9.魔女を探す者(2)
魔力を移譲するための器としてはあまりにも粗末な娘。思わず激高して息の根を止めようとした魔女を使い魔は必死に止めた。
他に手段のない魔女は仕方なくユリアーナに自身の魔力を移譲し、死ぬ間際まで使い魔のことを気にかけながら塵となって消えた。自分が生んだ娘のことは欠片ほども気に留めることはなかった。
人間の体を持つ生まれたばかりのユリアーナでは、魔女の魔力に耐えることができなかった。残された二人は、血を吐きながら小さな鳴き声をあげる赤子が哀れで労しくて、敬愛する主人のしたこととはいえ、なんて仕打ちをするのかとやるせない気持ちになった。
それが使い魔を生かすため、自分達のためだと分かっているから尚更罪悪感に苛まれた。
やがて弱り切った小さな体は目を覚ますことがなくなった。
年を取ることもなく眠り続けるユリアーナは、生きているのか死んでいるのかすらも怪しかった。息すらしていないのではないかと思われるくらいに微動だにしない赤子を、アルファーとリィスは見守り続けた。
二十年近くかけて魔力がユリアーナの体に少しずつ馴染んだところで、やっと赤子は目を覚ました。それからも少し起きてはまた眠ることを繰り返し、ずっと起きていられるようになったのはこの十年ほどだ。
ユリアーナが目を覚まして一匙ずつ乳を飲みだした時は、アルファーもリィスもやっと哀れな子が過酷な状況から解放されると歓喜した。
「わたし今日はもう難しいお話はいらないと思うの。それよりもアガトに読んで欲しい本がある。わたしの名前のお姫さまの本」
急いで立ち上がると、テーブルの上の絵本を両手で抱えてソファに戻る。祭りで出会った青年に譲られた本の表紙には可愛らしい少女が描かれていた。
「懐かしいですね。お祭りで買ったんですか?」
リィスが目を細めながら僅かに口元を緩めた。
「どうしてこの本を取っておいてくれなかったの?」
口を尖らせてユリアーナがリィスに食い下がると、リィスがユリアーナに微笑みかける。
「本のユリアーナよりも、本物のユリアーナの方がずっと可愛いらしいでしょう?本を取っておく必要などないではありませんか」
リィスはユリアーナを見ながらうっとりと顔を蕩けさせている。この状態のリィスには何を言っても仕方がないので、ユリアーナは素直に引くことにする。
「とにかく、今からアガトに本を読んでもらうから、二人は部屋に帰って!」
渋々腰を上げた二人はそれぞれの部屋へと戻っていった。それがユリアーナの心遣いだと分かって、アガトは申し訳なさでいっぱいになった。
二人でアガトのベッドに上がって、初めて読む絵本を開く。本文に書かれた自分の名前を指でなぞりながら、ユリアーナは満足そうに微笑んだ。
アガトはユリアーナを捕らえようとしている教会側の人間だ。そんなアガトにユリアーナは心を砕いて居場所を作ってくれる。誰も触れてくれなかったアガトの頭を撫でてくれる。この温かな存在をあの醜悪な教会などに渡すことはできない。
「また難しいこと考えてるの?」
決意するアガトをユリアーナが覗き込んで首をかしげる。
「考えてないよ。さっきの話だと魔女はユリアーナへの情が薄いように聞こえるね」
アガトはユリアーナに言い辛そうに切り出した。魔女がどうして自分の娘にそこまで冷淡な態度を取れるのか、それをユリアーナがどう思っているのかがずっと気になっていた。
「魔女はわたしを使い魔を生かすための魔力の器としか思っていなかったから」
「悲しい?」
「元々知らない人だから何も思わない」
それはユリアーナの紛れもない本心だった。愛された記憶もなければ虐げられた記憶もない。ましてや殺されそうになった記憶などあるはずもない。魔女は自分を生んだだけの全く関わりのない相手だ。
森の外を知らないユリアーナは、子を慈しみ愛情深く接する母親というものを知らない。ユリアーナにとってそれはアルファーであり、リィスであるからだ。
「父親はアルファーなの?」
「違う。魔女とアルファーは恋人同士だったけど、自分の使い魔とは子供はできない」
あの溺愛振りからてっきりアルファーが父親なのかと思っていたアガトは、意外な言葉に衝撃を受ける。ユリアーナは眉尻を下げると意を決して口を開いた。
「アルファーはわたしを名前では呼ばないでしょう?」
それはアルファーの心の表れだとユリアーナは思っている。心から可愛がって愛してくれている。しかしユリアーナは愛した魔女が生んだ他の男との子供だ。魔力を継いだユリアーナの使い魔となっても、アルファーにとってユリアーナは未だに主人の生んだ娘なのだろう。
「それよりも、早く本を読んで欲しい!」
絵本のことはてっきり二人を部屋から出すための口実かと思っていたら、ユリアーナは本気だったようだ。すっかり脱力して、昼間の重苦しい気持ちがすっかり消えてしまっていることに今になってアガトは気づいた。
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アガトは朝から何かを話そうとしては、すぐに口を噤むということを繰り返している。アガトの葛藤が手に取るように伝わってきて、アルファーはなんともいえない気分になる。ユリアーナが秘密を話したから、自分もそれに応えるべきだと思っているのだろう。
ユリアーナは同じ年頃の少女よりもかなり幼い。アガトも八十年生きてるという割には、外見も中身もてんで子供のようだ。なんとも子供をいじめている気分になって、アルファーは朝から気分が冴えない。
リィスの作った朝食を食べた後、ユリアーナがアガトにまた昨日の絵本を読んで欲しいと強請る。アガトが絵本のユリアーナ姫の名を口にすると満足そうに顔を綻ばせる。やがて読書に満足したユリアーナが、今度は散歩へ行きたいと言い出した。
「森に散歩に行きたいの」
「昼間だけど、外に出ても大丈夫なの?」
アガトとアルファーの間に、昨夜からの微妙な空気が漂っていることを察したのだろう。この誘いに乗った方がいいのかアガトは迷っていた。
「魔女の力は魔性の力だから。人の器で魔性の力を持っているわたしは日に当たれないの。でも森の中は暗いから大丈夫」
ユリアーナが椅子に座るアガトの前腕を持って、立ち上がらせようと躍起になる。アガトが迷っていると、目をつり上げたアルファーがユリアーナを抱え上げた。
「まさか、子供だけで外に行くんじゃないよな?」
「……アガトに意地悪しない?」
じっとユリアーナに見つめられたアルファーはうなだれて、しないと細い声で言う。二人のやり取りを見ていたリィスは、アルファーの肩を叩いて珍しく一緒に外に出る。
「仕方がないので私も一緒に行ってあげますよ」
ユリアーナはただ自分が外で遊びたかっただけじゃないかというくらいに楽しんでいる。野草の蕾を見て歓喜して、赤い実が生っていないことにがっかりする。少しもじっとしていないユリアーナを追って、アルファーは右往左往する。
アルファー達が先に進むので、後ろからアガトとリィスが追う形になる。何を話すこともなく無言で歩を運んでいたアガトだったが、ふと思っていたことを訊ねてみる。
「あなたは僕を家に入れることを、反対しなかったんですか?」
アガトの問いにリィスが足を止めて振り返ると、じっとアガトを見入っている。
「私はユリアーナの望むことに反対はしません。アガトを拾ってユリアーナはよく喋るようになりました。ユリアーナが楽しそうにしているので、反対する理由がないのです。それにあなたに本を読んで欲しいと強請るユリアーナも愛らしい。それに……」
「あ、あの、もう大丈夫です」
いつになく早口で、ユリアーナの可愛さだけを延々と話し続けるリィスをアガトが必死に止める。




