第163話 日高誠と忍渡ユウ
秋晴れの日曜日の午後。
やや強めのノック音が、俺の部屋に響いた。
俺は読んでいた本を閉じ、「へいへい」と面倒臭そうな返事をした後、ガチャリと扉を開く。
そこに立っていたのは我が可愛い妹の美希だった。
「これからリビングで勉強会だから、下に降りる時はスマホで知らせて」
一瞬、美希が何を言っているのかが分からず、俺の頭の中は真っ白にフリーズした。
勉強会って事は……。
「あ、友達が来るのか? また急だな」
「昨日言ってあったでしょ!」
あれ? そんな事を言っていたっけか。
これはアレだな。父さんとゲームに夢中で、話の内容を全く聞いていなかったパターンだ。
「今回は出て行かなくていいのかよ。来るのって、例の友達なんだろ?」
前回の勉強会では家を追い出されていた。
ニャガ子と遭遇した、あの暑い夏の日を思い出して頭が痛くなる。
美希はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべ、
「いいよ。友達には彼氏が出来たから、お兄ちゃんはもう関係無くなったんだよ」
「彼氏……ねぇ」
「残念だったね。お兄ちゃんのモテモテタイムは終了だよ」
「そいつは残念だな。俺に興味があったって子に一度会ってみたいものだが」
「ダメ。お兄ちゃん調子に乗るから、絶対に無理」
「ほう。可愛いって事か」
「もうお兄ちゃんには関係無いから! 勝手に降りて来ないでね!」
「へいへい」
美希は鼻歌を歌いながら軽い足取りで階段を降りてゆく。
俺は扉を閉め、部屋へ視線を向けた。
八畳の殺風景な部屋には、机とベッドと本棚が置かれている。
前よりもマシにはなったが、俺の性格上、余計な物は何も無い。
だが、その時だけは違っていた。
ベッドの上には小柄な少女が座っていた。
額を大きく出したポニーテールで、白のブラウスにショートパンツのスタイルだ。
忍渡ユウ。
美希の友達にして覚醒したばかりの魔法使い。
そして今は、魔法局の連絡係でもある。
忍渡ユウはウインクをした後、
「彼氏が出来たって言うのは嘘ですからね! そう言わないと、美希ちゃんが納得してくれなかったんですよぉ。心配しちゃいました?」
「いや、全く」
「何でですか!?」
何でも何も、興味が無いのだが。
「ムヒョ山ニャン子にはちゃんと伝えたのか? 連絡係の変更希望の事」
「伝えましたよぉ。でもニャン子様は、私でないと連絡係は務まらないとおっしゃっていてぇ」
「じゃあ。もう一度、今度は強く伝えてくれ。早く変えろ。今すぐ変えろって」
「何でです!? そんなに私の事嫌い!?」
「好き嫌いの問題じゃ無い。妹に関わりの無い奴に変えて欲しいんだ」
「いまさら美希ちゃんの友達をやめる訳にはいかないから却下です」
「……お前──」
文句を言いかけた瞬間、部屋の扉がガチャリと開いた。
「お兄ちゃん!?」
「……どうした?」
「何か声がしたから……あれ? 誰もいない……」
キョロキョロと部屋を見渡す美希。
そんな妹に向けて俺は冷静にスマホを見せ、
「電話してたんだよ。それよりも人の部屋をいきなり開けるのはルール違反だぞ」
「あれ? でも、あれ? 女性の声が……あれ?」
「ああ。スピーカーをオンにしていたからな。美希も水鞠と話すか?」
すると美希は顔を紅潮させ、
「い、いい。遠慮しておく……」
後退りした後、扉を閉めて一階に降りて行った。
俺は溜息を吐いた後、振り返る。
ベッドには当たり前の様に忍渡ユウが座ったままだ。
「美希ちゃんかわいい。お兄さんの事が大好きなんですねっ」
「結界はどうした」
「忘れていたみたいです。てへっ」
「ワザとだろ。そういう所なんだよ……」
「酷いですぅ。本当に忘れていただけなのに!」
こいつ……。マジでド突きたい……。
俺は溜息を吐き、
「それで、今ここに居る忍渡ユウは本体の方なのか?」
すると忍渡ユウはニヤリと笑い、その場でクルリと回った。
「魔法立体映像です。分身の術みたいなものですね。私、魔法忍者の素質があるみたいで……」
「魔法忍者!?」
「知ってますか? 忍法って元々は魔法から……」
「分かった分かった。もういい。そのパターンは」
そう言えば、俺を襲って来た魔法局の魔法使いに忍者モドキがいたな。あれも本物の忍者って事?
「なあ忍渡。家族か親戚に忍装束のコスプレイヤーはいないか?」
「ん? いませんけど?」
「ならいい」
そうは言っても、関係者である可能性は高そうだな。
あの忍者が魔法局の魔法使いで、忍渡ユウと関わりがあるのなら、コイツが連絡係に任命される理由としては十分過ぎる。
忍渡ユウは床を指差し、
「この分身の有効範囲は半径七メートルなんです。もう玄関まで到着してますよ」
忍渡の言った通りだった。
家のチャイムが押され、女子達のガヤガヤとした声が聞こえて来た。
来たのは三、四人といったところか。
「分身の有効範囲が狭過ぎないか?」
「これ以上離れると、私の魔法使用が従者にバレちゃいます。色々と問題になりますよ?」
もっともらしい理由だな。
「まさか魔法局から連絡がある度にウチに遊びに来るつもりじゃ無いだろうな」
「基本的にはそうなりますね。ま、いーじゃないですか」
「いいわけあるか! 不自然過ぎるだろ」
「そう思って、いくつかのパターンを用意していますので心配はご無用です! では本題に入らせて頂きますね」
忍渡ユウはベッドから立ち上がり、あらわになっている額を俺に向けると、そっと目を閉じた。
「何の真似だ」
「記憶の伝達を……」
「それは魔法アバターの話だろ。早く要件を言え」
そう言ってデコピンを喰らわせる。
「痛っ!」
忍渡ユウは額を両手で抑えつつ、「むう」と頬を膨らませた後、
「ノリが悪いなぁ。ちょっとは焦って下さいよぉ。今回はニャン子様から仕事の依頼です」
「さっそく仕事かよ。どんな内容なんだ?」
「デバッガー? らしいです」
「デバッカーな。ソフトやゲームなんかの開発で起きる不具合の発見と報告が仕事だ。だとすると、魔法実験みたいなやつかな」
「へー。どうします? やります?」
「情報量が少な過ぎる! 他に何か聞いてないのか?」
「……あ! 猫の手は借りなくても大丈夫だそうです。……猫の手って何ですか?」
猫目青蛙。
俺が契約しているカエル型像換獣だ。
とにかく、存在自体が世界崩壊に影響するヤバい奴で、出来るだけ隠し通さなくてはならない。
「まあ、奥の手みたいなヤツだよ」
「へえ。奥の手……」
「断ってくれ。俺がこの仕事を受けるメリットが無い」
「かしこまりました。上にはその様に伝えます。誠様」
「だから『様』は止めろ」
「じゃあ、また来ますね。誠セ・ン・パ・イ」
自分の可愛さを千パーセント振りまいて、有能な後輩は煙と共に「ドロン」と姿を消した。
何だか先が思いやられる展開だなぁ……。
*
夕飯の支度が始まった頃。
勉強会が終わったらしく、下の階がガヤガヤと騒がしくなった。
それじゃ、リビングでゲームでもしますか。
……と、ドアノブに手を掛けた直後。
背後から「ドロン」と煙が立ち昇り、忍渡ユウの分身がベッドの上に出現した。
「わざわざ挨拶はいらねーよ。はよ帰れ」
「そうじゃないんですぅ。お願いがありまして」
「お願い?」
「暗くて危ないじゃないですか。家までついて来て欲しいんですぅ」
「何で俺が? 彼氏に頼めよ」
「だ・か・ら、それは嘘だって言ったじゃないですか! 最近、誰かに見られている気がするんですよぉ。ここに来る途中でも感じたし……」
「警察に相談しろ」
「出来ないです! たぶん……きっと、人間じゃ無いと思うし……。そう! 魔法的な何かだと思うんです!」
「嘘じゃ無いだろうな」
「本当ですよぉ! 信じてください! お願いです! 嫌な予感がするんですよぉ!」
「なら火咲に相談しろよ。管理担当だろ?」
「花奈さんはミッション中です。他に頼れる人がいないんです!」
「マジか……」
またかよ!
勘弁してくれ。何回目のストーキングミッションだよ。
魔法案件には「よくある事」だと誰かが言っていた気がするが、それにしてもだ。
「分かった。俺が隠れてついて行くから安心しろ」
「ありがとうございます! 誠様!」
「いいから『様』はやめろ」
「じゃあ、引力と猫の……」
「コードネームもやめろ」
第八章スタートです!
ここでは意外なキャラの掘り下げと過去最大のバトルシーンが展開されます。
どうか最後まで呆れずにお付き合い頂けると嬉しいです。




