第135話 日高誠と戦う力
「ただいま帰りました〜」
ハイテンションの母さんが買い物から戻って来た。
「おかえり。母さん」
俺は玄関まで迎えに行き、買い物袋を引き受ける。
二人並んでリビングに入ると、美希がソファに座ったまま「お帰り」と挨拶をした。
何気ない家族のワンシーンだ。
しかし、俺だけが違っていた。
表情は作り笑いだし、心臓は高速で鼓動を繰り返している。
……良かった。ギリギリ間に合った。
美希はさっきまで猫目青蛙の能力で眠っていて、目覚めたのは数分前の出来事だ。
母さんの買い物の時間は三十分程。
その間に花火大会を見に行って帰って来る事が出来た。
猫目青蛙が居なかったら、このミッションは達成出来なかっただろう。本当に優秀な像換獣だ。
『上手く行ったぞい。誠殿は部屋で待機じゃ』
魔法空間から猫目青蛙の声だけが聞こえて来た。
「了解」
俺は言われるがまま部屋に戻り、ベッドの上で待機。
数分後、猫目青蛙のイメージ映像がヒョッコリと現れた。
『誠殿。準備が出来たぞ。始めようか』
「おお……!」
ついにこの時が来た。
条件がクリア出来ていれば、目が覚めた時には六年後に戻れているはず。
緊張の瞬間だ。
『ムムッ!?』
いきなり猫目青蛙の顔色が悪くなってしまった。
嫌な予感しか無い。
「どうした猫蛙。まさか……」
『そのまさかじゃ。足りない要素が残っていた様じゃ』
「嘘だろ……」
『思い出せ。六年前のこの世界で、何かまだやり残している事は無いか?』
いやいや。やり残した事なんて何かあったか?
「全く思い付かない……」
すると猫目青蛙はフムフムと思索を始め、
『そうじゃな……。過去の自分に引き寄せられる直前に、何か起きなかったか?』
「直前……?」
確か、水鞠とムヒョーイベントに行った帰りに「歪み」が起きて……。
胸ポケットに入れていたムヒョーストラップが消えたんだよな。
その後は……駐輪場から謎の煙が発生した。
「……煙」
そうか! 分かったぞ!
「猫蛙! 魔法自転車だ!」
『自転車?』
「あれを駐輪場の地下倉庫に隠しておかないと、未来の俺が魔法自転車を発見出来ない!」
猫目青蛙は大きな目玉をギョロリとさせ、
『行こう! 誠殿!』
部屋から出た俺は、足音を消しながら階段を降りた。
家族に気付かれないまま、玄関から外へと抜け出す。
素早く裏庭に移動し、魔法自転車に乗り込んだ。
駅前の駐輪場なら一瞬で到着出来る。帰りを自分の足で走ったとしても、二十時前には戻って来れるはずだ。
俺はペダルに全魔力を注入し、魔法エンジンを回転させる。
「何だ? 音が……」
いつもと違う。白煙が消えてゆく。
家の門から車道に出た直後から、スピードが急降下してしまった。
「何でだよ……! こんな大事な時に!」
……回転数が上がらない。
エンジンが止まる……! タイヤが地面に貼り付いた様に動かない。
『誠殿!』
猫目青蛙の声で、自分に起きている異常な事態に気付いた。
いつの間にか視界が霞んでいる。
吐く息が……。
白い…………!?
夏の夜空から氷の結晶が降り注ぐ。
そんな幻想的な光景が、俺を恐怖のドン底まで突き落とした。
「氷の結界…………!」
それを見た猫蛙が感嘆の声を上げる。
『二十メートル四方を塞がれている様じゃな。圧倒的な冷気制御に滅火能力。かなりの魔法練度じゃ』
既に手遅れになっていた。
まっすぐに伸びた車道が、氷の世界に変えられている。
その先から人影が現れた。
凍りついたアスファルトに靴音が響く。
「何でだよ……」
何でここに居るんだよ。約束の時間はまだ先のはずだろ。
白一色のドレスに、帽子と日傘。
左手には氷の扇子を構えている。
──コードネーム 貴婦人。
「ふふ……。思っていたより子供なのですね。こうして面と向き合う事が出来て良かったですわ」
貴婦人は逃げ道を塞ぐ様に道の中央で立ち止まり、口元を緩めた。
……落ち着け俺。
これまでの流れを考えれば、こうなる可能性は十分にあっただろ。
絶望している場合じゃ無い。
今やるべき事は、この状況にどう立ち向かうかだ。
俺は覚悟を決めた。
氷の枷によって動かなくなった魔法自転車から降り、貴婦人と改めて対峙する。
「迎えに来るには早いだろ。約束の二十時まで少し時間があるはずだよな」
まさか、俺が猫目青蛙と契約した事までもがバレているのか? どっちだ?
すると貴婦人は扇型の立体魔法陣を広げ、口元を隠す。
「待ちきれなかったので、お迎えにあがりましたわ」
「え……?」
何だよ。その理由は。自分勝手もいい加減にしろよ!
「さあ、一緒に猫探しを始めましょう……。と、言いたい所でしたが、やっぱり気が変わりましたわ」
貴婦人は扇子を閉じ、腕を下ろす。
「は……?」
気が……変わった? 何を言い出すんだよ。
「貴方には死んでもらいましょう」
貴婦人が魔力を解放する。
結界が音を立て、振動を始めた。
「な……!?」
いきなり何を言っているんだコイツは。
そう言えば俺がビビると思っているのか?
そんな事をすれば未来改変が起きるだろ。
俺の魔法空間から猫目青蛙が声を上げる。
『誠殿。奴の言っている事は本気の様じゃ。冗談では無い』
嘘だろ……!? 何でいきなりそうなったんだよ!
貴婦人は鋭い殺気を放つと共に、一歩前へ踏み出した。
「もう全ての事がどうでも良くなりました。私は今、怒りに満ちています」
無数の氷の結晶が舞い、それを手に持つ扇型の立体魔法陣に集中させて行く。
そして貴婦人が、より一層冷たくなった声で俺に語り掛ける。
「猫を手に出来れば、私の出世が約束され、計画にまた一歩近付けるはずだった」
「計画……?」
「魔法局を乗っ取る事……。それも全て台無しになっちまった」
なっちまった……って、こいつ……。キャラがブレブレじゃねーか。
中身が違う誰かに入れ替わっているって事は無いのか?
じゃなきゃ完全に頭がイカレてるだろ。
『フムフム。此奴の身に想定外の事件が起きとるらしいな。それが原因で自暴自棄になっておる様じゃ』
「一体、何があったんだよ」
貴婦人は魔法を起動させている。
今までに感じた事の無い、強大な魔力の波動だ。
「その説明など無駄ですわ。……お前には到底理解出来ないスケールの話だからなぁ!」
氷の結界が変化した。
空間内に魔法陣の紋様が一斉に浮かび上がる。
それを察知した猫目青蛙が声を上げた。
『誠殿! あ奴は魔法でワシらを殺し、世界を混乱させようとしておる!』
混乱……!?
世界を……!?
何だよこのクソ展開は。
誰かちゃんと俺に説明してくれよ!
こんな奴に勝てる訳が……。
『……誠殿』
猫目青蛙の声と共に、魔法空間の扉が開かれた。
景色が消え、何処までも続く白い空間が広がる。
まるで時が止まっている様な感覚だ。
いや、実際にそうに違いない。
白い世界に、猫目青蛙の声だけが響く。
『細かい事は何も気にするでない。このまま計画を続行じゃ。魔法自転車を地下倉庫に隠し、部屋のベッドで眠りに着くのじゃ』
「無茶言うなよ。それが実現出来たとしても、貴婦人が俺を……」
『お主は殺されはしない。誠殿が眠りに着けさえすれば、全ては解決するはずじゃ』
「何だよそれ。意味が分からねーよ……」
この状況から、どうしたらそうなるんだ?
『意味など考えても無駄じゃ。そこに真実があるだけじゃからな』
それっぽい事を言われてもなぁ……。
「計画よりも結界から脱出する事が先だろ。猫目青蛙の能力を使えば可能なのか?」
『無理じゃな。ワシの作った像換獣は魔法士と戦う力を持っていない。敢えてその能力を与えていないからじゃ』
「じゃあ、どうやって……」
魔法空間内が、振動を始める。
『……望むのなら、お主に戦う力を授けよう』
起動音が鳴り響く。
俺の中で、新たな魔法エンジンが回転を始めた。
何かが起きている。
俺の中で、何かが変わった。
「猫蛙。これは一体何なんだ!?」
俺の中に、何かが生まれた……?
『火喰甲魚がお主の為に戦いたいと言っている』
火喰甲魚が!?
あり得ない。暴走して死んだはずじゃ……。
氷に戻って俺の手の中で消えたのに、どうやって?
『辛うじて核の一部分が誠殿の魔法空間に戻っていたんじゃよ。ワシは密かに修復を試みていた。瀕死状態じゃったが、どうにか生き延びたぞい』
火喰甲魚が……生きていた……!?
『そうじゃ。火喰甲魚は改修を施され、お主の専用機として再生した』
……何だって?
『こいつは契約者の命を守る為なら命令無視も厭わない狂った個体じゃよ。今回もかなりの無茶をしよったわい。そのお陰で、一度だけ召喚が可能な状態にまで仕上げる事が出来たがな』
魔法エンジンの駆動音が空間に轟く。
今迄に感じた事の無い強力なエネルギーが身体を走り抜ける。
『新たな触媒を得て生まれ変わった。新たなる力だ。さあ、喚び出すがいい! 名を──』
凄じい爆音。力強い鼓動。
これが俺の……戦う為の力。
白い世界が消滅し、再び時が動き出す。
俺の視線の先では貴婦人が魔法を起動している。
でも変だ。何故か動作がスローモーションになっている。
時間が……止まったままなのか?
──違う。
俺が加速しているんだ。
俺は右手に魔力を注ぎ込み、立体魔法陣を創り出した。
出現した小さな球体を握り締め、その名を叫ぶ。
『来い! 火瑛甲魚!』
立体魔法陣が砕け散り、無数の光の破片が宙を舞う。
それは火花に変化し、一帯を紅く染め上げた。
響き渡る巨龍の雄叫び。
火花は炎の渦となり広がって行く。
その中から現れたのは、鎧に身を包んだ巨大魚だ。
姿は違う。でも俺には分かる。
間違い無い。あれは火喰甲魚だ。
一緒に戦ってくれていた火喰甲魚の生まれ変わった姿だ。
「何だ……それは……!?」
余裕ぶっていた貴婦人が激しく狼狽えている。
……だよな。
どんな博識な魔法使いだとしても知る訳が無い。
たった今生まれた、俺だけの像換獣だからな。
『火瑛甲魚! 俺と一緒に戦ってくれ!』
巨大魚が炎の海に放たれた。
火瑛甲魚の強靭な顎が開き、敵に向かって襲いかかる。
「ノロいな。見掛け倒しですわ」
貴婦人は踊る様に身を翻し、それを簡単に躱してしまった。
すぐさま体勢を立て直すと、攻撃動作に入った。
避けてくれて構わない。
初めからお前と正面から戦うつもりは無かった。
火炎の像換獣は突き進む。そして鋭い牙を氷の結界に突き立てた。
結界を削る金切音。そして激しい火花が弾け飛ぶ。
その火花は赤から黄色、紫色へと変化して行く。
あれは花火……!?
いや、ただの花火じゃ無い。まさか……。
猫蛙は満足げな声で、
『そう。魔法花火じゃ。丁度良い触媒が目の前にあったので使わせて貰ったぞ。上手く行ったワイ』
魔法花火を触媒に……?
『それだけでは無いぞ。火瑛甲魚にはワシが研究していた「ダブル触媒システム」を搭載しておる。火喰甲魚としても召喚が可能じゃ。上手く使い分けろ!』
そんなのアリかよ。
そんなのって……。
「最強じゃないか!」
炎の牙が氷の壁を噛み砕く。
破裂音と共に結界の一部が崩れ落ち、巨大な穴が開いた。
貴婦人が驚愕し、声を上げる。
「砕くのか……! 私の結界を……!」
当たり前だ。最強クラスの魔法使い「水鞠七兵衛」幻の最新作だ。負ける気がしない!
「待て……! な……!?」
炎の渦が貴婦人を取り囲む。
貴婦人は氷のバリアを作り抵抗するも、炎を消し去る事が出来ない。
『火瑛甲魚の能力の一つじゃ。動きを封じている間に駐輪場へ向かえ!』
「了解!」
俺は素早く魔法自転車に乗り込み、ペダルに魔力を込めた。
「動くぞ……!」
回り出す魔法エンジン。吹き出す白煙。
魔法自転車は結界の穴を通り抜け、駐輪場へと走り出した。




