31.前兆(3)
第二王子が眠る王子宮の最奥の部屋で、ユリアーナは第二王子と会っていた。
初めて夢で会った日以来何度試しても第二王子に会うことはできなかったが、今日に限っては触れた途端夢に引き込まれた。そこで会ったのは険しい顔をした第二王子だった。ユリアーナと再会するなり、第二王子は魔女との取引内容の説明を始めた。
「姉上はこの後魔女と会うと思うけど、油断はしないで欲しい」
「魔女?」
「口元に黒子のある魔女だよ。向こうは姉上を知っていたようだけど心当たりある?」
口元に黒子のある魔女と言われて以前の夢で会った魔女を思い出す。草原のような場所で、ユリアーナは確かにその魔女と会っている。
「この前の夢で会った魔女だと思う。どうしてその魔女が?」
「ぼくを姉上と会う手伝いをする代わりに、自分とも会わせろと言ってる。どうしても父上達に伝えて欲しいことがあって、姉上には勝手をして申し訳ないけど、ぼくはそれを呑んだ」
前回は突然現れた魔女に最初は警戒したものの、なぜだか身に危険を感じることはなかった。
「あの魔女であれば大丈夫のような気がする」
ユリアーナがそう第二王子に告げると、ほっとした顔をして国王達に伝えて欲しいパードット子爵との会話を話し始めた。
王宮騎士団や王宮魔法士を王宮から減らすべきではない。その隙を狙って何かを仕掛けるため、教会は何らかの意図を持って王宮の警備を手薄にしようとしている。恐らく各地で起こっている獣害事件も、教会が起こしていると考えられる。
「どうやって獣を誘導しているんだろう」
首を傾げる第二王子のつぶやきに、ユリアーナがあっと声を上げた。
「屍使い!」
「それは何?」
「前に襲われたことがあるの。死んだ猫や狼を操ることができる男の子。わたしの使い魔もアガトも襲われた」
「十中八九その屍使いだろうね。獣を自由に操る方法なんて普通はあるはずがない」
血まみれになったアルファー達を思い出して、ユリアーナが歯を食いしばる。皆を失うかもしれないと生まれて初めて恐怖を感じた。恐怖や絶望と自分の無力さを嫌というほど感じたあの時を、ユリアーナは忘れることができない。
あの少年とは二度と会いたくないと思っていたが、どうやら避けて通ることはできないようだ。
そこまで話したところで第二王子の姿がぼんやりと薄れ始めた。夢が覚める兆候だった。
「姉上、くれぐれも気をつけてね」
第二王子の声が途中で途切れてしまったところで、周りの景色が変わった。今度は前のような草原ではなく、さらさらとした砂の感触を感じる砂浜だ。寄せては引いていく波が心地よい音を立てている。
海風を受けながら長い黒髪をなびかせて、前方から歩いてくる人影はあの時の魔女だった。魔女の隣を歩く老犬がよたよたとしているのは、足下を取られる砂浜が歩き辛いせいか、足が悪いせいかは分からない。
「会いたかったわ。オリガの娘」
「どうして?」
「お願い事があるのよ」
「お願い事?」
魔女の言葉の真意を測りかねてユリアーナがじっと魔女の深紅の目を見つめると、視線を逸らすことない魔女と視線が絡んだ。
「魔女を殺して欲しいの」
思いがけないことを言われたユリアーナが絶句した。
「私は魔女を殺したりできないよ」
魔女とは強く膨大な魔力を持つ長命の魔性だ。快楽のために人を貶め、娯楽のために世を乱す、尊大不遜な存在だ。使える魔法の種類や範囲も、人の魔法士とは比べものにならない。魔女に目を付けられた場合は、逃れる術はなく諦めるしかないと言われている。
ユリアーナにはオリガの魔力が移譲されているとはいえ、魔法すら自在に使えないユリアーナが魔女を殺すなど万に一つの可能性もない。それにどのような魔性の存在であろうと、理由もなく殺すことの片棒など担げない。
「今のままではきっと無理ね。だから魔女を殺す魔法を預けたいの。私が頼めるのもきっとこれが最後の機会だから」
「どうして魔女を殺すの?」
「その魔女は死にたいのに無理やり生かされていて、自分では死ぬことができないの。その望みを叶えるために手を貸して欲しいだけよ」
不穏なことを言う魔女は、その言葉とは裏腹に悲痛な表情でユリアーナを見ていた。
「私はジェナ。オリガの娘、名前は?」
「ユリアーナ」
「ユリアーナ。こちらへおいで」
ユリアーナの左手に魔女が手を当てると、手の甲に深紅の紋様が浮かびあがった。魔女の深紅の目と同じ色をした紋様はユリアーナがあっと思った時には、消滅して跡形もなく消えてしまった。
ユリアーナは手に残る温かな感触を、以前魔法士団長に魔力を送り込まれた時と似ていると感じていた。
「今のが魔女を殺す魔法?」
「あの性悪魔女の娘なのに、なんて素直に育ったのかしら」
魔女は心底不思議そうな表情をして、頬に手を当ててじっとユリアーナを凝視している。
オリガは同じ魔女にまで性悪だと言われる女なのかと、ユリアーナは苦笑いをする。
受け入れる側に少しでも抵抗する気持ちがあれば、このようにすんなりと紋様は刻まれない。ユリアーナは何の疑いもなく魔女を受け入れたのだ。
「ユリアーナの体に私の魔力は負担だろうから、魔法の術式だけを預けたの。私の実体と会えた時に役に立つから、早く会いにおいで。それからこれは忠告よ。拾った子供に気を付けなさい」
「アガトのこと?」
「あれは人でありながら人ではないもの。いつかお前に牙を剥くかもしれない。あれは、ま……」
魔女が続きを告げようとしたところで、周りが一面が真っ白になった。
「待って!アガトのことをもっと教えて!」
焦ったユリアーナがユリアーナがいくら叫ぼうとも、もう魔女の姿はどこにも見えなかった。
アガトが何だと言っていた?
牙を剥くかもしれないと言われたが、そんなアガトは想像ができない。アガトはいつでもユリアーナの可愛いアガトなのだ。
いつも控えめにユリアーナの隣に立ち、ユリアーナが与える菓子を嬉しそうに口にする。そして、ユリアーナが笑えばつられて微笑みを浮かべる。出会ってまだ日は浅いが、アガトのいない生活はもう考えられない。
「もう一度、魔女に会わないと……」
目の前から消えたユリアーナを視線で追っていた魔女が嘆息する。
まだ年若い魔女の娘に置かれている状況をもう少しでも伝えたかったが、これ以上の介入は無理そうだと肩を落とす。もう魔女にはこれ以上ユリアーナに干渉するだけの力がないのだ。
ゆっくりと砂浜を歩いていた魔女が、後ろを歩く老犬に振り返って声をかけた。
「おいで。ヘインズ」




