第129話 日高誠と彷徨う猫
二十二時。
静寂に包まれた森の中。
俺は魔法自転車を停車させ、木の陰に隠した。
周りに誰も居ない事を確認した後、九銃と共に小さな石碑の前に立つ。
「入るぞ」
九銃が手を翳すと、水鞠家従者の魔力を感知し、光の扉が開かれた。
森の中を一直線に伸びる石畳。
数十メートル先には石造りのモニュメントが見える。
シンプルでありながら、その造形の美しさに言葉を失った。
「あれが……」
九銃が頷く。
「そうだ。水鞠七兵衛様の墓だ」
水鞠コトリの祖父であり、水鞠家前当主、水鞠七兵衛が眠る墓。
土煙田亀を起動しながらは失礼だと思いつつも、俺と九銃は水鞠七兵衛の墓の前に並び、手を合わせた。
──七兵衛さん。
水鞠コトリと一緒に、また必ず会いに来ます。
だから今は許してください。
俺は心の中で許しを乞い、触媒の入った瓶を墓石の前に置いた。
瓶の中に浮かぶ青い結晶が、呼応するかの様に光を帯びる。
それを見た九銃は目を輝かせ、
「カケル……! 反応がある」
「落ち着け。少し待とう」
数分が経ち、痺れを切らした九銃が俺のシャツを引っ張って来た。
「出てこねーよ!」
「だろうな。そんな簡単な話じゃ無い事は覚悟していた」
「どうするんだ? いつまで待てばいいんだよ!」
「これを使わせて貰う」
俺はポケットから一枚の紙を取り出した。
九銃が描いた猫目青蛙の絵だ。
「こんな時に何の冗談だよ!」
「俺にとっては重要なアイテムなんだよ」
俺は右手に魔力を込め、立体魔法陣を創り出した。
九銃は俺の掌に転がった小さな球体を見て驚く。
「何だよ、その形……。カケルお前、もしかして一種類しか魔法を使えないのか?」
「そうだよ。俺は引力魔法しか使えない」
「マジか……」
だからこそ、出来る事がある。
「今から引力魔法を使って猫目青蛙を引き寄せる」
「はあ!?」
場所と触媒と情報。
この三つが揃っていれば可能なはずだ。
今までも俺は、こうやって無茶なものを引き寄せて来た。
やれない事は無い。いや、絶対に出来る!
『来い! 猫目青蛙!』
立体魔法陣から光が溢れ出す。
視界は白い壁に覆われた。
俺は光の壁に手を伸ばし、「何か」を探す。
頭の中には無数の魔法文字が流れて来た。
それは視界を埋め尽くし、暗闇に取り込まれてゆく。
何だよ、これ。
何が起きているんだ?
身体が……沈んでゆく。
「カケル!」
九銃の声で我に返った。
視界は元に戻り、九銃が心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫か? カケル!」
立体魔法陣が砕けていない。
「失敗だ……」
まだだ。もう一度……!
右手に魔力を立体魔法陣に込め、引力魔法を起動させる。
「カケル……!」
「なっ!?」
九銃に腕を掴まれ、強引に引っ張られた。
魔法に意識を集中させていた俺は、簡単に体勢を崩してしまった。
そのまま移動させられ、モニュメントの裏側で倒れ込む。
「どうした、九銃」
九銃はガクガクと身体を震わせながら、声を振り絞る。
「人が……。誰か来た……!」
「…………!?」
モニュメントの隙間から入口を見ると、確かに人影があった。
……何だよ、あれは。
晴れた夜なのに、何故か傘をさしている。
長い手袋に帽子。全身白のドレス。
はっきり言って異常な格好だ。
だが俺はそんなキャラの魔法使いを知っている。
六年後の世界、ムヒョーイベントに現れた魔法使いの一人。
「貴婦人……!」
魔法局は管理地に入れないはずだっただろ。何でここに居るんだよ!
「カケル。あいつが『貴婦人』なのか?」
「あんな格好の奴が貴婦人じゃ無い理由があるか?」
「だって、おかしいだろ。管理地に入れない契約は?」
「俺達はハメられたかもしれない」
「そんな……」
「九銃。出口はどこだ?」
「出入口は一箇所しか無い」
「アイツの背後かよ……!」
最悪だ。考えられる展開の中で、最も最悪な事が起きた。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
貴賓に満ちた声だ。
だが、その中にナイフの様な鋭い圧を感じる。
貴婦人の顔は帽子で隠されている。
露わになっているのは口元だけだ。
だがそれも、右手に持った扇子によって隠されてしまった。
あれはタダの扇子じゃ無い。
──立体魔法陣だ。
九銃は身を乗り出し、
「カケル。俺が話をして誤魔化してみる」
「待て九銃!」
俺は出て行こうとしていた九銃の腕を掴み、強引に引き寄せた。
「な!?」
そして背中から抱き寄せ、しっかり腕の中でホールドする。
「カケル! 何を……」
「動くな。アレは話が通じる雰囲気じゃねーぞ。少し様子を見た方がいい」
出て行けば問答無用で拘束される。そんな予感しか無い。
貴婦人は歩み寄り、俺達との距離を詰める。
「隠れているのは子供が二人……。相違ありませんね?」
いやいや、何でそんな事が分かるんだよ。何が起きているんだ?
「私は魔法局所属『貴婦人』と申します。今は個人的な理由でこの場所に訪れていますわ」
嘘だろ……。
プライベートで墓参りに来たって理由で管理地に入れるとか、ルールが雑過ぎるだろ!
何で俺達が来たタイミングに合わせて現れた? 狙って来たとしか思えない。
こいつの能力は一体何なんだ?
「フフフ……。まさか、こんな時間に水鞠家の従者が居るとは幸運でした。お陰で私は墓地に入る事が出来ましたわ」
幸運……?
まさか、それがコイツの能力だって言うのか?
「さて、貴方達がここに来た理由をお聞かせ願いますか? ……いえ、言わなくとも私には分かりましてよ?」
貴婦人はモニュメントを指差し、
「そこにある瓶の中身は像換獣の触媒ですわ。つまり貴方達はこの場所に像換獣を探しに来た……。もしくは呼び出しに来た……と言う事です」
マズい。全部バレている。
「魔法局としては『歪み』を生み出した像換獣を捕獲、もしくは破壊をしなければなりません。私に協力をお願いしますわ。……と言っても、この状況を考えると無理な相談なのでしょうね」
「カケル……」
九銃の身体の震えが止まらない。
「大丈夫だ。俺が何とかしてみせる」
「違うんだ」
「九銃?」
「寒い……」
「え!?」
九銃の息が白く濁っている。体温がみるみる冷たくなってゆく。
『氷牢』
嘘だろ……!?
結界だ。いつの間に……!
結界を展開していた事にすら気付けなかった。
俺とアイツの間に、どれだけの実力差があるって言うんだよ。
冷気を操る結界なのか?
でも九銃だけ冷気の影響を受けるのは何故だ?
冷気……。
──そうか。
俺は火喰甲魚と契約しているから冷気に耐性があるんだ。
「カケル……寒い……」
「九銃!」
俺は自分の体温が伝わる様に九銃を強く抱きしめた。
だが、冷気の結界は容赦なく九銃の体温を奪ってゆく。
このままじゃ九銃が危険だ。
『戻れ。土煙田亀』
俺は土煙田亀を解除し、新たに立体魔法陣を創り出した。
『来い。火喰甲魚』
立体魔法陣が乾いた音を立てて砕け散る。
破片は氷の結晶となり、古代魚の姿に変化した。
『火喰甲魚! 冷気を防げ』
命令は実行され、火喰甲魚の能力により冷気は無効化された。
九銃の体温が戻ってゆく。
「カケル……! お前……! 火喰甲魚を……。像換獣を二体……!?」
「俺に任せろ。絶対に脱出してみせる」
こうなった以上、素性を隠し続けるのは無理だ。
ここから脱出する事だけを考えるしか無い。
まずは火喰甲魚の能力で氷の弾丸と壁を作り、それを囮にする。
相手が攻撃魔法が使用不可の状況なら、逃げるチャンスはあるはずだ。
貴婦人は足を止め、
「火喰甲魚とは珍しい……! 貴方は特殊な能力を持つ術士の様ですわね。フフフ……」
余程嬉しかったかのか、言葉が弾んでいる。
「どうやら、まだここから逃げれると考えている様ですわね。火喰甲魚が私の『氷牢』に耐え切れるでしょうか?」
貴婦人の持つ扇子が光を放つ。
扇子はガラスの様に砕け散り、破片は氷の結晶へと変化した。
「カケル……! 息が……!」
九銃の吐く息が白く変化して行く。
身体の震えが止まらない。魔法の力で体温が奪われている。
「九銃!」
「寒い……」
これが攻撃魔法じゃ無いって言うのか? デタラメにも程があるだろ。
火喰甲魚でも冷気を防げない。ダメだ。もう限界だ。
その直後。頭の中に文字が浮かんだ。
『火喰甲魚 魔法エンジン停止』
……は?
貴婦人は扇子で仰ぎつつ、
「勝手ながら、火喰甲魚は停止させて頂きましたわ」
……停止!? どうやって!?
「ここは氷牢の中。氷の魔力は全て私の制御下となります。これでもう、火喰甲魚は使えませんわ」
「嘘だろ……」
強過ぎる。これが魔法局の魔法使いの実力なのか。
このままではやられる。
せめて九銃だけでも助けたい。もう降参を選ぶしか……。
『火喰甲魚 魔法エンジン 部分的連結解除』
『魔法エンジン 再起動』
え……!?
何でまた頭の中に文字が浮かんだ?
部分的連結解除って何だよ。
『火喰甲魚 自爆モードに移行』
自爆……!? 自爆って、何の冗談だ?
火喰甲魚の身体が赤光に覆われた。
体内の魔法のエンジンが高速回転を始めている。
いや、回転が速過ぎる。まさか本当に……!?
それを見た貴婦人は一歩下がり、
「暴走……。なるほど。火喰甲魚を自爆させるつもりですわね」
九銃が俺のシャツを掴む。
「カケル……!?」
「違う! 俺はそんな事を命令していない!」
何でそんな事に!? ダメだ! 自爆なんてさせない!
俺には火喰甲魚が必要なんだ!
お前がいなくなったら水鞠と一緒に戦えない。
未来が変わってしまう。
『戻れ! 火喰甲魚!』
火喰甲魚は動かない。
まるで命令を拒否するかの様に悲痛な雄叫びを上げた。
何でだ!? 何で自分で召喚した像換獣が戻せないんだよ……!
『命令だ! 戻れ火喰甲魚! 戻ってくれ!』
火喰甲魚の全身から白煙が噴き出す。
眼が激しく点滅し、黒く染まる。
「ダメだ! 早く戻ってくれ!」
その直後、火喰甲魚の体は一瞬にして氷の塊に変化した。
力無く地面に落下し、衝撃で粉々に砕け散る。
「あ……」
俺の掌に光が灯っている。
震える手を開くと、小さな氷の破片だけが戻っていた。
それは俺の体温で溶け出し、水滴となって地面に落下してゆく。
「火喰甲魚……」
自爆は阻止出来た。
だが俺の中にある魔法空間に火喰甲魚は存在しない。完全に消滅している。
火喰甲魚が……死んだ。




