4.森の外(1)
ユリアーナは飽きもせずに、日がな一日アガトの近くにいる。今も二人で読んでいる本に出てきた祭りの描写に興味津々だ。
「お祭りって楽しいの?」
「皆祭りは大好きだよ。飲んだり食べたり踊ったりが朝から深夜まで続くんだ」
「楽しそう。アガトも行ったことある?」
「昔、領地の祭りの手伝いをしたことがあるよ」
そこまで言ってアガトが一瞬はっとした顔をしたが、何もなかったかのようにすぐに元の表情に戻った。
ユリアーナが手に持っていた焼き菓子をアガトに差し出すと、餌付けされる雛鳥のようにアガトが口を開けた。アガトは食が細く自分からはあまり食べないが、ユリアーナと一緒であれば素直に食べるため、ユリアーナは親鳥のように甲斐甲斐しくアガトの世話を焼く。
「お祭りにわたしも行ってみたい」
「そろそろ収穫祭の頃だね。行ったことないの?」
「わたし、森から出たことない」
アルファーは時々食糧などの買い出しに出かけることはあるが、ユリアーナとリィスが出かけることはない。たまに外でリィスと野草や香草を摘んでいることはあるが、あくまで日が落ちた後だ。アガトが拾われた日も小雨の降る曇天だった。
アガトは怪我のために出かけることはもちろんできないが、アガトが拾われてからユリアーナが出かけたことも一度もないのだ。
「ユリアーナは外に出ませんね」
暖炉に薪をくべているアルファーにアガトが問いかける。振り向いたアルファーはその意図を理解して、隣で薪を渡そうと待機しているユリアーナの腕を引っぱる。なされるがままにしているユリアーナが、不思議そうな顔をしてアルファーを見ている。
「こいつの生っちょろい腕を見てみろよ。生まれつき肌が弱くてな。日に当たりすぎると赤く腫れ上がってしまうんだ。最近はそうまでないが、以前は昼間に無理やり出て行って、皮はむけるわ腫れて痛がるわ痒がるわ、大変だったんだよ」
腕をまくったユリアーナの白磁の肌を見せてると、そのまま両手を引っ張り上げてユリアーナを抱え上げた。抱え上げられたユリアーナはそのままアルファーの肩に腕を回して、アルファーと目線を合わせる。
「わたしお祭りに行きたいの」
「は?」
「もうすぐお祭りがあるんだって。お祭りに行ってみたいの」
「はあ?」
「お祭りは夜中まであるんだって。わたし夜なら大丈夫だと思うの」
駄目だ嫌だの応酬が何日も続いた後、アルファーが根負けして森の外へ出ることを渋々許した。
あまりに頑ななアルファーに立腹したユリアーナが、一言も口を利かなくなったことが効いたようだ。
アガトがいない頃は話し相手のいなくなったユリアーナがついアルファーに話しかけて、気がつくと喧嘩が終わっていることが多かったが、アガトがいる今その手は通用しなかった。
ユリアーナに無視され続けている間、アガトにはしょんぼりとするアルファーが一回り小さくなったように見えていた。
「昼間は絶対駄目だぞ」
「分かった」
「夜にちょっとだけ雰囲気を楽しんで帰るぞ」
「分かった。努力する」
「努力ってなんだよ。すぐに帰るぞ」
「楽しかったらもう少しいたくなるかもしれない」
「迷子にならないように、手を離すなよ」
「絶対離さない。あ、でも両手が塞がって転んだらどうしよう」
「両手?」
アガトが不思議に思って声を出すと、ユリアーナが振り返って不思議そうに首をかしげる。
「アガトも行くの」
「……まだちゃんと歩けないよ」
「お祭りは来月の終わりなんだって。治るといいね」
街へ出ると聞いてから、アガトの心に不安が影を落とす。
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祭りの会場となる街は、目隠しの森に最も近い町から馬車で一時間程の場所にある。
何もかもがユリアーナにとっては初めての経験だった。森から出るのも、近くの町に行くのも、自分達以外の人を見るのも初めてのことで、興奮して感情の赴くまままくし立てるユリアーナをアルファーは必死に宥め続けた。
「分かったから、お前はちょっと黙ってろ。目立ってるだろうが」
こじんまりとした家が建ち並ぶ町の一ヶ所に、人が集中していた。祭り会場の街へ行く馬車が停まる場所だ。町にやって来る相乗り馬車に次々に乗り込む町の人達。やっとユリアーナ達の番がやって来て、アルファーに手を引かれながら初めての馬車に乗る。
ユリアーナ達の乗った馬車は、祭りへ向かう人で満員だった。馬車に興奮したユリアーナは幌の隙間から外を眺めたり、馬車に乗る人を観察したりと、落ち着きなく色々なものに視線を注いでいる。
それに反して、アガトは何かに気を取られていているかのように、ぼんやりと刈り取られた麦畑の方に顔を向けている。しかし、顔を向けているだけでその目には何も映していなかった。
「アルファー、暑い」
きっちりと首やふくらはぎまで覆う厚手の服を着て、ブーツと手袋、極めつけにつばの広い帽子で肌を隠したユリアーナは見るからに暑そうだった。縞模様の黄緑色のワンピースはユリアーナによく似合っていたが、肌の露出を極限に減らしたがゆえに全体的に重たい印象を与える。
本来はユリアーナの体質を考えて夜に来る予定だったが、夜になると人が増えて祭り会場にすら入れないかもしれないと聞いて少し早めに家を出ることにした。
森は夏でも気温が低く、暖炉に火を入れることも少なくない。秋近くになれば火は絶えず燃え続ける。外の気温に初めて触れたユリアーナは、森との気温の差に面食らっていた。
「夜は冷えるから大丈夫だ」
「今、暑い」
「お嬢ちゃん、お祭りは初めて?」
ユリアーナの隣に座った老婆が問いかける。優しそうに笑う老婆は、二人の会話をくすくすと笑いながら聞いていた。声をかけられたことに驚いて、真ん丸な目をしたユリアーナが口を開く。
「初めて!」
「あら、それは楽しみね。そっちの子はずいぶんと大人しいけれど、酔ったのかしら?」
「アガト、酔ったの?」
「ううん。……いや、少しだけ酔ったかも」
アガトは取り繕うように曖昧な微笑みを浮かべると、ユリアーナを相手に楽しそうに祭りのお勧めを話し続ける老婆の話に耳を傾けた。
我関せずで外を見ている振りをするアルファーは、そんなアガトを横目でじっと見ていた。
ユリアーナにとって、初めて見る森の外の世界。しかも祭りが開催され日常よりも多くの人が集まる街。
森の中の静かな家で、葉擦れの音や動物の鳴き声を聞いて暮らしてきたユリアーナは、目の前の往来の激しさに驚くばかりだった。
祭りは秋の豊穣に感謝して行われる。招いた司教によって厳かに礼拝が行われた後は、待ちに待った祭りの始まりである。
街の入り口のアーチ状の看板には、祭りの開催と来訪者を歓迎する文字が刻んである。色鮮やかな花や旗が飾られ、街が色彩豊かに色づいている。大通りに面した露店や家屋も旗や布を飾りつけて、街の華やかな演出に一役買っている。
街の中央にある噴水の広場から街の外まで続く石畳の一本道を挟んで、数多くの露店が立ち並ぶ。
色とりどりに着飾った少女達が歌を歌い、それに合わせて酔っ払いが不格好に踊る。それを見た周りの観客が歓声をあげ大声で笑っている。街は熱気に満ちていた。




