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第五十一段 亀山殿の御池に

(原文)

亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民におほせて、水車をつくらせられけり。

多くの銭を給ひて、数日に営み出だしてかけたりけるに、大方めぐらざりければ、とかくなほしけれども、終にまはらで、いたづらに立てりけり。

さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水を汲み入るる事、めでたかりけり。

万にその道を知れる者は、やんごとなきものなり。


(舞夢訳)

亀山殿の御池に、大井川の水を引き入れることになり、大井の地元民に命じて、水車を作らせたことがあった。

多額の金銭を与えたところ、彼らは何日もかかって作りあげ、水車を取り付けた。

しかし、水車が全然回らないので、あちこち修理をするけれど、とうとう回ることもなく、水車は無駄に立っているだけとなってしまった。

さて、そのような状態であったので、宇治の里の民を召して、水車を作らせてみると、簡単に組み立ててしまい、亀山殿に差し上げてみると、予想通りに回り、水を屋敷の中に汲み入れることも、素晴らしいことであった。

全てにおいて、その道を知る者とは、さすがだと思う。


※亀山殿:後嵯峨院が建長年間(1149~56)に造営した仙洞御所。亀山のふもとで、南は大井川の岸に接していた。



素人と専門家の違いだろうか。

その仕事を知らなければ、どれほど多額の金銭を与えても、結果は期待できない。

専門家なら、簡単にやってのけるけれど。

ここで考えなければならないのは、兼好氏が大井の里の住民を非難したり、貶めているということではないこと。

もともと、水車の作り方など知らない大井の里の住民に、頼んでしまった人が愚かなのである。

まさに、金と時間を無駄にしたとも言える。



やはり人間は万能ではない。

金さえ与えれば何でもできるわけではない。

素人と玄人の違い、向き不向きは厳に存在する。

例えば、大相撲の横綱にマラソンを走らせても、結果は期待できないし、命の危険もある。

逆にマラソン選手が、大相撲の横綱と相撲を取っても、どうにもならないし、命の危険が同じように発生する。

やはり、適材適所と言うべきなのか。


それを無視して無理を強行しても、結果は期待できるものではない。

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