27.夢を渡る(3)
ユリアーナがはっと気づくと、そこは森の家だった。吹き抜けの高い天井も、梁に吊された薬草も、毛足の長い織物も、窓から見える風景も寸分違わず見慣れた風景だ。
ふと周りを見渡すと、暖炉前のソファに一人の青年が座ってユリアーナを見ている。ルーカスと同じ茶色の髪をした長い髪の青年は、あの寝台で眠っていた第二王子だ。
目が合ったことに驚いて第二王子をじっと顔を見ていると、嬉しそうに口元を緩めた第二王子が先に口を開いた。
「はじめまして、ユリアーナ姉上」
子供のように無邪気な笑顔で話しかけられると、第二王子の座るソファに手招きされた。座ったソファの感触も長年暮らしたものと違和感ない。
ここは一体どこなのだろうかと部屋全体を見回すと、祭りで買った木彫りの動物を見つけてユリアーナの顔が綻ぶ。
「どうしてわたしは森の家にいるの?」
「ここは姉上の夢の中だよ。夢は総じて思い入れのある場所を映しがちなんだ」
思い入れがあると言われればその通りだ。アガトがやって来るまでユリアーナは森から出たことがなかった。目隠しの森だけがユリアーナの知る世界だった。
「あなたが二番目の王子さま?」
「そうだよ」
「ここは夢の中なの?」
「そうだよ。ぼくは他者の夢を渡ることができるんだ」
第二王子は魔力で他者の夢に渡ることができる。人は夢の中では警戒心を失ってあらゆる情報や、深層心理で抱いている感情を吐露してくれる。目が覚めれば夢だと思って忘れているので痕跡が残ることもない。
ユリアーナのことは夢を渡って知っていた。
父王の娘であること。魔女と女神の魔力を併せ持つこと。王子の誰よりも魔力が強く多いこと。そして今日、魔法士長とルーカスと共に第二王子の元へ訪れることも。
眠り続けている二十年間、第二王子は多くの人の夢を渡り続けた。ほとんどは他愛のない夢だったが、いくつかの気になる夢にも遭遇した。教会の不穏な動きをどうにかして父王や兄に伝えたかったが、その手段もなく焦燥感に駆られていた。
そこで知ったユリアーナの存在に一縷の希望を抱いて、今日という日を迎えた。
ユリアーナを夢の世界に呼び込めたのは、ユリアーナ自身の強い女神の魔力と第二王子と血が近いことが影響したのだろう。第二王子は今までも何度か夢に呼び込めないかと試してみたが、魔法士団長相手でも成功することはなかった。
そこまで話したところで、周りの風景が少しずつぼやけ始めた。はっとした第二王子が急いでユリアーナに伝言する。
「ひとつの夢に長くいることはできないんだ。手短に話すからルーカスに伝えて欲しい。最近変えた石鹸は香りが好きではないと。ぼくは昔使っていた蛙の石鹸が好きだったって。姉上来てくれてありがとう。また会いましょう」
手を振る第二王子の姿がぼんやりと薄れてゆく。ユリアーナはこのまま目が覚めるのだろうかと思ったが、突然視界が緑に染まった。どこかの草原のようだ。
見たことのない景色にユリアーナは首を傾げる。バートランドと夢で出会い、目が覚めるところではなかっただろうか。目をこらして前を見ると、少し先に黒髪を靡かせた女性が立っていた。
黒い長衣を着た女性の足下には、足を引きずった老犬がいる。老犬は突然目の前に現れたユリアーナを警戒して、歯をむき出しにして唸っている。
「魔女?」
魔女はユリアーナの姿を見て一瞬驚いた顔をしたものの、ユリアーナと目が合うと薄く微笑んだ。漆黒の髪に深紅の目、口元に黒子のある魔女は、魔性にありがちな禍々しさはなく優しい雰囲気を醸し出していた。
魔女を警戒して、攻撃されるかもしれないと身構えていたユリアーナは肩の力を抜いて魔女に向き合う。
「お前はオリガの娘ね」
「どうして分かったの?」
母親の名前を言われてユリアーナは驚きながらも肯定する。
どうして初めて会う魔女が母親のことを知っているのか。解かれた警戒心が再び強くなり、緊張した表情になったユリアーナに魔女は小さく笑った。
「早く私の所へおいで」
「え?」
意味が分からず魔女のいる方へ足を踏み出した途端、真っ白な光の洪水に襲われた。思わず目をぎゅっと閉じるが立っていられなくなって後ろに倒れ込む。
「ユリアーナ!」
はっと目を開けたユリアーナを真上からルーカスが心配そうに見下ろしている。ユリアーナは瞬きを何度か繰り返して、夢から覚めたのだと理解した。
上半身を起こしたところで隣に眠る第二王子に気づいた。ついさっきまで話をしていた青年が、身じろぎもせずに眠っていることを不思議に思う。
良かったと言いながらユリアーナの頬を撫でるルーカスが、大きな安堵のため息をついた。
「王子さまに会ったよ」
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ユリアーナの話を聞いたルーカスと魔法士団長は、ユリアーナを客間に戻すと、すぐに国王の執務室へ向かった。先触れをしていたのですでに王妃と王太子もそろっていた。
魔法士団長が事の経緯を語り終わったところで、ルーカスが第二王子からの伝言を口にした。ルーカス自身もその伝言の意味が分からず、これは果たして伝える意味があるのかと首を傾げている。
「兄上は最近変わった石鹸は香りが好きじゃないんだと言っていたそうです。昔使っていた蛙の石鹸が好きなのだと。ユリアーナにも僕にも何のことか分からなくて……」
それを聞いた王妃が顔を覆って嗚咽を上げ始めた。王妃がこんなに感情を表に出すのは珍しく、突然の出来事にルーカスと国王は意味が分からず呆然とする。王太子も顔を歪めてうっすらと涙を浮かべている。
「本当にバートランドそう言ったんだな」
「伝えれば分かると言われたらしいのですが」
母と兄の反応の意味が判らず、自分は何か下手なことを言っただろうかと自問する。ルーカスが魔法士団長を見てどういうことかと視線で問うが、魔法士団長にも分からないようで首を振っていた。
「本物ですね」
ロードリックが俯く王妃に優しくそう伝える。王妃は顔を両手で覆ったまま何度も頷いた。
「どういうことです?」
ルーカスが怪訝そうな顔をしているのを見て、王太子が滲んだ涙を拭いて三人に説明を始めた。
「蛙の石鹸はバートランドが幼少の頃に使用していた石鹸です。包み紙に描かれていた花の絵が蛙に見えるから、私とバートランドは蛙の石鹸と呼んでいました。今はもう使っていないのでルーカスは知らないはずです」
王太子が興奮気味に話す内容を聞いていた三人も、話が進むごとに顔色が変わっていった。王妃はハンカチで目元を押さえながら聞いている。
「つまりバートランドは母上と私しか知らないことを示して、ユリアーナが本物だと知らせたんです」
「俄には信じがたいが、その疑惑を払拭するためにバートランドはその話を出してきたのだろうな。眠っている割に頭の働く男じゃないか」
誰もが息を呑んで何も言い出せない中、沈黙を破ったのは国王だった。嬉しそうに笑いながら、涙目のルーカスの方を向くとよくやったなと声をかけた。
「お前もバートランドも、よく分からない魔力を持っていて助かったな」
「夢を渡るとは具体的にどのような魔力なのか、とても興味深いですな」
「さて、魔法士団長よ。バートランドも目覚めた訳ではなく、教会の介入が証明された訳でもない。これから我らはどうするべきだ?」
「情けない話ではありますが、このまま姫君を頼りにさせていただくしか方法はないかと」
「ユリアーナに何をさせる?」
「何と言うほどでもありません。殿下と唯一接触できるのが姫君というなら、殿下とお会いいただく回数を増やしていただきましょう」
頼る先があの幼げな少女というのが何とも情けのない話だが、仕方あるまいと国王が首肯した。
「それはユリアーナには負担はないのでしょうか?」
いつになく浮かれている国王を諫めるように王妃が疑問を投げかける。ユリアーナは第二王子へ近づくのを嫌がっていたと言っていた。何かしらを感じ取っていたのであれば、ユリアーナにもいくらかの負担となるはず。それを考慮せずに話を進めるのはいかがなものかと苦言を呈する。
「確かに王妃の言うとおりかもしれん。しかしやっと掴んだ解決の糸口だ。このまま諦めたくはない。使い魔も含めて、ユリアーナと話をしよう。確かにこちらで勝手に決める話ではないな」




