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第五十二段 仁和寺にある法師

(原文)

仁和寺にある法師、年よるまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。

極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年ごろごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。


(舞夢訳)

仁和持のある法師は、年を取るまで、石清水八幡宮を参拝したことがなかった。

そのため、そのことを残念に思い、ある時に意を決して、一人だけで徒歩で参詣した。

さて、その法師は、極楽寺と高良社などを拝み、それで願いが成就したとして、帰ってきてしまった。

さて、その後、法師仲間たちに対して、

「長年思っていたことを、無事果たすことができました」

「噂以上に尊いお宮と感じました」

「ただ、それにしても、そこに一緒にいた御参拝の皆さまが、皆、山に登って行かれたのです」

「その山には何があったのでしょうね」

「少々は気になったのですが、神前に参ることが、第一の目的であると思いなおし、私は山の上までは見物をいたしませんでした」

と、語ったそうである。

こういう話を聞くと、ちょっとしたことであっても、案内をする人は欲しいと思うのである。


※仁和寺:京都市右京区御室にある真言宗の寺。宇多天皇の御世、仁和4年(884)に完成。天皇が出家後、この寺に住み、その後歴代の住職は親王(法親王)が任ぜられるなど、皇室とゆかりが極めて深い寺。

※石清水:石清水八幡宮。京都府八幡市男山。男山の参上の鎮座。貞観2年(860)、宇佐八幡宮を勧請して創建。標高142メートルの山上に社殿がある。

※極楽寺:男山ふもとの、八幡宮の宮寺。明治元年に焼失。

※高良:高良明神。男山のふもとの八幡宮の摂社。



当時、都から宇佐八幡宮への参詣は、船便がほとんど。

よほどの生真面目であった、この法師は、徒歩で苦労して参詣するルートを選択した。あるいは、苦労を厭わない、その生真面目さが、八幡の神に対する誠意とでも思ったのだろうか。

ただ、現実には、苦労して石清水八幡宮の目前まで到達しながら、宮寺と摂社だけを拝んで、それを本殿と思って帰ってきてしまった。

ほとんどの人が山の上目指して歩いていく、それに対して「どちらに行かれるのですか」と尋ねることもしない。

世間に疎いのか、どこか、普通ではない感性の持ち主の法師だったのだろうか。


おそらく、同僚の法師たちにも、呆れられたような笑い話である。

法師の自分の間違いを指摘された時の、真っ赤な顔も想定できる。


「ちょっとしたことでも、案内人をつけたほうがいい」

兼好氏の指摘は、至極当然。

見知らぬ場所では、謙虚になるべきであって、独断専行や自分勝手な思い込みは、間違いや失敗のもとになる。


「郷に入っては郷に従え」とも言える。


おそらく仁和寺で長年修行した、高位の法師だったのだろうか。

生真面目だけど、他人に頭を下げられない。

そして大失敗をして、結局、恥を後世まで残してしまう。


おかしさと、哀しさを感じる一段である。

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