第22話 日高誠と辿り着く場所
窓ガラスが音を立てた。
それは席を立つ生徒達の雑音に混じり合い、掻き消されてゆく。
ホームルームが終わった放課後の教室。
俺だけが窓際の席から見える空を、呆然と眺め続けていた。
風の強い日だ。
それだけのはずなのに、目を逸らす事が出来ない。
「どうした日高。大丈夫か?」
吉田が眠たそうな顔で現れた。
退屈なホームルームが長引いて眠気に襲われたらしい。
少し伸びた前髪が、寝癖で変形したままになっている。
「何でもねーよ。疲れているだけだ。多分な」
それだけ伝えると、吉田が心配そうな表情に変わる。
「例の着信、まだ止まらないのか?」
俺は机に置いた鞄の中に手を入れ、スマホの画面を確認する。
「今日は五十六件……だな」
五十六件。
これは不在着信の数だ。昨日よりも十件増えている。
正直言って気味が悪い。
「痛ッ!」
指先が感電し、スマホから手を離した。
昨日から何度かこんな事が起きている。
バッテリーが故障しているのか。
「本格的に呪われているみたいだな」
鞄を閉めて席を立つ。
それを見た吉田が細い目を大きくさせた。
「今日は残らないのか?」
「これ以上着信が増えたら本当に爆発しかねないからな」
何故か着信があるのは俺が学校に居る時だけだ。
どうにか相手と話をしようと、ここ数日は教室に残っていた。
でも、流石にもう限界だ。今日は大人しく帰る事にする。
何が起きているんだ?
謎の組織からのハッキングか?
それとも呪いの力なのか?
どちらにしてもだ。
俺は今、とんでもない奴に絡まれているに違いない。
……全く、最悪な気分だ。
吉田と二人で教室を歩いていると、目の前に女子生徒が現れた。
「日高君……。何かあったの……?」
弱々しい声で話して来たのは同じクラスの三ノ宮菜々子だ。
「三ノ宮……」
あまり関わりたく無い相手だ。
時折見せて来る冷たい視線が怖過ぎる。
殺気すら感じる時がある。
知らない間に怒らせる様な事をしたのかも……。
と思ったが、思い当たる節は無い。
なので、少し距離を置く事にしていた。
「いや、そんな大した事じゃないんだ。じゃあな」
悪いと思ったが適当に対応し、俺と吉田で先に教室を出る。
すると三ノ宮もフラリと後を付いて来た。
何で付いて来たの!?
怖い! 何を考えているのか全く分からん。
しばらく無言で廊下を移動する三人。
この状況に、どう対応しようかと考えていると、吉田が先に口を開く。
「いやな三ノ宮。日高のスマホにやたらと電話がかかっててさ。
イタ電にしても、着信の回数が尋常じゃ無いんだよ」
「着信が……尋常じゃ無い……?」
ニヤリと笑う三ノ宮。何でそんなリアクションなんだよ。
反応に困ったが、俺はそのまま話を進める事にした。
「相手の番号は表示されている。
イタ電じゃ無いと思うんだよな。
単純に番号を間違えているんだろ」
「着信拒否するか、掛け直せば……?」
「拒否設定しても何故か無効になるんだ。
で、番号に掛けても毎回無音になる。コール音にもならない」
「む……無音……」
「関係があるかは分からんが、スマホの調子が悪くなっていてな。
今にも爆発するかも知れないから修理が先だな、って話だ」
「ば、ば、爆発……!」
三ノ宮が冷たい笑顔に変わる。
あああ。いちいちリアクションが怖いよ!
廊下の向かいからパタパタと上履きの音が聞こえて来る。
やって来たのは志本紗英だ。
「よお、志本」
吉田が声を上げる。
自然と吉田は後に下がり、二列目の三宮の隣に移動した。
志本は空いた俺の隣のスペースに滑り込む。
「今日は帰るんだね。用事は終わったの?」
用事? ああ、そうだった。
志本にはそう説明していたんだっけ。
真実を話したら後で面倒臭い事になるからな。
「スマホの調子が悪いんだよ。今日は帰る事にした」
「あー、だから早く修理に出せばって言ったのに。
お母さんも心配していたよ?」
「親に俺の情報流すの止めてくれよ。
親同士で筒抜けになってるんだよ」
「それ位別にいいじゃない。
私だってお母さんから日高の事を訊かれるから答えてるだけだよ」
志本が含みのある笑顔を向ける。
学校のアイドル志本紗英とは、家が近くで母親同士が友達だ。
奇跡を絵に描いた様な関係と言える。
なので、一時期は志本ファン達からは妬まれていたらしい。
幸いな事に、今は完全にスルー状態になっている。
多分、俺では志本紗英と釣り合わないと判断されたのだろう。
俺如きは嫉妬の対象にもならないのだ。
それはそれで助かる訳だが、何だか釈然としない。
風の音。
窓ガラスが一斉に振動した。
あまりの激しさに、そこにいた全員の視線が外に向く。
「急に風が強くなったね」
そんな志本の言葉に、吉田が欠伸をしながら腕を伸ばす。
「部活、中止にならねーかな」
「こういった時の試合に備えて練習出来るチャンスだよ」
「いやいや、試合中止だろ。こんなの……」
「志本さん真面目……。尊敬する……」
そんな二人のやり取りを見て三ノ宮が微笑む。
俺の時と明らかに対応が違うのは何故だ三ノ宮。
何か俺に恨みでもあるんだろ。そうなんだろ。
吉田玲二。
志本紗英。
三ノ宮菜々子。
こうして四人で一緒に居ると、何故だか不思議な気分になる。
この光景を前から予感していた様な……。
いや、まさかな。
そんな事が出来るのは……。
そうだな、魔法使いぐらいなものだろ。
……魔法使い?
何でいきなりそんなワードが出て来たんだよ。
頭がおかしくなったのか俺は。
『日高……!』
ふと、足を止めた。
「どうした日高?」
吉田も続けて立ち止まる。
『日高……!』
声が聞こえて来る。
これは誰の声だっけ?
よく知っている声だ。
『日高……!』
あ。……思い出した。
忘れていた。
何で今まで忘れていたんだ?
早く取りに戻らないと。
「悪い。忘れ物があった。じゃあな」
「おお、また明日な」
「日高! ちゃんと修理に出してよね!」
「爆発しちゃう……ふふ」
俺は三人と別れ、一組の教室へと向かった。
いや待てよ? 忘れ物って……何だ?
さっきまで覚えていたはずなのに、今は完全に忘れている。
まあ、教室へ行けば思い出すだろ。
そう思う様にした俺は、階段を上がって別棟へと移動する。
別棟? 何でだ?
俺は一組の教室に向かっていたはずなのに。
別棟二階。
誰も近付かない雰囲気が漂う通路の奥。
何故か俺はそこへと突き進み、足を止めた。
「科学室……」
ちょっと待て。何で俺はこんな場所へ来たんだよ。
一組の教室に行きたかったはずだろ。
「何だ?」
スマホが震えている。着信している様だ。
急いで鞄に入れていたスマホを取り出し画面を確認する。
だが、既に切られた後だった。
「またかよ……」
新たな着信が二十三件。どうなっているんだ?
「痛っ!? イタタタ!?」
この痛み、感電なんてレベルじゃ無いぞ。
まさかバッテリーの耐久値が限界突破したのか?
急いでスマホをケースから取り出し、色々な角度から眺めてみる。
特別な変化は無し……か。ホッと肩を撫で下ろした。
『……日高』
誰だ?
また声が聞こえた様な……。
すぐに周りを確認するが、誰も居ない。
やっばり気のせいだ。一組の教室へ行こう。
鞄を持ち直し、科学室に背を向ける。
だがすぐに足が止まった。
耳鳴りだ……。
そして全身の皮膚が針で刺された様な感覚が続く。
これはトラブルが起きる前兆だ。
こんな時は距離を拡げて近付かなければいい。
そうすれば上手く行く事を俺は知っている。
でも何故だ?
俺は今、この場所から離れたく無い。
反転し、廊下を戻る。
科学室の扉の前に立ち、深呼吸する。
そして扉に手を掛けた。
嫌な予感しか無い。
でも止める事が出来ない。
そうだ……俺はここに来たかったんだ。
「うお!?」
バチン、と弾ける音がした。
同時に扉から稲光が発生し、俺を包み込む。
「何だよこれ……!?」
見えない力で今にも突き飛ばされそうだ。
そうはさせまいと腰を落とし、徹底抗戦の構えを取る。
だがこの状態が終わる気配が無い。
「ぬおおお……」
ならばと体重を乗せ、力任せに扉を開いてゆく。
ゴムの様に不自然に歪む扉。
それでも壊れる様子は無い。
それが半分まで開いた所でピクリとも動かなくなった。
科学室の内部は光で何も見えない。
ヤバいだろこれ……!
だからって引き下がる気は無い。もう、行くしかねーだろ!
「だぁあああああああ!」
俺は掛け声と共に科学室の中へと身を投げた。
空を飛んでいるかの様にフワリと身体が持ち上がる感覚。
そしていきなりの急降下。
肩から床に激突し、勢いのままゴロゴロと転がった。
激痛に耐えながら体勢を立て直す。
膝を着いたまま科学室内を確認した。
実験用の大きな机が九台並び、奥には教卓が見える。
不自然な点は無い。いつもの科学室だ。
何だったんだよ、今のは……。
しばらくの静寂の後、背後から物音がした。
「何それ。ダッサ」
「…………!?」
素早く声の方へ振り向く。
ドアのすぐ脇には、制服姿の少女が立っていた。
その姿に驚いた。
猫の様な不思議な瞳。
揃えられた短い前髪。
針金の様にまっすぐな長い髪。
この世のものとは思えないキャラクターだ。
俺はそいつを知っている。
いきなり俺の部屋のガラス戸を破壊して侵入して来た魔法使い。
どこか抜けているけど頼りになる。
何でもパンチで解決する、俺の大事な友達。
そして……。
「パンツは水色」
「何で知ってるの!? いつ見た!?」
少女は顔を真っ赤にしてスカートを手で押さえる。
ヤバ。思わず声に出ちゃったよ。
思い出した。完全に思い出した。
水鞠コトリだ。
俺は魔法使いによって記憶と魔法を封印されていたんだった。
「よ、よお水鞠。久しぶりだな」
気の抜けた挨拶に、水鞠は全身を震わせ、口をモゴモゴとさせる。
「さ、最低だねアンタ。
自分の力で来るって言っていた癖に全然来ないで……」
「いや、その……」
「黙れ! この……ウソツキ野郎ぉ──!!」
絶叫する水鞠コトリ。
確かに俺はウソツキ野郎だし、完全に忘れていた。
格好付けた手前メチャクチャ恥ずかしい!
どうにか言い訳しないと……。
俺はコホンと咳払いをして自分を落ち着かせる。
「もしかして俺のスマホに狂った様に入っていた着信。
あれって水鞠の仕業だったのか?
そんな事をしなくても、俺は一人で奇跡を起こしてたけどな」
意思とは逆に、謎の強がりを口走る俺。
何でだよ。アホ過ぎるだろ。
「は? はーあ? 何それ。
アタシはそんなアホみたいに電話してませんからね」
水鞠は語尾を強め、半目で俺を睨む。
はいはい。そう来ましたか。
「じゃあ見せてみろよスマホ」
そう言って手を差し出す俺。
「別にいいけど、ハッキングされて履歴が狂ってるかもね。
はいどうぞ」
「ハッキング!?」
「文句ある?」
「い、いや。じゃあスマホは見ない事にする」
この流れ……。
俺の反応次第ではヤバい結末になるだろ。
最悪、水鞠は自分のスマホを破壊する。
もしくは魔法パンチで俺の記憶を破壊する。その二択の未来だ。
なので、それ以上ツッコむのは止めにした。
無言で見つめ合う俺と水鞠。
妙な空気になった所で、カチャカチャと金属音が鳴った。
机の上で金色のヤカンが動いている。
魔法使いのアバターだ。
ずっとそこに居たらしい。
紐で作られた手足をバタバタと動かし、何かを訴えている。
「どうしたんだ? 従者の人、何を言っているんだ?」
「ああ。怒ってるんだよ。何で日高がここにいるのかって」
「ちょっと待て水鞠。杭は……。魔法の杭は大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。変化は起きていない。
上手く行っているみたいだよ。今の所は」
「今の所は……か」
まだ安心出来ないなぁ。それにあの従者の反応……。
どう見ても歓迎はされていないだろ。
水鞠はフフンと鼻で笑い、
「これから色々と大変だよ。従者達に認めてもらわないとね」
そう言って科学室の椅子に座り、向かいの席を指差した。
「そうみたいだな」
溜息混じりに指示された場所に腰を下ろす。
ふと気付くと、隣の席には「犬のヌイグルミ」が鎮座していた。
これも従者の魔法アバターだ。また出て来たのか。
そしてヤカンの方はテーブルの上で仁王立ちになっている。
何だこのカオスな状況は……。
「なあ、水鞠……」
『…………! ……!』
俺が水鞠と話そうとすると、ヤカンが何かを訴えて来る。
話している内容は全く理解出来ないが……。
雰囲気的に、ろくでもない事を言われている気がする。
すると、犬のヌイグルミがスクっと立ち上がり、テーブルの上を移動。
ヤカンに近付くと、いきなりパンチを繰り出した。
何で!?
そこから始まる激しい取っ組み合い。
それを水鞠は止める事も無く静観している。
「いつもこんなだから気にしないで」
「そ、そうなのか」
そう言って水鞠と目が合うと、避けるようにして俯いてしまった。
「水鞠?」
「アタシに何か言いたい事とか無いの?」
そして上目遣いで覗き込む。
「なあ水鞠……」
「な、何さ」
「俺達の魔法運命値は百二十パーセントでいいよな?」
「今それ言う!?」
水鞠が期待していた事とは違っていたらしい。
え……。だって確認しておきたいだろ?
「ふん、全然感動的じゃなかったからマイナス四十ポイントだね」
「酷いな!」
つまりは八十パーセントって事かよ……。
水鞠は顔を赤くしたままソッポを向いている。
あれ? そう言えば魔法運命って、どんな設定だったっけ?
八十パーセント……。
この数値がどの位良いのか判断がつかない。
「水鞠。結婚するカップルが何パーセントだったっけ?」
「し、知るかバカヤロ────ッ!」
これから平穏な日常なんてのは無いだろう。
自分が魔法使いになれる保証は何処にも無い。
それでもいい。
やるだけやってみようと思う。
例え何か問題が起きたとしても大丈夫だ。
二人の間にある引力があれば、何とかなるはずだから。
……なんて、俺もすっかり雑な考えをする様になってしまった。
あとがき
ここまで読み進めて頂き、ありがとうございました。
何度も書き直しをしてしまい申し訳ありません。
この物語は現在非公開になっている[プロトタイプ版]をリメイクしたものです。
プロトタイプ版からは話の展開や設定などの多くが変更になっています。
少しでも二人の未来が気になる方は、次の第二章までお付き合い頂けると嬉しいです。
今後ともよろしくお願い致します。




