3.魔女の娘(3)
アガトには最初に寝かされた吹き抜けの部屋を仮住まいとして与えられた。ソファに寝かされたのは拾われた時だけで、その日の夜からはアガト用の寝台が他の部屋から運び込まれた。
家は意外に広く奥にも部屋はいくつもあるようだ。上から足音が聞こえることもあるので二階があるのだろう。窓から見えるのは緑深い森の木々だけで人影を見たこともない。
アルファーは陽気な性格のようで、ユリアーナを構っては怒らせたり笑わせたりして楽しんでいる。リィスは一見冷たそうな印象を与えるが、ユリアーナと話している時だけは蕩けるような柔らかい表情をする。
アガトがこの家で寝起きするようになってから、気がつくとユリアーナが同じベッドに腰掛けて、あるいは横になって、あれやこれやとアガトに話しかけてくる。リィスはユリアーナの世話をするために常に近くにいて、そうするといつの間にかアルファーも近くに座っている。
どうにかベッドの上で起きることができるようになったアガトに、ユリアーナは一緒に本を読むことを強請る。字を読むのが苦手らしく、簡単な単語は読めるが文章になるとお手上げのようだった。
二階にたくさん本があると言って、いつも違う本を手にアガトの所へやって来る。絵物語を読んでもらうのが気に入ったようで、中でもお姫様が出てくる本がお気に入りだ。
ユリアーナはアガトに本を読んでもらいながら、そのまま二人はベッドでうたた寝をしていた。
「……やめ……て」
アガトのうなされている声で目を覚ましたユリアーナは、起き上がってアガトを見る。アガトは苦しそうに顔を歪めて、切れ切れに懇願の言葉を口にする。
「アガト!」
ユリアーナはアガトの体を何度も揺らしてアガトを起こすと、はっと目を開いたアガトが焦点の定まらない目で、ユリアーナの方を向いている。うっすらと涙すら浮かべたアガトは肩で息をしていたが、やがて自身の置かれた環境を思い出したらしく、ほっと息を吐いた。
「……起こしてくれてありがとう」
「嫌な夢を見たの?」
「とても嫌な夢を見た」
ユリアーナはアガトが落ち着くまでずっとアガトの頭をなでていた。温かい手の感触にアガトは目を閉じると、ユリアーナのもう片方の手に縋りつくようにぎゅっと握り続けた。
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「アルファー、二階の廊下が雨漏りするので直してもらえませんか?」
ユリアーナと暖炉の灰を片づけているアルファーにリィスが声をかける。今夜あたりひと雨来そうなので、灰搔き作業の手を止めて二階に向かう。
「お嬢!それそのままにしておけよ。絶対に自分でやろうとするな」
「どうして?」
「お前がやると後処理が二倍に増える!」
アガトがくすくすと笑い、ユリアーナが頬を膨らませて憤慨する。アルファーは怒っているユリアーナを見て、笑いをかみ殺しながらリィスに続く。
二人は釘や金槌を持って二人で屋根裏へと上がる。屋根の一部に亀裂が入って水が漏れているようだ。脚立に乗って内側から板を打ち付け水の侵入を防ぐ。念のために屋根にも上がって他の隙間を探す。
「お前はあれをどうするつもりだ?多分お嬢は怪我が治ってもずっとここに置くと言い出すぞ」
「そうでしょうね。ユリアーナが望むのであれば仕方ありません」
「この森は目眩ましの魔法がかかっているから、人が近づけないはずなのに、アガトはなぜ森に入って来られた?」
傾斜のある高い屋根の上を二人は地上を歩くかのように歩き、アルファーが亀裂の入っている箇所を見つけ修繕を始める。
「国王がユリアーナを追い始めたのは、二十年くらい前でしょうか」
「お前はアガトが国王の間者や刺客だったらどうするつもりだ?」
「殺します」
「そう言うと思ったよ」
そんなことをしたらユリアーナがどう思うか、考えただけで頭が痛い。敵だったとしても、アガトを気に入っているユリアーナは悲しむに決まっている。
「アガトは普通の子供ではないかもしれませんね」
「なんでそう言える?」
「女の勘です」
「……猫だろ」
無言になったリィスがアルファーの持つ金槌を取り上げると、そのままアルファーの肩を押す。押されてバランスを崩したアルファーがたたらを踏んで、そのまま体勢を戻せずに屋根から落ちた。
どさっと重たい物が落ちたような音がしてユリアーナとアガトが外を見る。そんな二人を見て、二階から降りて来たリィスがくすりと笑う。
「大丈夫ですよ。アルファーが屋根から落ちただけです」
驚いてアガトがリィスを見るが、いつも通りの冷静な顔をしてエプロンを身に着け始めた。
屋根から落ちたとは大事ではないかと焦ってユリアーナを見るが、特に焦った様子もなくリィスと会話を続けている。
ドアを開く音がしたと思ったら大きな足音を立ててアルファーが部屋に戻って来た。屋根から落ちたにしては怪我のひとつもなく、服にも少しの汚れもない。
「リィス、お前な!」
「注意力散漫なのではないですか?」
リィスは平然と言ってのけると、もう興味はないというように背を向けて夕食の支度を始めた。アルファーはリィスへの抗議を諦め、ユリアーナと灰搔きの続きをすることにした。
その夜二人が予想していた通り、アガトの怪我が治ってもをずっとこの家に置いておきたいと言い出した。さすがのユリアーナもアガト本人の前では言い出さず、ユリアーナの部屋で二人に願った。
アルファーは殊更大げさにため息をつくと、ユリアーナの部屋のソファにどかっと腰を下ろした。ソファの背もたれに沿うようにして仰け反ると、そのままユリアーナの方に顔を向けた。
「なんでわざわざ厄介事を招き入れようとするのかね」
近い内にそう言い出すだろうと予想はしていた。強情で一度決めたことは簡単に覆さないユリアーナに、いかにして諦めさせようかと考えると頭が痛くなった。
今までは望みはするがそれなりにアルファーの意見も聞き入れてきたユリアーナが、アガトのことになると頑なに受け入れようとしない。何がそこまで気に入ったのか分からないが、森の外に追い出すという提案を受け入れることはないだろう。
「こんなに長く人と話すの初めて。すごく楽しい」
顔を上気させて興奮気味に話すユリアーナを心から可愛いと思うが、厄介事には違いない。子供とはいえ明らかに怪しく、素性も明かでない者を家に招き入れるような危険は冒したくない。
アルファーとリィスが最優先するのは、主人であるユリアーナを危険から遠ざけることだ。
どうしたもんかと思案していると、リィスがユリアーナの前に片膝をついて座った。
「私はアガトを置くことに反対はしません。あなたの好きにするといい。私はユリアーナが望むことをして欲しいだけです。何かが起きた時はその時対処すればいいのですから」
「お前は本当にお嬢に甘いな」
あなたほどではないですよと言いかけてやめておいた。それはアルファー自身が一番分かっているはずだ。リィスはユリアーナのことだけを考えて行動するが、アルファーはユリアーナに及ぼす影響全てを考えて行動する。甘やかしもするが、厳しくするところも弁えている。
ううっとうなり声を上げて頭を抱え込んでいたアルファーは、わざとらしいため息をつくとユリアーナの頭を抱え込んだ。
「俺は賛成はしない。が、お前が望むならあいつを置いてもいい。但し監視はするし、信用したわけではない。何かあったらすぐに追い出すからそれだけ覚えておけよ」
「ありがとう!」
ユリアーナの満面の笑みを見ると、考えていた色々なことが馬鹿馬鹿しいほどに霧散した。




