第41話 日高誠と明かされる謎
科学室の扉を開くと、中央の席には制服姿の少女が座っていた。
猫の様な瞳。
短く揃えられた前髪。
針金の様にまっすぐな髪。
水鞠家当主 水鞠コトリ。
そいつは目が合うなり不満そうに口を尖らせた。
「今何時何分?」
「え……? 十八時十一分……過ぎかな」
突然の質問に、室内の時計見て答える俺。
「遅い! 何ですぐに来ないの!? アホなの!?」
ええ……?
いきなりそれ?
感動の対面は無しかよ。
いや、俺だってすぐに行こうと思ったよ?
でも体力を消耗し過ぎて動けるかっての。
「勘弁してくれ。こっちは初めての実戦でズタボロなんだよ」
俺はあからさまに怪訝な表情をしつつ室内を進む。
そして水鞠コトリの向かいの席に着いた。その直後。
「じゃ、いただきまーす」
水鞠は机の上に用意していたカップラーメンに手を伸ばした。
「このタイミングでカップラかよ!」
もうお湯入ってるし……。
もしかして分刻みで時間を訊いたのはその為かよ!
おかしいと思ったよ!
「仕方無いでしょ! アタシは腹が減って死にそうなんだよ」
そう言い放って水鞠が美味そうに麺を啜り始めた。
『察して下さい日高誠』
犬のヌイグルミがヒョッコリと隣の席に現れた。
「弓犬……」
『コトリ様は今やっと安心された所なのですよ』
「ちょっと弓犬! アタシは最初から日高を信じてたからね」
「それは無理があるだろ……」
吉田や志本に俺の事聞いて回ってたの知ってるからな。
自宅まで来ちゃってるし。
俺の言葉に、水鞠はバツが悪そうにしながら、
「今回の事は全部アイツが悪いんだよ!」
そう言って一つ奥の机を指差す。
視線を向けると、そこには壁ヤカンが正座させられていた。
よく見ると「反省中」と書かれた札を付けられている。
「……何ともシュールな映像だな」
あの紐の手足で正座させても意味が無い気がするのだが。
「全部悪いって言われても……柳沢の事は無関係だろ?」
俺の問いに水鞠は首を横に振り、壁ヤカンを指差した。
「アイツが学校の魔法セキュリティを更新して無かったんだよ。
柳沢慎一の封印魔法が弱体化したのも、それが原因なんだ」
『ちょっと更新が遅れただけだし!』
「ちょっと? 遅れていた?」
『こ、更新ハガキが来ていたから、そろそろやろっかな〜と……』
「やってなかったんでしょ」
『じゅ、準備していた所だったし? 本当だし!』
ハガキが届くシステムの意味が分からんが、雰囲気は察した。
「それだけじゃ無いよ」
「まだあるのか」
『ギクゥ!』
大量の汗が溢れ出る壁ヤカン。
それを弓犬が睨みつける。
『柳沢慎一の魔法試験情報が水鞠家データバンクに未登録でした』
「未登録……?」
「情報を共有していれば今回の騒動にはならなかったね」
『ワザとじゃ無いし! マジ寄りのマジで忘れてたし!』
金属音を立て、正座したまま必死に抵抗する壁ヤカン。
「ワザとじゃ無い……ねぇ」
コイツは俺の事を排除したいと考えていた。
確かに未登録はミスかも知れない。
だが、俺を混乱させる為に放置した可能性もあり得る。
『何だし日高誠!? その疑いの眼差しは!』
水鞠が厳しい表情でヤカンを睨む。
「それにアンタ。壊れた電伝六蟹を放置してたでしょ」
ああ、それな。あの状態のまま放置されてたのは謎だった。
『あーし、静電気のビリっとするの嫌いだし?』
「知るか!」
意図的に放置されていたのかよ! 迷惑過ぎるだろ。
「……ま、俺としては助かったけどな」
電伝六蟹との仮契約があったから、俺は試験を突破出来た。
それは偽りの無い事実だ。
「日高。呑気にしている場合じゃないよ。下手したら逮捕だよ」
「逮捕!?」
「電伝六蟹の違法改造」
「違法改造!?」
「逮捕、または罰金が課せられるかもよ」
「俺はただ並んだ二匹目を横に曲げただけだぞ!? こんな感じで」
ジェスチャーでその時の動きを再現して見せる。
そんな俺を水鞠は半目で見ている。
「それだけじゃ無かったみたいだよ」
「はい?」
弓犬が続ける。
『魔法コードを書き換えた可能性があります』
「何だそれ?」
「言っておくけど、完全な違法行為だかんね」
マジかよ。
まあ、あんなになるのはおかしいなとは思っていた。
蟹を二匹横に倒しただけで違法行為とかシャレにならん。
いきなり逮捕とか、借金まみれになるとか勘弁してくれよ。
俺が項垂れていると、壁ヤカンがカタカタと笑い出した。
『ざまぁみろだし!』
それを見た水鞠が溜息を吐く。
「そうそう。アンタ担当クビね」
『クビ!?』
「東谷高校の担当は弓犬に変更したから」
『ヒドイし! ワザとじゃ無いのに!?』
『自業自得です』
弓犬が目を細めて冷たく言い放つ。
『またそうやって、あーしから大切なモノを奪うつもりだし!?』
今にも乱闘が始まりそうな雰囲気だ。
だが水鞠はいつもの様に気にしない。
カップラーメンを完食し、満足そうな笑みを浮かべている。
……さて、この辺で改めて確認しておくか。
「なあ水鞠。俺は試験に合格って事でいいんだよな」
すると水鞠は一枚の紙を取り出し、俺の前に置いた。
「そうだよ。おめでとう日高」
入部届……!
やったぞ! これで科学部に入部出来る!
「まずは仮入部からだけどね」
「仮入部!?」
嘘だろ……。
まだ正式な部員になれないのかよ。どんだけ引き伸ばす気だ?
「形式的なものだよ。最初の一か月は仮入部になるんだ」
『問題無ければそのまま部員になれます』
「問題無ければ……ねぇ」
チラリと壁ヤカンに視線を向ける俺。
『あーしだって妨害するつもりは無かったし! 全て不可抗力だし!』
「だから余計に心配なんですよ」
また妙な事件に巻き込まれなきゃいいけどな。
この後の一ヵ月が長く感じそうだ。
やれやれと俺が頭を抱えていると、
追い討ちをかける様に水鞠が厚い紙束をドカリと置いた。
「何だよこれ」
「入部に関しての規約」
「規約……って? 厚っ!? 五ミリ以上あるじゃねーか!」
折角の感動的な場面に何でオチを付けるかな……。
いや、いくら何でも厚過ぎるだろ。
一体全体何が書かれているんだ?
怖すぎて軽々しくサイン出来ねーよ!
「水鞠。一度規約に目を通してからでいいか?」
「しょうがないなぁ。三日間だけ待ってあげるよ」
不満げな声を出す水鞠。
いや、お前が気安くサインするなって言ってただろ。
意味が分からん。
もうすっかりサイン恐怖症になっちまったよ。
スマホが震えた。
魔法アプリからのメッセージだ。
ちょっと待て。まだ何かあるのか?
すぐにスマホを尻ポケットから取り出して画面を確認する。
『魔法入部試験終了のお知らせ』
何だよ紛らわしいな!
どうやらこれで本当に終わったらしい。
「長い三日間だったなぁ……」
* * *
駅までの帰り道。
雨は止み、雲の隙間からは月の光が僅かに覗いている。
俺は赤い魔法自転車を押して、住宅街の歩道を進む。
キョロキョロと辺りを見ていると、隣で歩く水鞠が不審そうに、
「何をそんなに気にしてるのさ」
そう言って顔を覗き込んで来た。
「あ、ああ」
いつもの水鞠なら爆速帰宅しているはずだ。
そんな水鞠が「駅まで送る」と言い出した。
こんなシチュエーションを、あの従者達が許すとは思えない。
「いや、どうせ従者がどこかに隠れてるんじゃないかと思ってさ」
「二人とも今は科学室だよ。魔法試験の後処理があるからね」
……て事は。
今の俺は水鞠と二人きりの状態?
何だよこれ。最高に幸せ過ぎるだろ。試験突破出来てよかったぁ。
「後処理って、どんな事をしてるんだ?」
「色々とあるけど、デカいのは柳沢慎一の再封印だね」
「記憶と魔法の封印……か」
勝負に負けていたら俺もそうなっていた。
怖過ぎだろ魔法業界。
「なあ水鞠。封印された魔法は、二度と戻らないのか?」
「そうだよ」
「でも、俺は戻って来たぞ」
「日高の時は……その、特別だっただけだよ」
水鞠は何故か歩く速度を上げ、前に出る。
慌てて追いつく俺。
「三ノ宮の魔法も封印状態のままなのか?」
「そうだよ」
「間違いは無いのか?」
「しつこいね! そうだって言ってるでしょ」
「いや、信じられないんだよ。それが」
七不思議のリストは柳沢によって用意されていた偽物だった。
本物の魔法現象はトイレの怪異ひとつだけ。
本物を混ぜる事で、残りを信用させる騙しのテクニックだ。
柳沢は俺を操り、嘘の魔法現象を調査させていた。
無駄に時間を消費させ、失格に追い込む為に。
だが、三ノ宮は違っていた。
「三ノ宮は七不思議のリストに無い魔法現象を感知していたんだよ。
アバターを罠にハメたし、結界の存在にも気付いていた。
それはどう説明するんだ?」
「そっか。そうなんだ……」
「水鞠?」
水鞠は意味深な言葉の後、黙ったまま歩き続ける。
「それは特殊能力だね」
「特殊能力!?」
ちょっと待て。特殊能力って何だ!?
「稀にあるんだよ。魔法じゃない、何かの力に目覚めるヤツ」
「何だよそれ!? 漫画なら主役級の設定だろ!」
「未来改変のバランスを保つ為に、杭が能力を与えたんだよ」
「……当たり前の様に言われても困るんだが」
崩壊した世界に突き刺さってるだけじゃ無いのかよ。
もう何でも有りだな!
「たぶん彼女の能力は『魔法現象の感知』『結界の侵入と離脱』……」
「後は?」
「それだけ」
「それだけ!?」
ただの迷惑な存在だろ……。
でもそれはそれで三ノ宮菜々子らしい。
偶然なのか必然なのか、本人が望んだ能力と一致している。
何だよ……。
「願いって、叶う時もあるんだな」
その呟くと、水鞠が「ふふっ」と笑った。
「どうした?」
「何でもないよ。日高らしいなって、思っただけ」
らしいって何だ?
俺は当たり前の事を言ったつもりだった。
やはり普通の魔法使いと感覚がズレているのかも知れない。
「ねぇ、日高」
そう言ってから、水鞠が突然立ち止まった。
俺も押していた魔法自転車と共に停止し、振り返る。
「水鞠?」




