第四十五段 公世の二位のせうとに
(原文)
公世の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極て腹あしき人なりけり。
坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。
この名然るべからずとて、かの木をきられにけり。
その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。
いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。
(舞夢訳)
藤原公世二位の兄で、良覚僧正と呼ばれた人は、極端に気が短い人であった。
その住房の傍らに大きな榎の木があったので、世の人は、「榎木僧正」とも呼んだ。
しかし、こんな呼び方などあってはならないとして、大きな榎を伐ってしまわれた。
ただ、木の根が残ってしまったことから、世の人は「きりくいの僧正」と呼んだ。
すると、僧正は、ますます怒って、切り株を掘って捨ててしまった。
その跡が、相当大きな堀になってしまったので、世の人は「堀池僧正」と呼ぶのであった。
※藤原公世:侍従。歌人で箏の名手。1301没。
※せうと:兄。
※良覚僧正:延暦寺の高僧。大僧正。生没年未詳。大僧正は二位大納言に准ずる高位。
よほどプライドが高く、短気な人だったようだ。
人につけられた「あだ名」を気にして、榎の大木を伐ってしまう。
しかし、また別のあだ名をつけられ続ける。
名誉や利益など、この世の執着から脱却するのが仏法の教えと他者には教えながら、大僧正まで昇った自分自身は、短気極まりない。
全部抜いたら跡が堀になるような大きな榎まで、あだ名を気にして切り倒し、抜いてしまう。
この愚かさは、名誉どころではない、嘲られるのが当たり前。
何のための仏法か、兼好氏もおそらく冷笑していたのだと思う。




