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第六十二段 延政門院いときなく
(原文)
延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御言づてとて申させ給ひける御歌、
ふたつもじ 牛の角文字 すぐなもじ ゆがみもじとぞ 君はおぼゆる
恋ひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
(舞夢訳)
延政門院が御幼少の時期に、院に参上する人に、御伝言を頼み申し上げなされた御歌
ふたつ文字、牛の角のような文字、まっすぐな文字、ゆがんだ形の文字、そのように貴方様のことが思われます。
この意味は、院のことを愛おしくお慕い申し上げなさっているということである。
※延政門院:後嵯峨院第二皇女、悦子内親王。
※院:後嵯峨院の仙洞御所。
幼い皇女が、父の後嵯峨院にあどけない歌を贈る。
受け取った父は、もはや後嵯峨院の顔などできない。
単なる子煩悩の父でしかない。
娘としては真面目に、「お父様大好き」を、歌に込めたのだと思う。
父と愛娘の姿。
遁世人にして子供などなかった兼好氏には、実はうらやましかったのかもしれない。




