第9話 日高誠と黒い空
夕暮れの風景が車窓を流れてゆく。
それを眺めながら「時間よ早く進め」と念じてみた。
俺にそんな特殊能力があるはずも無い。
学校のある東谷駅から十五分間の電車の移動は退屈なまま経過。
そのまま自宅のある二合駅に到着した。
人波に紛れながら改札口を出る。
その先にある小さなロータリーが見えて来た。
寂しそうに立つバス停には、帰宅民の短い列が出来ている。
いつもと変わらない二合駅の光景だ。
だが、そこでふと違和感を覚え、足を止めた。
星一つ無い不気味な空だ。
墨をブチ撒いた様な分厚い雲が月明かりに蓋をしている。
気にしなければそれまでの事かも知れない。
でも、何だかイヤーな予感がする。
何度も訳の分からない現象に巻き込まれている俺だ。
流石にヤバい雰囲気を察する様になっている。
……一応家に連絡してみるか。
スマホを手に取ると、既に画面にはメッセージが表示されていた。
母さんからだ。タイミング良いな。
『いつ帰るの?』
良かった。ちゃんと俺の存在は認識されているみたいだな。
『あと十分程で家に帰る』とメッセージを送る。
すると、海老が踊っている謎のスタンプが返って来た。
よし、平常運転だな。
駅を離れてしばらく進み、住宅地が建ち並ぶ地域に入った。
この辺りは大きなマンションは無い。
アパートや一軒家が多い地域だ。
街灯はそれなりにあるが、全体的に薄暗い。
都内から電車で一時間程の地域なんてのは大体こんなものだ。
そう思っているのだが、今日に限っては何かがおかしい。
人通りが全く無い、独りきりの状態だ。
家に近付くにつれ車の音や生活音までもが闇に消えてゆく。
焦りから自然と駆け足になる。
……まさか、帰ったらまた透明人間に戻っているってオチか?
「嘘だろ……。やめてくれよ」
細い路地に入る。奥には自宅の屋根が見えている。
「…………!?」
人影だ。
俺の家の前に誰か居るみたいだ。
美希……? いや、違う。
走るスピードを緩め、そのまま足を止めた。
薄暗い街灯だけでは顔がはっきり見えない。
でも俺にはそれが誰なのか、シルエットから想像出来てしまった。
小さな顔、肩までの髪。スラリと伸びた長い手足。
東谷町に住んでいるはずのお前が、何でここに居るんだよ。
「志本紗英……!」
待て。
落ち着け。あれは本物なのか?
確かめる為に一歩、二歩と、慎重に距離を縮める。
静寂の中、二人とも時が止まった様に動かない。
東谷高の制服……。
間違い無い。志本紗英が目の前に居る。
これは夢か? 幻なのか? そのどちらでも無いのなら……。
コイツは結晶体だ。
第二段階は生み出した本人の姿になるって話だ。
間違い無いだろう。
最悪だ。水鞠コトリの言った通りになっちまったぞ。
俺を消そうと願ったのは志本紗英だった。
こうなったら逃げるが正解だ。
そう頭では分かっている。なのに思う様に身体が動かねぇ……!
対峙したまましばらく時が過ぎてゆく。
そんな中、先に動いたのは志本紗英だ。
肩に掛けていた自分の鞄に視線を移す。
そして無駄の無い動きで中から何かを取り出した。
あれは……スマホか……?
志本紗英はそれを耳にあて、通話を開始した。
「警察ですか? 目の前にストーカーが居ます。早く来てください」
ん…………?
……ここで一度状況を整理しよう。
暗い夜道に二人だけ。
志本紗英はスマホを手に取り通報している。
……誰を?
「ちょ、ちょっと待て志本!」
慌てて駆け寄ると、怯えた様子で身を引いてしまった。
完全に犯罪者と被害者の構図だ。
このリアクションでハッキリした。
目の前に居る志本紗英は結晶体じゃ無い。正真正銘の本人だ。
何かおかしいと思ったんだよ!
いや、今はそんな事よりもやるべき事がある。
早く通報を止めさせないと!
「通報するな! 待ってくれ! この家、俺ん家だから!
表札! 表札見て!」
確かに通報してくれとは言ったよ。
でも、いきなりは流石に酷過ぎるでしょ!?
「はい?」
怪訝そうに眉毛をハの字する志本。
携帯電話を耳に当てたまま表札を確認する。
そして目を見開いた。
「日高……」
「俺の名前! 日高誠! 俺は自分の家に帰って来ただけだ。
頼むから通報をやめてくれ!」
自宅の前で警察沙汰とか洒落にならない。本当に勘弁してくれよ!
「本当なんだ……」
志本はそう言って、気まずそうに右手で前髪を整えた。
良かった。どうにか分かってくれた様だ。
「心配しないで。警察は来ないから。通報したフリをしただけ」
志本は少し照れた様な、柔らかい表情に変わった。
「ごめんなさい。日高がここに住んでると知らなくて」
「生まれてから十六年間ずっとな。逆に何で志本が居るんだよ」
「私、この近くに引っ越して来たんだ。三日前に」
引っ越して来た……? 近くに……?
しかも三日前……!?
そこでようやく全てが繋がった。
俺は昨日の夜、駅前のコンビニまで買い物をしに行っていた。
その帰り道、俺の歩く先には部活帰りの志本が居た訳だ。
だとしたら確かに彼女が見たのは俺の姿で間違い無い。
何だよ。このふざけた展開は。
いきなり近所に引越して来るとか。
未来の行方が斜め上に行ってるじゃねーか!
「……そんな事が本当にあるのか?」
すると志本は右手を伸ばし、路地の奥を指差した。
「すぐそこ。四角い屋根が私の家だけど」
「……って近っ!?」
道路を挟んで四軒目の場所だ。
そういや最近まで新築の一軒家を建てていたな。
「信じられないなら見に来ればいいよ」
そう言って志本は先に歩いて行ってしまった。
急いで志本の後を追い掛ける。
確かに家の表札には「志本」と書かれていた。
どうやら本当の話だったらしい。
志本は「ほらね」と、何故か得意気だ。
「まだ信じられない?」
「こんなの、もう信じるしか無いだろ」
「な、何だか凄く嫌そうだね……」
「同級生が近くに住んでいるだけで面倒だろ」
よりによって志本紗英だぞ? 嫌な予感しか無い。
そんな俺の反応に志本は強気な態度で、
「ストーカー犯扱いしたのは悪かったよ。
普通はそんな偶然あると思わないでしょう?
今だって怪しい感じで近付いて来たし」
「そ……それは悪かったな」
結晶体かと思っていたからな。不審な動きにもなるわ。
この謎過ぎる現象を水鞠コトリに伝えないと……。
ってか、連絡方法が分からねぇ。
頭を抱えていると、志本が首を傾げて覗き込んで来た。
「どうしたの?」
「い、いや。何でもない」
しかしまあ。
あれだけ俺を警戒していたのに、随分と切り替えが早いな。
俺には理解出来ない思考回路だ。
「スマホ。鳴ってるよ」
志本紗英が俺のスマホを指差す。
「あ、ああ……」
母さんからだ。
飯の時間に遅れたから、メチャクチャ不機嫌になっていそうだな。
「じゃあな志本」
「あ、うん」
俺はひとり志本の家を離れて路地を戻る。
ドアの閉まる音が聞こえた後、足を止めて振り返った。
「何が起きているんだよ……」
吉田といい、志本といい、おかしな事ばかりだ。
俺は……未来を変えたんじゃないか?
引き寄せる魔法の力で。
「日高!」
突然呼ばれて驚いた。
鼻に掛かる特徴的な声。
その声の主は俺の家の前で目を光らせ、仁王立ちで待ち構えていた。
「水鞠コトリ……!?」




