。ちょっと待て。
そんな濃いキャラクターが本当に実在しているのか?
茶髪にフワフワの髪で巨乳って。あり得ないだろ。
しかしながら俺は近い存在を既に知っている。
猫目前髪パッツン少女と、金髪碧眼ツインテールギャルだ。
もし志本の言う事が本当ならば……。
きっとその少女は高い確率で「普通」の存在じゃ無い。そう……。
魔法使いだ。
担当者以外は立ち入り禁止の公園。
あの場所に居たって事は、まさか……その少女の正体は……。
弓犬の本体。
水鞠家のエース 弓の魔法使い。
思い出した……!
俺は今まで彼女と二度会っていた。
一度目は一組の教室から科学室へ向かう間。
二度目は科学室から水鞠の待つ屋上へ向かう間。
あの時、妙に時間が経っていた。
それには理由があったんだ。
これは錯覚なんかじゃ無い。
確実に起きている事だ。
──俺は、記憶を消されている。
「日高? どうしたの? 急にボーッとして」
立ち止まった志本紗英が怪訝そうな表情で視線を向ける。
頭の中にかかる白いモヤが晴れた後、我に返って足を止めた。
俺は一体何を思い付いたんだ?
今、何かを分かりかけていた。
そのはずなのに、そこだけが綺麗に抜け落ちている。
「いや……何だか頭が混乱しているみたいだ」
公園で出会った少女はたまたま俺の好きなタイプの子だった。
その話はそれで終わりだ。終わりでいいはずだ。
なのに、何だこの違和感は。
必死に思考を巡らせる。
だがそれは、スマホの振動によって邪魔されてしまった。
メッセージを受信している。
誰だ? また未来人……!?
画面には「水鞠コトリ」の名前が表示されていた。




