第六十三段 後七日の阿闍梨
(原文)
後七日の阿闍梨、武者をあつむる事、いつとかや盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことことしくなりにけり。
一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、おだやかならぬことなり。
(舞夢訳)
後七日の御修法の阿闍梨が、警護のために武士を集める習慣がある。
これは、かつて、その修法の際に盗賊に襲われたということがあり、それ以降は宿直人として、このように物々しくなったとのことである。
さて、一年の吉凶は、この御修法の様子に現れると言われているけれど、それを考えると、警護の武士を集めるなどの行為は、穏やかな世相ではないということの現れということになる。
※後七日の御修法:正月8日から7日間、宮中の真言院で行われた御修法。
宮中であっても、盗賊に襲われた事例があるようだ。
大治2年(1127)に、多くの盗賊が入り、夜居の僧侶や阿闍梨の衣、そして仏具を奪い取られたとのこと。
その事件以降は、警護の武士が必要となったらしい。
そうなると、兼好氏の言う通り、宮中とて安心できないほど、治安が乱れていたということになる。
昼は検非違使、夜は盗賊、そんな輩が横行していたとも言われている。
まさに、一寸先は闇、警護の武士がいなければ、1年の吉凶を占う御修法も不安でできないのである。




