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第三十段 人のなきあとばかり悲しきは(1)

(原文)

人のなきあとばかり悲しきはなし。

中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営みあへる、心あわたたし。

日数のはやく過ぐるほどぞものにも似ぬ。

果ての日は、いと情けなう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりぢりに行きあかれぬ。

もとの住みかに帰りてぞ、更に悲しき事は多かるべき。

「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため忌むなる事ぞ」など言へるこそ、かばかりのなかに何かはと、人の心はなほうたておぼゆれ。


(舞夢訳)

人が亡くなった後ほど、悲しいものはない。

中陰の期間は、遺族などが山里などに移り、不便かつ狭い場所に多くの人がたくさんいて、法事を営むなど心が落ち着くものではない。

また、日がたちまちに過ぎていく早さは、何とも言いようがない。

四十九日目になって、実に味気ない気持ちになって、お互いに言葉を交わすこともなく、それぞれに身の回りの物を整理し、それぞれに別れていく。

そして自分の家に戻っても、なおさらに、悲しく思うことは多いだろうと思う。

「そのようなことはとんでもないことであって、追善の場では忌み慎むべき」などとの言う人がいるけれど、これほどの悲しみに沈む中で、実に心のない言い方であろうと思う、それだから、人間の心などは煩わしいものだと感じてしまうのである。


※中陰:人の死後、49日間。死者が次の生を受けるまでの最大限の期間。

※山里などのうつろひて:霊魂が山に向かうという信仰に基づいて遺族が山籠もりした習慣を指すらしい。明確な伝承があるわけではなく、時代や家風により各種の流儀があったようだ。



実際、人が亡くなって、遺族が山籠もりをして49日の法要まで、共同生活をしたのかどうかは不明。

兼好氏は、誰がどのような言動を「忌み慎むべき」と言ったのかも、明確には書いていないけれど、要するにその人の「ものの言い方」が気に入らなかったのだと思う。

兼好氏は、何かをして、そのような「面倒なことを偉そうに」言われてしまったのではないかと思う。

兼好氏としては、そんな他人の言動に注目して戒めるのではなく、まずは故人を偲び、あの世での幸せを祈るべきと、その人に言いたかったのかもしれない。


現代でも、葬式や結婚式になると、「突然に格式ばりたがり」、他人に注意して回る人を見かける。

格式も大切だけれど、格式を重んずるばかりに、周囲に煙たがられ、結局は場を壊してしまうのが、たいていの落ち。

格式のために儀式があるわけではない、儀式のために格式がある。

まず、基本は「人を思う心」なので、格式ばるのも程度の問題なのだと思う。

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