10.魔女を探す者(3)
何かが近づいてくる妙な気配にユリアーナが振り返ると、数匹の大きな狼がもの凄い勢いで駆け寄って来た。ひときわ大きな個体の背には一人の少年がまたがっている。銀色の真っ直ぐな髪を顎の線で切りそろえた少年は、目を三日月の形に変えて笑っている。その嫌な笑顔にユリアーナは鳥肌が立つほどの嫌悪感を抱いた。
「見つけた!赤毛のお前!」
ユリアーナよりも幾分か年上に見える少年の、高めの声がユリアーナに声を荒げる。
うなり声をあげる狼を従えて突如現れた少年。
見たこともない少年の姿に警戒心を抱いたアルファーとリィスが、すかさずユリアーナの前に躍り出てユリアーナを背中を隠す。二人の背の間からユリアーナが少年を見据える。
「あなた誰?」
警戒したユリアーナが固い声で問うと、怒りをあらわにした少年が怒声を上げる。
「僕のお気に入りの猫をよくも奪ってくれたな!どうして俺の魔法を破った?」
「魔法を破ってなんかない!」
「いいや、お前は確かに祭りで俺の猫を捕らえた」
祭りの会場を混乱に陥れたあの灰色の猫のことを言っているのだと分かった。何を怒っているのだろうとユリアーナは不思議に思う。ユリアーナはいたずらをした猫を捕まえただけだ。
苛々とした態度で前髪をかき上げる仕草をした少年が、何かに気づいたようにふと視線を向ける。その視線の先には立ち尽くすアガトがいた。少年はあざ笑うような薄笑いを浮かべアガトを指さした。
「出来損ないの成功例!ヘインズがお前を捕らえろと捜しているぞ。お前、罪咎の紋に綻びが出ているな。何でだ?」
アガトを見た少年がぶつぶつと独りごちていたが、考えても仕方ないと本来の目的を実行することにする。
「あいつらを殺せ!」
濁った目で少年の様子を窺っていた狼が、少年の命令を受けて動き出す。口元から舌を垂らした狼が二匹、ユリアーナを目指して土を蹴って走り出す。
牙をむいた狼にアルファーが勢いよく蹴って撃退する。蹴られた狼は蹴り飛ばされた反動で、少し離れた場所に着地するが恐れることなくまた同じ攻撃を繰り返す。
アルファーに蹴られて骨の折れたような鈍い音がして、足があらぬ方向を向いているのにまだ攻撃をやめない。
「こいつら、なんなんだ!?」
「無駄だよ。そいつはもう死んでるからね。骨が折れようと、内臓が飛び出ようと、動ける限り俺の言いなりだ」
またがった狼の上で頬杖をつくような格好をしている少年が、小馬鹿にするようにアルファーに言う。
死骸を操る魔法は禁忌である上に、高位の魔法士であっても使える者は限られている。使うことができても術を行使した者への跳ね返りが大きく、場合によっては術者自身が命を失ってしまうのだ。そんな禁忌の魔法を自由に操るこの少年は、普通の魔法士ではない。
ユリアーナ達を取り囲む狼達の輪がどんどん小さくなってゆく。じりじりと間合いを詰め、命じられた目の前の獲物を狙っている。
「アガト!お嬢を連れてすぐに逃げろ!」
森の奥から別の獣の足音と、ハッハッと荒い呼吸音が近づいてくる。今ユリアーナ達を取り囲んでいる五匹だけでも窮地に立たされているのに、これ以上増えると太刀打ちできない。
そもそも使い魔は万能ではない。主がいてその補佐を行うのが使い魔であり、その力は主の力量次第。二人の主たるユリアーナは魔女の魔力を移譲されたとはいえ、自分では魔法を使うことはできない。
魔女の使い魔だった頃はもっと多くのことができたが、ユリアーナを主とする今のアルファーでは物理攻撃しかできない。リィスはもっと無力だ。
アルファーはアガトの肩を掴むと真剣な眼差しで頼み込む。
「絶対にお嬢を死なすな!そしてできればお前も死ぬな」
アガトがはっとして顔を上げると、アルファーは別の方向から襲ってくる狼を叩きつけていた。嫌な音が響き渡るが狼達は全く怯むことはない。アルファーも無傷ではなく、狼に噛まれた傷から血を流している。
「アルファー!」
「ユリアーナ、早く逃げなさい」
「嫌っ!一緒にいる」
ユリアーナを後ろ手で守っているリィスが振り向くことなく声を上げるが、ユリアーナは背後からリィスに抱きついて離れない。
振り返ったリィスが抱きついたユリアーナを優しく引き離すと、そっとユリアーナ両頬を両手で包み、腰を屈めてユリアーナに微笑んだ。
「私は一度もユリアーナの望むことを拒否したことはないでしょう。これが私の初めての拒否のお願いです。聞いてくれますね?」
何度も首を振ってユリアーナがリィスの言葉を拒絶する。流れ出る涙を拭うこともせず、リィスから離れようとしない。泣きじゃくって指が白くなるほどリィスの服を掴む。
「お願い、おいていかないで。二人がいなくなるならわたしも一緒がいい」
「可愛いユリアーナ。あなたは泣いていても愛らしいけれど、私は笑っているあなたが一番好きなんです」
リィスにとってユリアーナはいつでも可愛い主だ。生まれたてで両手に乗るくらいの小さな赤子は息も絶え絶えな中、弱々しくリィスの指を掴んだ。鳴き声を上げる力もないくらいに衰弱し、魔力に翻弄されて血すら吐いているのに、小さな手はリィスの指を掴んで離さなかった。
代わってあげたいと心底思った。この小さな主が心安らかでいられるように、命を懸けて守ろうと思った。たとえこの場で命を落とそうとも、ユリアーナが生きているのならば本望だ。
アルファーとアガト、ユリアーナとリィスのやり取りを聞いていた銀髪の少年が、怪訝な面持ちで注視している。
「お前の使い魔はおかしい!主人に指図する使い魔なんてありえない。使い魔は主人の命令に忠実な道具にすぎない。知性や感情すらも持たないはずだ」
勝ち目はなかった。
死骸を操る恐ろしい魔法を使う少年。
アガトはどうにかしてユリアーナを逃がせないかと機会を窺っているが、多方向から襲ってくる狼達には隙がない。しかも当人であるユリアーナが逃げるつもりがなく一歩も動こうとしないのだ。アガトの小さな体では自分よりも大きなユリアーナを引きずって行くことすら難しい。
新たに増えた狼が数をなして襲いかかってくる。耳をたてて唇をめくり上げ、牙を剥いて興奮を露わにしてるが、生前の習性に基づいただけの行動で、狼の金色の目は濁って淀んでいる。
灰褐色の体毛は黒っぽく汚れ毛並みが悪い。よく見ると血で固まった毛がゴワゴワとしている。群れで行動していたところを、ユリアーナ達を襲撃するために殺されたのだろう。狼は弱った獲物や小さな獣は狙っても、大きな家畜や人間はあまり狙わない生き物だ。その獣が何度反撃されても攻撃をやめないのは、術者の命令にしか従えないからだ。
狼がユリアーナの首筋を狙って襲いかかるが、リィスがそれを全身で庇う。狼は防衛のためにリィスが振り上げた腕に噛みついて離れない。リィスからぼたぼたと流れ落ちる血にユリアーナが悲鳴を上げる。
アルファーも数匹の狼に噛みつかれて、身動きが取れなくなっている。舌を垂らした狼は、蹴られても殴られても噛みついたまま離さない。アルファーが噛みつかれた腕を引こうとしても、狼は顎に力を入れて更に強く噛みつく。
「ユリアーナ!」
少年が跨がっていた大型の狼がユリアーナを狙って駆けてきた。目の前で開けられた口から尖った牙が見えた。
逃げなくてはと思うが体がすくんで動けない。そのユリアーナの視界をアガトの体が遮った。
アガトの流す血でユリアーナの視界が赤く染まった。




