第二十八段 諒闇の年ばかりあはれなる
(原文)
諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ。
倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束、太刀・平緒まで、ことやうなるぞゆゆしき。
(舞夢訳)
諒闇の年ほど、様々な想いが深くなることは無いだろう。
倚廬の御所の様子などは、特にそれを感じさせられる。
板敷は低く作り、葦の御簾を掛け、布の帽額は粗末なものに。
様々な道具類にいたっても、質素。
人々の装束、太刀、平緒まで通常とは異なるので、ゆゆしさを感じさせる。
※諒闇:天皇が、父母またはこれに準ずる人の裳に服す期間(原則は1年間)。天皇の服喪の中で最も重いもの。
※倚廬の御所:諒闇の初めに、天皇が籠られる仮の御所。当初は13か月であったのが、後に13日間に短縮された。
※板敷を下げる理由は、亡くなった人は地下に埋葬されるため、それに近づけるため。
※葦の御簾:通常は使わないような葦の茎で編んだ粗末な御簾。(通常は竹製)
天皇自ら藻に服すということで、日常生活における華美を慎む。
それが天皇の周囲から、国民生活にまで、影響していく。
昭和から平成へと変わる時期にも、華美を慎む自粛ムードがあったようだ。
やはり、これも日本、日本人の伝統なのだと思う。




