第三十八段 名利に使はれて(2)
(原文)
埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらはほしかるべけれ。
位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。
愚かにつたなき人も、家に生れ、時にあへば高き位にのぼり、おごりを極むるもあり。
いみじかりし賢人・聖人、自ら賤しき位にをり、時にあはずしてやみぬる、又多し。
ひとへに高き官・位をのぞむも、次に愚かなり。
(舞夢訳)
永遠に忘れられない名声こそが、望ましい事と思う。
高位で貴い人であっても、必ずしもすぐれた人というべきではない。
愚かにして魅力が何もない人であっても、しかるべき屋敷に生まれ、時流に乗って高位にのぼり、傲慢を極める例がある。
素晴らしい賢人や聖人であっても、自ら好んで低い地位にいて、時世にはあわずに、そのまま終わってしまった例も、また多い。
それを考えると、ただひたすらに高位高官を望むのも、利を求めることに次いで、愚かなことなのだと思う。
肉体が滅びて死しても、不朽の名声を得る人は、在世中は必ずしも高位高官であったわけではない。
また高位高官となって権勢を振るう人も、ただ、しかるべきお屋敷に生まれ、愚かであるにも関わらず、時流に乗っただけのことも多い。
また、すぐれた賢人、聖人も、出世欲がなく、そのまま埋もれてしまうこともある。
社会的地位や肩書を、人間の評価基準とする人が多いけれど、その地位から離れた時こそが、その人の本当の価値。
地位による名誉などは、その人自身が持つ名誉ではないのだから。
その地位を離れれば見向きもされない人。
その地位を離れても、いつまでも慕われる人。
結局は、その地位にあった時に、周囲にどれだけ喜ばれたのか、喜ばれた人はずっと慕われる。
傲慢などにして、周囲の人の気持ちを害していれば、地位を離れた途端、見向きもされなくなる。




