第39話 日高誠と目指す未来
『日高君。遅い』
気付くと目の前に三ノ宮菜々子が居た。
ここは……どこだ?
狭い空間の中に本棚が並んでいる。
そうか。ここは文芸部の部室だ。
良かった。俺はちゃんと辿り着く事が出来たんだな。
いや、待てよ?
何でここに来たのかが分からない。
時計の針は十七時四十五分を回っている。
あと少しで部活動の時間が終了だ。
『何突っ立っているんだ日高。早くこっちへ来い。部活を続けるぞ』
部室の中央に設置されている長机に目を向ける。
そこには角刈り男が座っていた。
「何で岩田先輩が文芸部に?」
すると、隣に座る部長が優しく微笑んだ。
『いまさら何を言っているんだよ』
「はい?」
確か岩田は山岳部だったはずだろ。
訳の分からない状況にハテナマークを頭から生やすばかりだ。
すると岩田先輩の背後に立つ眼鏡女がヤレヤレといった雰囲気で、
『我々は文芸部の一員になっただろ? 表向きには、ね』
その言葉に三ノ宮が笑みを浮かべた。
『そのその正体は、不思議ハンター同好会……。ふふふ』
ちょっと待て。
何が起きているんだ?
続いて部室の奥から笹木が現れた。
『これで部員不足も解消し、文芸部存続が決定しました!』
全員が拍手喝采となった。
そして謎のハイタッチを始めている。
おお。そうなんだ。良かったよ!
……って、そんな話だったっけか?
角刈り男はキョトンとしている俺を見て、
『そう言えば日高には渡していなかったな。柳沢、用意してくれ』
『オッケー。ここにあるよ』
部長が一枚の紙を机に置いた。
何だこれ?
「入部届?」
そう書いてある。
「いや、自分は文芸部に入るつもりは無いですが」
三ノ宮が首を傾げる。
『日高君……他に入りたい部活があるの?』
あるよ。
俺はどうしてもそこに入りたいんだ。
その為に努力をして来た。
……そのつもりだった。
でも何故か思い出せない。
俺は何を目指していたんだっけ?
眼鏡女が俺の隣に移動し、手にしていたペンを机に置く。
『無いのなら、ここに入ればいいよ』
岩田が続く。
『とりあえず籍を置いておいて、自分のやりたい事を探せばいい』
「やりたい事……」
俺は皆に促されながら席に座り、ペンを取った。
『私達も応援する』
「応援……」
『なあ、みんな!』
全員が頷く。
優しい世界だ。
ここなら今の俺を受け入れてくれる。
もう嫌な事を頑張らなくてもいいんだ。
そうだよ。
俺は……ずっとこんな場所を探していたんだ。
「分かりました。文芸部に入部します」
その言葉に全員が笑顔になった。
俺は入部届を手前に引き寄せ、ペンを握る。
「あれ……?」
ペンが消えた。
……いや、違う違う。
署名欄にペン先が着く前に滑り落ちたみたいだ。
こんな時に何をやってんだ俺は。
「す、すみません……」
慌てて転がるペンを拾い上げた。
今度はしっかりと握り、署名欄にペンを向ける。
その直後、またペンが滑り落ちた。
「えっ……?」
はは。何で何回もペンを落としているんだよ。
意味が分からん。
……あれ?
その答えはすぐに判明した。
自分の身体の異変に、ようやく気が付いた。
手の震えが……止まらない。
ペンが持てない程に、ガクガクと震えている。
「何だよこれ……」
右の手首を強く握り締め、震えを止めようとしてみた。
だが状況は変わらない。
止まらねぇ……!
息遣いが激しくなる。冷や汗が額を伝う。
「ダメだ……」
そうだ。ダメなんだ。
サインをしてはダメだ。
名前には意味がある。
名前を書いたら契約を強制される。
絶対に書いちゃダメだ。
サインをしてはダメだ。
サインをしてはダメだ。
サインをしてはダメだ。
何でだ? 何でそう思う?
そもそも俺は何故ここにいるんだ?
こんな事をしていていいのか?
十八時を過ぎたら全てが終わるのに。
……終わるのは何だ?
『どうした日高』
『どうしたんだい日高君』
『日高君……?』
違う。ここじゃ無い。
俺が目指す未来は違う場所にあるはずだ。
『日高……!』
少女の声だ。今のは誰だ?
間に合わない……!
時間オーバーだ。
このままじゃ本当の俺の願いは叶わない。
目を覚ませ……! 目を覚ましてくれ。
俺にはまだ出来る事があるはずだ。
名前だ。
名前を思い出せ。思い出すのは誰の名前だ……?
右手から光が溢れ出している。このエネルギーは……。
魔法……!
その手をゆっくりと開くと、小さなガラス玉が浮かび上がった。
「立体魔法陣……!」
そうだ。俺は前にもこうやって助けて貰った事がある。
頼む。早く誰かここに来てくれ……!
俺をここから逃してくれ!
「違う!」
ダメなんだ。
それじゃ何も変わらない。何も変えられない。
やっと分かったんだ。
俺が探していたものは確かにあった。
でも近付く事が出来なかった。
それは俺が拒否していたからだ。
都合が悪い事を無意識に避けていたからだ。
自分は変わった、なんて嘘だった。思い込みだった。
このままじゃ、欲しいものは手に入らない。
「そんなのは嫌だ……!」
俺はもう、平穏な日常を選ばないと決めたんだ。
だから今ここに呼ぶのは「誰か」じゃ無い。
自分が選んだ未来へ進む……その為の「力」だ。
『来い……!』
『電伝六蟹』
…………。
……ひとつ。
……ふたつ。
……みっつ。
鼓動だ。
小さな鼓動が聞こえる。
それは幾つも重なり合い、エンジン音となって鳴り響く。
行き場を失ったエネルギーが爆発を繰り返す。
立体魔法陣は光り輝き、粉々に砕け散った。
──魔法は完成した。
無数の破片は輝く糸で結び付き、迸る雷の輪に形成されて行く。
輪を繋ぐ様に現れたのは六匹の蟹だ。
電気と電波の魔法制御装置。
像換獣 電伝六蟹。
それが俺の右手首を軸にして、衛星の様に浮遊している。
エネルギーが六匹の蟹に注がれ、エンジンが加速してゆく。
「あ痛っ! イテテテテ!」
放たれる雷。全身に走る激痛。
こいつ、勝手に電撃を放出して来やがった!
忘れていた。電伝六蟹は壊れていたんだ。
静電気に触れた時に近い地味な痛みが何倍にも膨れ上がる。
偽りの記憶と風景が破壊されてゆく。
死ぬ程痛え……! 目覚ましにはキツ過ぎだろ。
でも思い出したぞ。完全に目が覚めた。
視線を上げると目の前の状況は変化していた。
部室内は灰色一色に染められている。
その中に居る人物だけが色彩を持ち、不自然に浮かび上がる。
三ノ宮、岩田、柳沢、清水、笹木。
その五人が不思議そうに俺を眺めていた。
結晶体はこの中に潜んでいる。
ここまで来て姿を見せないとは恐れ入った。
ならば願いを否定して引き摺り出してやるよ。
「俺は試験を突破する。邪魔をしないで貰えますか?」
そう言って一人の人物を指差した。
結晶体を生み出したのはアンタだ。
「柳沢部長」
東谷高校七不思議の改竄。
不思議ハンター達の操作。
笹木に指示が出せ、教頭に取り入る事が出来る人物。
それが出来るのは柳沢しかいない。
その直後。
柳沢の額が「バリン」と割れ、赤い結晶が剥き出しになった。
金属と金属が擦り合う不快な音が、俺の鼓膜を震わせる。
『僕には……君の邪魔をする……理由が無いよ……』
頭割れてんのに強気だな。どういう神経してるんだよ。
目の前に居るのは本人じゃ無い。結晶体だ。
そんな事は分かっている。
でも俺は、言わずにはいられない。
「魔法入部試験の内容を知る人間でないと、あんな妨害は不可能だ」
魔法アプリの改変。
そう。柳沢は試験内容を知っていた。
だが、この学校内には従者は居ない。
だとしたら、敵の正体は……。
「お前は俺と同じ、魔法使いの志望者だ」
正確には「元」と言っていいだろう。
魔法に目覚め、水鞠家の魔法試験に挑むものの失格。
ルールに従い記憶と魔法を封印されていた。
きっと何かの拍子に封印が解けたんだ。
そして魔法が暴走し、結晶体を生み出した。
柳沢は鬼の形相となり、全身を震わせる。
俺は赤く光る瞳から目を逸らさず、真正面から睨み返した。
「俺は試験に合格して魔法使いになる。絶対に!」
『キ、キ、キ……』
柳沢の顔面が剥がれ落ち、中から赤い結晶が迫り出した。
一帯に激しい金属音が鳴り響く。
キキキ……キキキ……キキキ……。
世界は赤色に染められ、部室は巨大な空間へと改変された。
机と椅子は消え、俺と結晶体が対峙する。
座ったままの討論バトルで決着……とはならないみたいだな。
完全に戦闘体勢になっちまった。
コイツは水鞠家従者の作り出した結晶体じゃ無い。
だから、このイベントは入部試験の範囲内だ。
従者が助けに入る事があれば、その時点で失格。
だから誰にも手出しをさせる訳には行かない。
これは俺が、自分で解決しなくてはならない試練なんだ。
……負けてたまるかよ。
「俺は絶対に……勝つ……!」




