第123話 日高誠と七兵衛のアトリエ
たびたび魔力切れを起こす九銃を休ませながら四十キロを移動。
二人乗りの魔法自転車は市街地を外れ、田舎道を走り続ける。
予定より一時間以上遅れ、ようやく目的地付近に到着した。
「この辺りだよな」
俺は自転車を止め、地図で位置を確認する。
一帯は生い茂った森に囲まれている。
ワタヌキ魔法商店のある場所に雰囲気が良く似ているのは偶然だろうか。
もしかして魔法使いってのはこういった場所が好きなのか?
「カケル! 小屋が見えるぞ」
九銃の指差す方向に、ボロボロの小屋があった。
曇り空と相まって、お化け屋敷の様な不気味さだ。
「なあ九銃……。あれがアトリエなのか?」
「流石に……違うだろ」
「……だよな」
すると九銃はヘッドセットに手を当て、
「通信機で綿貫に訊いてみようぜ」
「待て。その前に小屋の中を探索してみよう」
「マジかよ!?」
「何か隠されているかも知れないだろ」
俺は魔法自転車を木陰に隠し、九銃を連れて小屋へと向かう。
小屋の扉は外れているので、簡単に入る事が出来た。
中には何も置かれて居ない。もぬけの空だ。
「どう思う? 九銃。……九銃?」
返事が無い。
振り返ると、そこに九銃の姿は無かった。
「九銃……?」
──しまった!
魔法現象? 敵の攻撃か?
慌てて小屋から出てみると、あっさり九銃は見つかった。
さっき隠した魔法自転車の辺りに、九銃が立ち尽くしている。
俺は急いで九銃に駆け寄り、
「何かあったのか?」
「いや……。何も……」
そう答えた九銃の顔色は青褪め、足はガクガクと震えている。
え……? まさか……。
「怖いのか?」
「こ、怖えーよ! て言うか、お前は怖くないのかよ!」
「まーな」
よく考えてみれば、九銃はまだ幼い子供だった。
俺の姿も十歳のままだし、頼りになる大人が居ないのだから怖いのは当たり前だ。
想像を超えた魔力の弱さも、この年齢なら普通の事かも知れない。
真壁スズカみたいな化物と比べた俺が馬鹿だった。
俺は恐怖で蹲ってしまった九銃の前に膝をつく。
「九銃。頼むから一緒に来てくれないか? 俺にはお前の助けが必要なんだよ」
「必要……。俺が……?」
「おう。お前がいないと達成出来ないミッションだからな」
すると九銃は分かりやすく口元を緩ませ、
「そ、そうだよな。……わかったよ」
「よし! 行くぞ」
俺は太った少年の右腕を掴み、手を繋いで歩き出す。
「ちょ……」
「何かあったら俺が守ってやるよ」
「なっ……」
九銃は迷子の子供の様に俯いてしまった。
その様子が小さい頃の妹と重なり、懐かしい気持ちになった。
何だよ。可愛い所もあるじゃないか。
「行くぞ」
俺と九銃は慎重に小屋の内部へ踏み入った。
変化は起きない。魔力の動きも感じない。
「……どうするんだよ。何も変わらねーぞ」
九銃は不満そうだ。
「なら、一度外に出てみるか」
九銃と手を繋いだまま、小屋の外へ出た。
「あ……!」
目の前には古びた洋館が出現していた。
なるほど。従者が小屋に入ってから外に出る事で鍵が開くシステムだったみたいだな。
外観は水鞠家の屋敷に雰囲気が似ている。
間違いない。これが水鞠七兵衛のアトリエだ。
建物のサイズは小さく、普通の一軒家程度。
屋根からは、高さ七メートル程の塔の様な物が伸びている。
「カケル! 煙が……!」
俺と九銃の全身から煙が吹き出した。そして魔法迷彩が消滅してゆく。
「土煙田亀が強制解除されたみたいだな」
この場所では像換獣が無効化されるのか?
像換獣の製作者のアトリエなら、そうなっていても不思議は無い。
「急ぐぞ九銃」
「お、おお……」
扉の鍵は開いていた。
アトリエの中は薄暗く、いかにも魔法使いの研究所といった雰囲気だ。
アンティーク調の棚には、ビーカーやらフラスコみたいな実験用の器具らしき物が所狭しと並んでいる。
「持ち主がいなくなっても、そのままになっているんだな」
「当たり前だろ。七兵衛様が亡くなってから半年しか経ってないんだぞ」
「そ、そうか……」
「片付けたら、思い出も消えちまうだろ」
そう言いながら九銃は棚を開け、中に手を突っ込む。
並んでいる瓶を取り出すと、首を傾げた。
「青の粉が無い」
「え? 何で分かるんだ?」
すると九銃は瓶のラベルを指差し、
「ここにシリアル番号が入っているんだよ。順番通りになっていたから、すぐに分かったぞ」
「番号……?」
「何だ。綿貫から聞いてなかったのかよ」
「俺は何も」
「何だよそれ」
「きっと九銃を頼りにしているんだろ」
「そ、そうか? そう言う事か?」
何だか嬉しそうだな九銃……。分かり易い奴だ。
「それで、触媒はどこに消えたんだ?」
「使い切ったのかな。それとも、どこかに置き忘れたか……」
「九銃。他の部屋を一つ一つ確認してみよう」
「ちょ、カケル! 引っ張るなよ!」
アトリエの探索を開始。
九銃と全ての部屋を回ったが、青の粉は無かった。
あと調べて無いのは……。
「なあ九銃。屋根から突き出た塔は何だ?」
「そんな事も知らないのかよ。あれは魔力増福炉だ。魔法製造者が特殊な魔法を生成する時に使う物だぞ」
「どうやって使うんだ?」
「あの上に立って……って、まさかカケル……」
「塔に登ってみる」
「あれにか!?」
「上に瓶を置き忘れているかも知れないだろ? あの場所で像換獣を作っていたなら可能性は高いはずだ」
俺は九銃の手を引っ張り、屋敷を出た。
内部から塔に登る階段は無かった。だとすれば、外側から行けるに違いない。
「カケル! ちょっと待てって!」
九銃は抵抗を試みるが、お構い無しに強引に連れ出す。
塔に上がる方法はすぐに見つかった。
屋敷の裏側の壁に鉄製のハシゴが打ち込まれていて、塔の上に繋がっていた。
「九銃はここで待っていてくれ。痛っ!?」
ハシゴに触れた瞬間、俺の手が弾かれた。
それを見た九銃は溜息混じりに、
「やっぱりか。俺が先に行かなきゃダメみたいだな」
「上がれそうか?」
「い、行くしか無いんだろ? やってやるよ!」
九銃が震える手でハシゴを登ってゆく。
その後でハシゴに触れてみると、俺の手が弾かれる事は無かった。
「俺も登るぞ」
建物の外側に張り付く様にハシゴを登って行く。
さながら煙突工事の作業員だ。
身体が剥き出しになるのは怖かったが、下を見なければどうと言う程でも無い。
心配だった九銃も、どうにか登りきる事が出来た様だ。
塔の上には何も無かった。
落下防止の柵が設置されているだけの簡単な造りになっていて、景色を眺めても森と山しか確認出来ない。
曇っていた空は更に暗くなり、今にも雨になりそうだ。
「カケル! これだ! 落ちてたぞ」
九銃の手に、ガラスの瓶が握られている。
「あったか! マジか……!」
一か八か登ってみて良かったぁ。
いや、ちょっと待て。
「空だぞ?」
瓶の中には何も入っていない。
「大丈夫だ。まだ少し残ってる」
九銃が瓶をバシバシと叩き、斜めに傾けると、青い粉が微かに見えた。
「これだけでもいいのか?」
俺は瓶を受け取り、底から覗き込む。
その直後、九銃が慌てた様子でイヤホンマイクに手を当てた。
「どうした?」
「カケル。綿貫から通信だぞ」
「綿貫さん!?」
通信は緊急の時にしか使わない話だったはずだ。
嫌な予感がする。俺はヘッドセットを通信モードに切り替えた。
『カケル君。そこから離れろ! 今すぐにだ!』
綿貫さんは、かなり焦っている様子だ。
「何かあったんですか!?」
『魔法局の奴らがアトリエに向かっている! そこに居ると鉢合わせになるぞ! 結界を張られたら感知されるよぉ』
綿貫さんの通信の後、真壁スズカに切り変わる。
『魔法局が水鞠家に協力を依頼した。ナナセを連れているから、アトリエの鍵が開くよ』
「嘘だろ……」
何で今なんだよ……! タイミングが悪すぎる!
真壁スズカが話を続ける。
『ハッキングして分かった情報によると、アトリエに向かっている契約魔法士は分かっているだけで二人。コードネームは「レスラー」と「アフロ」。実力は不明』
「レスラー!? アフロ!?」
……まさか、ムヒョーイベントに居た魔法使いじゃないだろうな。
いや、絶対そうだろ!! そんな怪しいキャラクター、二人も三人もいる訳が無い!
水鞠は言っていた。
イベントに来ていた魔法使いの内、エースナンバーの実力を持つ奴がいるって。全員が強力な魔法使いだって。
六年前は魔法局の魔法使いだったのかよ。最悪だろ。
そんな奴らに俺が勝てる訳が無い。絶対絶命のピンチじゃねーか!
「九銃! すぐに脱出するぞ!」
俺はハシゴに手を掛け、先に下へ降り始めた。
「九銃……?」
九銃が降りて来ない。何やってんだよアイツは……。
途中まで降りていたハシゴを上がり、塔の上に戻る俺。
するとそこには、しゃがみ込む九銃の姿があった。
身体が激しく震え、大量の汗を全身から吹き出している。
「九銃……。まさか、降りれないのか?」
「うるせぇ! 俺は……高い所が苦手なんだよ!」
「そんな事、何で今更……」
九銃は声を振り絞り、
「……俺を置いて逃げろ。俺だけならナナセが魔法局に上手く言い訳してくれる」
「いやいや、お前がいないと、ここから出れないんじゃないのか?」
「そ、そうか……鍵か。確かに……」
やはりか。九銃と一緒じゃないと、俺はアトリエから出る事が出来ない。どうする?
九銃は涙目で震え出し、
「でも俺……動けねーよ……!」
九銃は限界だろう。これ以上は無理をさせられない。
「分かった」
「カケル……」
俺は九銃に近寄り、優しく頭を撫でた。
「ここまでありがうとな。お前は残ってくれ。一か八か、魔法局が鍵を開けた瞬間に外に出てみる」
九銃とはここでお別れだ。
水鞠家従者の子供が一人でこんな場所に居るのは不自然だ。
今回は見逃してくれたとしても、マークされるのは間違いない。
そうなったら俺と一緒に行動する事は難しくなる。
だから、先に別れの挨拶をしておいた。
「ふ、ふざけるな」
九銃が這いつくばったまま、ハシゴに向かって行く。
「おい……!」
「降りる。やっぱり俺も一緒に行きたい」
「九銃……?」
「か、勘違いするなよ! 俺はコトリ様を助けたいだけなんだからな!」
九銃はゆっくりとハシゴを降り始めた。
俺も後を追い、ハシゴに手を掛ける。
その瞬間、九銃の身体の震えが起こす振動が、ハシゴを通して伝わって来た。
「頑張れ九銃! もう少しだ」
「うあ……!?」
九銃は最後の一メートルで手を離し、地面に倒れ込む。
俺はすぐさまハシゴから飛び降り、九銃の身体を起こした。
「大丈夫か!?」
「お、おお。い、意外と大した事は無かったな」
強がってはいるが、九銃はクシャクシャの泣き顔になっていた。
「良かった。怪我が無くて」
俺は九銃を抱き寄せ、頭をゴシゴシと雑に撫でる。
「お、大袈裟だっつーの! 馬鹿にするなよ! 速く逃げるぞ!」
「お、おう」
そうだ。魔法局の奴らが来る前に脱出しないとゲームオーバーになる場面だった。
俺は九銃と小屋に入り、もう一度外へと移動する。
鍵が掛けられ、アトリエは姿を消した。
「急げ!」
俺と九銃は木陰に隠してあった魔法自転車に乗り込み、魔力を流し込む。
後輪の謎のパーツから白煙が吹き出し、エンジンが回り出した。
『来い! 土煙田亀!』
土煙田亀を召喚。
魔法迷彩を発動すると同時に、魔法自転車は超加速で走り出した。
一瞬でアトリエから遠ざかり、森の中を抜け、舗装された道路を軽快に進む。
ミッションクリアだ。
目的の触媒を手に入れたぞ!
「カケル! もっと速く!!」
荷台に座る九銃が俺の脇腹を叩いて来た。
「え!? 何だって!?」
俺は前を向いたまま、大声で訊き返す。
「何かが……追って来てる!」




