21.魔法の理(2)
立ち上がっていたユリアーナが元の椅子に座ると、魔法士団長は目の前の壺の蓋を開けて中をもう一度二人に見せた。少しでも揺らせば水が溢れそうなほど注がれている。
「姫君は壺の中に二つの魔力を持っておられます。一つは父君から受け継いだ女神の魔力。もう一つは母君から移譲された魔女の魔力」
魔法士団長の話を聞いているユリアーナは、分かったような分かっていないような顔をしている。自分の中にあるという、もう一つの魔力の存在など感じたことがないからだ。
「魔性の魔力は人の身には毒なのです。例えば壺の中の水が赤かった場合、溢れた水はこの白い壺を汚します。魔性の魔力も同じこと、魔力を使えば毒となって人の体を汚し蝕むのです。姫君が無事なのは女神の魔力が魔女の魔力を抑え込んでいるからでしょう」
「抑え込んでいるとはなんだ?」
離れた場所で話を聞いていたアルファーが立ち上がってユリアーナ達のテーブルに近づいてきた。そしてそのまま空いた椅子に座って、魔法士団長の話に割り込んだ。
アルファーにとっては女神の魔力の話すら初耳だった。ユリアーナに関することであれば何であれ知っておくべきなのだ。魔法士団長は突然口を出してきた使い魔に動じることなく、少し考えて口を開いた。
「この壺でいうと、女神の魔力が出口表面を覆って、魔女の魔力が溢れるのを防いでいるのです。ですから蓋が開いたとしても魔女の魔力が溢れ出ることはないのです」
赤子のユリアーナがあんなに血を吐いて弱っていたのは魔女の魔力が原因だとは認識していた。眠り続けるユリアーナの体が魔女の魔力に馴染んで目覚めたのだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。
「じゃあ、こいつが生まれてすぐに眠りに就いたのは何でだ?」
「人の体に魔女の魔力を移譲されたせいで毒に蝕まれた体を、女神の魔力が癒したのでしょう。弱り切った赤子の体を癒すには、眠った状態が好ましかったのでしょうな」
なるほどとアルファーが顎をなでながら考え込んでいる。
「俺達は前の魔女の時はもっと色んなことができたんだ。だが今は魔法ひとつ使えない。それは魔女の魔力が出てこられないからか?」
使い魔が使う魔法は主である魔女のできることが全てだ。魔女ができないことはできず、魔女ができることは大抵可能だ。そうやって主に使役され、望みを叶えるのが魔女の使い魔だ。
「魔女と使い魔のことはあなた達の方が詳しいでしょうが、その可能性は十分にありますな」
魔法士団長といえど、魔性の存在について何でも知っているわけではない。魔女や使い魔は文献にすら少ししか出てこないような未知の存在だ。
二人の会話を尻目にテーブル上にある壺を触っていたユリアーナが、手を滑らせて壺を倒してしまった。ユリアーナが小さく悲鳴をあげたが、中の水が溢れることなく一瞬で蒸発した。
柔らかい絨毯の上に落ちた壺を魔法士団長が拾い上げると、水気の残っていない壺の中に不揃いな蜂蜜色の飴が入っていた。
魔法士団長に手渡された壺の中身を見て、ユリアーナが顔を輝かせた。
「これが魔法?」
「そうです」
「飴はどこからきたの?」
「無から有を作り出すことはできません。実はそれはこのローブに隠していた、お二人への贈り物だったのです」
魔法士団長がぺろりと舌を出して笑った。砂糖を煮詰めて冷やし固めて作る飴はユリアーナも好物だ。後で一緒に食べようねとアガトにも中身を見せて蓋をする。アガトもユリアーナにつられて微笑んだ。
喜んで壺を抱きしめるユリアーナを、目を細めてルーカスが見ている。
「君達を癒やすため、ユリアーナは女神の魔法を使っていたと思うよ」
腕を組んで黙ってしまったアルファーに替わって、今度はルーカスが声をかけた。
森で襲われているユリアーナを助けた時、確かに鴉は胴体から翼がちぎれかけ、黒猫は前足の肉が削げていた。しかし馬車の中で確認した時、怪我は大分治っていた。ユリアーナが無意識に傷を癒やしていたとしか考えられない。
「そして、魔女の魔法も使っていたと思う。あの銀髪の少年を攻撃したユリアーナは深紅の目と黒みがかった髪をしていたんだ」
ルーカスが魔女の特徴を列挙して指摘する。あの時のユリアーナの姿は今とは全く異なっていた。
「あの子もそんなこと言ってたけど、わたし魔法を使ったの?」
「覚えてないの?」
「アルファー達が傷つけられたのを見てから、あまり覚えてないの」
あの狼を攻撃したのはユリアーナに違いないと、ルーカスは疑っていなかった。そしてユリアーナが魔女の魔力を使った結果、体が耐えきれず体調を崩したのだろう。
両極端な魔力を持つが故に、お互いの魔力が相殺し合ってユリアーナが無事でいる。その均衡が崩れ、魔女の魔力が表に出るとユリアーナの体に負担をかける。
「拙老の元で、少し魔法について学んでみますかな?」
表情の読めない顔をして魔法士団長がユリアーナに誘いをかけた。ルーカスがぎょっとして魔法士団長を見つめるが、視線に気づかない振りをして少し首を傾げてみせた。
「わたしもさっきみたいなのができるようになるの?」
「国王陛下に許可をいただけるようお願いしてみましょう」
魔法士団長はルーカスから、第二王子にユリアーナを会わせても問題がないかの確認をして欲しいと頼まれていた。結果、これはどうしたものかと考えあぐねている。もう少し判断する材料と時間が欲しいと思い、ユリアーナに誘いをかけた。
そうでなくても貴重な二つの魔力の保有者だ。魔法士としての興味も尽きない。
「アガトは何か質問などはありませんかな?」
魔法士団長がユリアーナに寄り添っている少年に話しかけると、ためらった様子を見せてアガトが口を開いた。
「年を取らなくなって七十年です。僕はもう人ではないのでしょうか?」
言い終わると下を向いて唇をきゅっと噛む。アガトは自分で問うておきながら、魔法士団長の決定的な言葉を聞きたくなかった。もう人ではないと、魔性であると言われたら立ち直れるだろうかと恐れていた。
「僕はなぜか成功例と呼ばれていました。成功例とは何でしょう?」
魔法士団長は目の前の少年の胸の奥を思い心を痛めたが、慰める言葉は持っていなかった。その場限りの慰めではアガトは救われない。
「それについても明答はできませんが、すぐに古い文献などを調べてみることにしましょう。これから陛下の元へ参らねばなりませんので」
「では僕も一緒に行こう」
魔法士団長が立ち上がって礼をすると、ルーカスも立ち上がり一緒に部屋を出ようとした。
「あまり多いと目立ちますので、陛下が王太子殿下のみでいいと仰せです。後ほど兄君が内容をお話し下さるそうですよ」




