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第三十段 人のなきあとばかり悲しきは(3)

(原文)

思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。

さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪にくだかれ、古き墳はすかれて田となりぬ。

そのかただになくなりぬるぞ悲しき。


(舞夢訳)

故人を思い出して偲んでくれる人々がいる間は、まだ問題はない。

しかし、そんな人々も、ほどなくして亡くなっていく。

ただ名前を知っている程度の子孫になると、どれほどの想いをかけるのだろうか。

結果として、その故人の追善供養もしなくなってしまうし、墓も荒れ、誰の墓であるかもわからなくなる。

春が来るたびに、草むす墓というだけの状態になり、心ある人ならば、それをあわれ深いと見るかもしれないけれど、より年月が経過していくと、嵐に吹かれて悲し気な音を立てていた松も、千年の寿命を待たずに薪として切られてしまうし、古い墓などは、掘り返されて水田と化してしまう。

結局は、何も跡などなくなってしまうのであって、実に悲しいことである。


これも、わかりやすい。

立派な墓などをつくっても、いつの間にか子孫も絶え、詣でる人もいなくなり、荒れ放題、やがては掘り起こされて、水田と化す。

まさにこの世は生きる人の世、とっくに死んでしまった人、見知らぬ人にはよほどのことがない限りは、関心など払わないのが当然なのだから。

ただ、それが「わが身」と意識すると、少々ドキッとするけれど。


※いづれの人と:白子文集続古詩十首の第二からによる。

 古墓何代人 不知姓與名 化作路傍土 年年春草生 感彼忽自悟 

 (舞夢訳)

 この古い墓に眠る人は いつの時代の人なのか、もはや姓も名も わからない。

 すでに 道端の土の塊に変わりはて、春の草が 年ごとに生えてくるだけ。

 じっと見ていると 心に感じるものがある


さて、この文を書いた兼好氏の墓も、「その形だになくなりぬる」であるようだ。

兼好氏の墓と伝承される所が各地にあって、どれも確定されていない。

それに、「いつ、どこで」亡くなったのかも、確定されていないのだから。


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