第三段 よろづにいみじくとも
(原文)
よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
(舞夢訳)
全てのことにすぐれた資質を持っていたとしても、色恋の道を好まない男などは、全く面白味に欠けるのであって、玉の杯を持っていても、その底が抜けているような印象になる。
露や霜でびしょ濡れになって、女や恋を求めてあてもなく迷い歩き、親の諌めや世間の悪評なども気にするので、心が落ち着くようなこともない。
様々なことに思い乱れ、そうは言っても独り寝となることが多くて、熟睡の夜もないというような男が、面白いのである。
色恋に夢中になっていても、ひたすらに溺れこむまでには至らず、あちこちの女からは、「目を離せない」と思われているようなのが、男として好ましいと思うのである。
確かに四角四面でも、溺れすぎても、男としては無粋。
フラフラとさまよい歩きながらも、決して女が「目を離せない」と思う。
それが、風流というのが、兼好氏の「好ましい男性論」なのである。
まさに「都会風、みやび」な、男性論と思う。
清廉潔白だけが取り柄の人、武闘派を気取る人には、無縁の発想かもしれない。