第四十四段 あやしの竹の編戸のうちより(1)
(原文)
あやしの竹の編戸のうちより、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つややかなる狩衣に、濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、ささやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつつ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知らまほしくて、見おくりつつ行けば、笛を吹きやみて、山のきはに惣門のあるうちに入りぬ。
榻に轅を立てたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかじかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。
(舞夢訳)
少しみすぼらしいような竹の編戸から、若々しい男が出て来た。
月の光の中、色合いはよくわからないけれど、キラキラとした狩衣に濃い紫の指貫を着け、実に由緒を感じさせる容姿である。
少年ひとりをお供として、長く続いている田の中の細い道を、稲葉の露に濡れながら歩きながら、笛を何とも見事に吹き鳴らす。
このような場所では、笛の音色の素晴らしさなど聞きわける人などいないと、思うにつけ、私は彼の行き先に興味を持ち、彼の後をついて行った。
すると、若い男は、笛を吹くのをやめて、山際の惣門のある屋敷に入っていく。
榻に轅を載せて、駐めてある車が見えるけれど、ここは都ではなく山里なので、より興味がわいたので、そこにいる下人に尋ねてみると、
「某とかいう宮様がご滞在中、何でも御仏事が行われるようで」
と、教えてくれた。
「王朝の雰囲気あふれる貴公子の月夜のそぞろ歩き」の描写、まるで物語のような美文と思う。
武家政権になって、約100年経過しているけれど、京にはまだまだ、そのような風情が残ていた。
この文を兼好氏が、想像上で書いたという研究者もいるようだけれど、それを信じてしまえば、面白さが半減してしまう。
やはり、兼好氏自身が、若い貴公子を追いかけたと信じたほうが、この文の情趣が増すことになる。




