赤頭巾と一匹狼
昔々、小さな村に一人の女の子がいました。女の子は村外れに住むおばあさんが大好きで、よく遊びに出掛けていました。出掛ける時はいつも、おばあさんから貰った赤いビロードの頭巾を被っているので、いつしか村の皆から『赤ずきん』と呼ばれるようになりました。
ある日のことです。お母さんが赤ずきんに言いました。
「赤ずきん、このケーキとワインを持っておばあさんの家に行っておくれ。おばあさんは病気で弱っているからこれを食べて元気になってもらうのよ。森の中は危険だから、寄り道せずに真っ直ぐ行くのよ。いいわね?」
赤ずきんは(どうしてお母さんまで私のことを赤ずきんと呼ぶのかしら。私の名前を忘れちゃったのかしら?)と疑問に思いながらも、
「分かってるわ。いつも遊びに行っているのだから森の中なんて平気よ」
と、鼻を鳴らして言いました。
森の中を歩いているとオオカミと出会いました。
「こんにちは赤ずきん。そんな荷物を持って何処へ行くんだい?」
赤ずきんは言いました。
「こんにちはオオカミさん。お母さんが焼いたケーキと百年もののワインをおばあさんに届けに行くところよ。ところでオオカミさん、いつも不思議に思っていたのだけれど、どうしてオオカミさんは人の言葉を話せるの?」
オオカミは、自分と話ができるのは赤ずきんだけなのだということを黙っていました。
「それはきっと人と口のつくりが似ているからだよ」
もちろんそんなことはありませんでしたが、オオカミはそう嘘をつきました。
「ところで赤ずきん。この先に綺麗なお花畑があるから、おばあさんに花を摘んであげるのはどうだい?」
オオカミは笑いを堪えながら言いました。
「そうね! そうしようかしら」
赤ずきんはお花畑へと寄り道することにしました。
オオカミはしめしめと赤ずきんを見送った後、おばあさんの家へと向かいました。そして、おばあさんの家の戸を『コンコンコン』と三回叩きました。
「誰か来たのかい?」
「こんにちはおばあさん、赤ずきんよ。ケーキと百年もののワインを持ってきたの。開けてちょうだい」
「おやおや、こんにちは。戸の把手を下へ押してごらん。簡単に開くよ」
オオカミは、おばあさんの言う通りに把手を下へ押して中に入りました。
ベッドで寝ているおばあさんの元へと行き、そしてオオカミはおばあさんをぱくりと呑み込んでしまいました。
そこで肝心なことに気が付いて、急いで自分の口の中に手を突っ込み、器用におばあさんの着ている服だけを取り出しました。
「危ない危ない。おばあさんになり済ますのだから、着ている服まで呑み込んじゃあいけない」
そしてオオカミは、おばあさんの着ていた服を着て、頭巾を深く被り、ベッドの中へ潜り込みました。
その頃、赤ずきんはお花畑で仰向けで寝転んでいました。
「くすくす。オオカミさん、今日はどんなことをするつもりかしら」
赤ずきんは楽しそうに微笑み、足をばたばたとしていました。
赤ずきんがオオカミと初めて出会ったのは、もう何年も前のことでした。
森でばったり出会した、人の言葉を話すオオカミに興味を持った赤ずきんと、オオカミの言葉を解す女の子に救いを感じたイッピキオオカミは、お互いに惹かれあい仲良しになりました。
それから赤ずきんとオオカミは、いろんな遊びをしてきました。そして、それはだんだんとスリルを求める遊びへと変わっていったのです。
今朝、おばあさんの家へ行く途中の森でオオカミと出会った赤ずきんは、(今日の遊びが始まるのね)とわくわくを抑えるのに必死でした。
遊びにルールはありません。どんな遊びなのか、どうやったら勝ちなのか、どうやったら終わりなのか、赤ずきんもオオカミも全く考えてはいませんでした。
それが一人と一匹の丸一日を使ったいつもの遊びなのでした。
しばらくお花畑で時間を潰した赤ずきんは、おばあさんの家に着くと戸を『コンコン』と二回叩きました。
「誰か来たのかい?」
「こんにちはおばあさん、赤ずきんよ。ケーキと百年もののワインを持ってきたの。開けてちょうだい」
「おやおや、こんにちは赤ずきん。戸の把手を下へ押してごらん。簡単に開くよ」
赤ずきんは、明らかに嗄れた声のおばあさんの言う通りに把手を下へ押して中に入りました。
ベッドで寝ているおばあさんの格好をしたオオカミの元へと行き、そして赤ずきんは笑いを堪えながら言いました。
「あら、おばあさん。どうしてそんな大きなお耳をしているの?」
「それはね、お前の声をよく聞くためだよ」
「だったら、おばあさん。どうしてそんな大きなお目目をしているの?」
「それはね、お前の顔をよく見るためだよ」
「ならなら、おばあさん。どうしてそんな大きなお手手をしているの?」
「それはね、お前をしっかりと捕まえられるようにするためだよ」
赤ずきんは思いました。
(ああ、これはきっと私を食べるつもりなのね)
「じゃあ、おばあさん。どうしてそんな大きなお口をしているの?」
「それはね……お前を食べるためさ!」
(だと思ったわ! 望むところよ)
赤ずきんは大きな口を開けたオオカミを挑発の目で見つめながら、ぱくりと呑み込まれていきました。
おばあさんと赤ずきんを丸呑みしたオオカミはお腹がいっぱいになり、そのままベッドの上で大きないびきをかいて眠りました。
しばらくして猟師がおばあさんの家のそばを通りかかり、大きないびきを聞きました。
「おばあさん、こんな大きないびきをかいて、どこか調子が悪いのかもしれない」
心配になった猟師はおばあさんの戸を『コンコンコン』と三回叩きましたが、返事はありません。
ますます心配になった猟師は、戸を蹴破り、ベッドのそばまでやってきました。
「こいつは……、オオカミか! 服を着て頭巾を被ってベッドの上でいびきをかいて眠っているなんて、まるで人間みたいなオオカミだ。……なんて器用なんだ」
「こんにちは、どこかの誰かさん」
感心している猟師の耳に、ふと女の子の声が聞こえました。
「いったい何処から声がするんだ?」
「ここよ、ここ。オオカミさんのお腹の中」
猟師が眠っているオオカミの膨らんだ腹に耳を当てると、女の子とおばあさんが談笑する声が聞こえてきました。
「やや! これは大変だ! このオオカミ、人を食いやがったのか!」
「心配しないで。オオカミさんはちゃんと丸呑みしてくれたのよ。四肢はちゃんと繋がっているわ」
オオカミの腹から再び女の子が語りかけてきました。
「いったいどういうことなんだ」
猟師は訳が分からなくなりました。そんな猟師に、女の子は言いました。
「私たち、ただの遊びをしているだけなの」
ますます訳が分からなくなった猟師は、近くにあったハサミで眠っているオオカミの腹を切り開きました。
すると、中から赤ずきんが飛び出してきました。
「ぷはぁ! オオカミさんったら、またどんぐりばかり食べたのね。たまにはお肉も食べなくちゃ。って、今お肉食べてたんだったわね。くすくす。あら、猟師さんこんにちは。オオカミさんのお腹の中ってね、とっても真っ暗で温かいのよ」
饒舌な赤ずきんに続いて素っ裸のおばあさんも出てきて、オオカミの腹の中と外との温度差にたまらず大きなくしゃみをしました。
楽しそうな赤ずきんに、素っ裸のおばあさん、そして腹を切り開いたのに呑気に眠っているオオカミ、それらを眺めていると猟師はもう説明を聞く気にはなりませんでした。
眠っているオオカミを見て、赤ずきんはぽんと手を打ちました。
「面白いことを思いついたわ!」
そう言うと赤ずきんは外に出て行き、両手で抱えられるだけの軽石を持ってきました。
「赤ずきんや。それをどうするつもりなんだい?」
素っ裸のおばあさんは、百年もののワインを片手に聞きました。
赤ずきんはにこりと微笑んで言いました。
「この石をオオカミさんのお腹に詰め込むの。それでね、お腹を縫ってしまうのよ。きっとオオカミさんびっくりして叫んでしまうわ」
猟師は猟奇的な笑みを浮かべる赤ずきんに悪寒が走りその場から逃げようとしましたが、赤ずきんはそれを見逃しませんでした。猟師の手を掴んで、赤ずきんは笑いました。
「猟師さん、石を詰めたらオオカミさんのお腹を縫って下さらないかしら?」
猟師は断れませんでした。
早速赤ずきんがオオカミの腹の中に軽石を詰め込むと、猟師が腹を器用に縫っていきました。
オオカミが目を覚ました時にはもう、オオカミは川の上に浮かんでいました。
「なんだなんだ? どうして川に流されているんだ? それになんだか体が変な感じだ」
足をばたばたとするオオカミは、川辺に立つ三つの人影を確認して、この状況を理解しました。そして、悔しさのあまり叫びました。
「くそぉおおお! 赤ずきんめぇえええ!」
下流へ流されていくオオカミに手を振る赤ずきんは、楽しそうに笑いました。
「ほら、言ったでしょ? オオカミさんはきっと叫んでしまうって」
ルールのない遊びを楽しむ赤ずきんとオオカミは、いつも仲良しなのでした。
「今日の遊びは私の勝ちね、オオカミさん♪」
滝壺から這い上がったオオカミは、三日かけてようやく腹に詰まった軽石を全て吐き出すことができました。そこでオオカミは、吐き出した軽石の一つに紙が巻いてあるのに気がつきました。
「なんだ? これは」
紙を広げてみると、そこには赤ずきんの字でこう書かれていました。
『オオカミさんへ
一週間経ったら猟師さんの所へ行って抜糸してもらってね』
「……ぬき……いと…?」
オオカミが抜糸について考えていると、ふと遠くの方に一匹のヤギの姿が見えました。
「あ、あれは、いつも女手一つで子供たちを育てているヤギさんじゃないか。買い物に行くのかな。どれ、子供たちがちゃんとお留守番しているか様子を見に行ってみるか」
留守番をしているヤギの子供たちが心配になったオオカミは、ヤギの家に向かうことにしました。
「確か子供が七匹もいるんだったな。かくれんぼでもして遊んでやるか」