第17話 日高誠と魔法使いのルール
ちょっと待て。
何で志本紗英がここに居るんだよ。これは現実なのか?
それとも幻?
困惑している俺を見て、志本が焦った様子で近付いて来た。
そして目を瞑ったまま両手を前に突き出し、バタバタと動かす。
「ごめんなさい! ごめんなさい! これには訳があって……」
うーん。これは本物っぽいか?
制服姿って事は、部活が終わって帰宅した所みたいだな。
「落ち着け志本。どんな訳があったんだよ」
「あの、その。たまたま日高と水鞠さんが一緒にいる所を見ちゃって。
つい後を付けてしまったというか……」
「つい……ね」
これストーカーだよね?
俺の事を犯罪者扱いしておいて、自分もやってるじゃねーか!
そんな俺の雰囲気を察してか、志本は頭を下げて必死になる。
「私、二人の邪魔をするつもりは無くて……」
「二人……?」
志本はここに水鞠コトリが居ると勘違いしているらしい。
「水鞠なら一人で帰ったぞ。駅もすぐそこだしな」
「そ、そうなんだ」
志本はホッとした様子で俯いてしまった。
「水鞠の事、知ってるんだな」
「同じ中学だったから。
でも同じクラスになった事は無くて。あまり話した事は無いけど」
「そうなのか」
おそらくだが、志本は覚えていないだけだろう。
実際は魔法案件で水鞠と絡んでいたと思われる。
「志本。実は俺、科学部に仮入部中なんだよ。
部長が水鞠で、まあそんな感じだよ」
「いいって、隠さなくても」
「何を!?」
「ただの部活仲間だったら、家に呼ばないでしょ?」
ああ……。水鞠が俺の家から出て来た所を見られていたのかよ。
ほら見ろ。面倒臭い事になるから家に来るなって話だよ。
あいつが来ただけで明らかに未来が変わってるじゃねーか。
どうしてくれるんだよ。俺の苦労は水の泡だ。
「それには色々と訳があってだな……」
「そう言う事なら内緒にしておくから。
まだ秘密って事だよね。私、こう見えて口が硬いから安心して!」
いきなり早口で捲し立てられてしまった。
そして何故か顔が真っ赤になっている。
「いや、志本あのな……」
「ご、ごめんなさい。
何か私、ひとりで勝手に盛り上がっちゃってたみたいで……。
あ、私……何言ってるんだろ」
「志本?」
「ごめんなさい!」
そう言い放ち、走り出してしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
訳の分からないまま、全力で志本を追いかける俺。
だが二人の距離はグングンと離れてゆく一方だ。
何だあれ!? 追いつけねぇ……! 何て加速力だよ!
流石は東谷高テニス部エース。
……なんて関心している場合じゃ無い。
魔法現象が起きている今、一人にさせておくのは危険だ。
志本が結晶体に狙われているパターンだって十分に考えられる。
追いつけ! 追いつけ俺! いや無理っ!
「し……志本……待っ……」
もう身体は限界だ。
足はフラフラになり、肺は破裂しそうになっている。
周りから見れば、今の俺は全速力で走る美少女を追う謎の不審者だ。
警察に捕まっても不思議は無い。いや、何でこうなった!?
最悪な事に、今度は雨風が強くなって来た。
くっそ、何て天気だよ。
そのまま自宅に繋がる細い路地に差し掛かる。
まっすぐ伸びる道のその先に、志本の後姿が見えた。
もうあんな遠くにいるのかよ……速過ぎだろ。
志本は家まであと少しの所まで到達している。
どうやら俺と志本の鬼ごっこはこれで終了の様だ。
もう遠くから見送る事しか出来ない。
諦めて足を止めた。
その直後。
大音量のクラクションが鳴る。
「な…………!?」
続けてアスファルトを擦るブレーキ音。
俺の背後から一台の軽トラックが現れる。
それは、速度を緩める事無く俺の横スレスレを通過して行った。
トラックは止まらない。
二つのライトは角度を上げ、左右にスイングしながら路地を進む。
様子がおかしい。まるで氷の上を走っているかの様な挙動だ。
完全にコントロールを失っているぞ。
志本も異変に気付き、トラックを避けようと場所を移動する。
だがトラックは車体をくねらせ、志本に向かってゆく。
嘘だろ……!?
見えている景色がスローモーションに変化してゆく。
俺はその中で必死に腕を伸ばす。だが届くはずが無い。
でも諦め切れない。
『志本……!』
伸ばした掌から光が湧き出す。
光は一点に凝縮され、小さな球体に変化した。
浮かび上がるその物体に見覚えがある。
そうだ。これは水鞠コトリが創り出した物と同じ……。
立体魔法陣だ。
内部から放出されるエネルギー。
それによって押し出され、ガラスの様な音を立て粉々砕け散る。
破片は粉雪の様に舞い、視界は白い光の粒に包まれた。
何も見えない状況の中、伸ばした右手が何かを掴んだ。
俺は無我夢中でそれを引き寄せる。
「日高……?」
志本の声だ。
光の幕が闇に侵食され、微かに路地が見え始める。
視界が元の状態へと回復すると、目の前には志本紗英の姿があった。
「志本……?」
これは幻か? 遠くに居た志本が何故か側に居る。
俺の手は志本の腕を掴んでいる状態だ。
景色は元に戻り、暗い路地に志本と二人だけになっている。
どうなってるんだよ、これは。
「車は……?」
「あそこだよ」
志本が指差す先には、走り去るトラックが見えた。
挙動のおかしな様子は無い。
魔法の影響から逃れた……のか?
しばらく無言で見届けた後、志本紗英が身体を震わせる。
「いきなりでビックリした……。轢かれるかと思った……」
「あ、ああ……」
そこでようやく冷静になった俺は、志本の腕から手を離す。
行き場の失った右手を、ズボンのポケットに収めた。
「悪い。大丈夫か?」
「大丈夫。助けてくれてありがとう」
「あ、いや……」
俺が助けた事になってしまった。
いや、状況から言って、それは正しいのかも知れない。
離れた位置に居た志本紗英が、俺の所まで移動して来ている。
そんな事は現実には起こり得ない。
そう、これは魔法だ。
俺は魔法を使って彼女を引き寄せてしまった。
「魔法で未来を変えてはいけない」それが魔法使いのルール。
起こりえた車との事故を「無かった事」にしたんだ。
元々が雑な判定とはいえ、未来へ与える影響は少なく無いだろう。
志本を助けた事に悔いは無い。
問題は、次に起こる事態の予想が付かなくなってしまった事だ。
既に異常事態が続いている。
雨、風、霧。
更には遠くの空には雷光が瞬いている。
「さっきから急に天気が……」
志本は空を見上げ、不安げに声を上げた。
「早く家に入ろう。行くぞ」
雨足がゲリラ豪雨に近い勢いになって来た。
このままじゃマズい。
志本を俺の家に避難させた方が良さそうだ。
母さんや美希の反応が怖いが、今は仕方が無いだろう。
志本を連れ、自宅の玄関に飛び込む。
そこには美希がタオルを持って待ち構えていた。
「あれ?」
美希が志本の存在に気が付く。
そしてトレードマークの太い眉を大きく反らせた。
「あ、美希。これはな……」
やべぇ……。どっから説明すればいいんだよ。
「紗英さん!?」
「知ってるの!?」
美希の意外な反応に驚いた。
「お母さん! お兄ちゃんが紗英さん連れてきたぁ──!」
俺にタオルを投げつつ、リビングへと向かう美希。
訳の分からないまま空中でキャッチしたタオルを志本に渡す。
すると、何故か志本は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
すぐに母さんがスリッパを鳴らしながらやって来た。
志本の姿を見ると満面の笑みになって、
「あらあらあら、紗英ちゃん。大変だったねぇ。
お母さんに連絡しておくから、上がって上がって。お風呂入る?」
いや、どうなってんのこれ……。
何で志本が俺の家の風呂に入る話になっているんだよ。
「ちょ、ちょっと母さん。話がある」
妹に志本を任せ、俺は母さんと二人肩を並べて背を向けた。
そして小声で話を始める。
「頼むから、ちゃんと説明してくれ」
「あー。紗英ちゃんのお母さんね。
母さんの小学生の時の同級生だったのよぉ。
最近になって近くに住んでた事が分かって。
実はマコちゃんが居ない時に親子で遊びに来た事もあったのよ」
「嘘だろ……」
そんな偶然ある訳ねーだろ。
どんだけ設定を盛る気なんだよ、この狂った世界は!
未来改変どころじゃ無い。
どこをどうしたらこんな雑な展開が許されるんだ?
「何で早く俺に言わなかったんだよ……」
「紗英ちゃんに止められていたのよ。
マコちゃんに避けられてるから、時期を見て自分から話すって」
あー。確かに避けていた。そうだけれども。
「悪い母さん。ちょっと俺、頭が痛くなったから部屋で休むよ」
「あらあら、マコちゃん大丈夫?」
心配する母さんを置いて、二階の自分の部屋へと移動する。
扉を閉め、すぐに濡れた制服の尻ポケットからスマホを取り出す。
そして水鞠コトリの名前をタップした。
いきなり意味分からん展開の連続だ。
絶対に何か起きているだろ。嫌な予感しか無い。
「出ろ! 出てくれ水鞠コトリ!」
繋がらない状態が続く。
代わりにガラス戸がガタガタと激しい音を立てる。
「また風か……」
そこで突然、竜巻にでもぶち当たったかの様な衝撃が襲う。
激しい轟音が部屋を突き抜けた。
……何かが来る。




