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第二十七段 御国ゆづりの節会

(原文)

御国ゆづりの節会おこなはれて、剣・璽・内侍所わたし奉らるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや、

殿守の とものみやつこ よそにして 掃はぬ庭に 花ぞ散りしく

今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。

かかる所にぞ、人の心もあらはれぬべき。


(舞夢訳)

御譲位の節会の際に、剣・爾・鏡の三種の神器を、お渡し申し上げる時ほど、寂しい限りのことはない。

新院が、その位をお退きになられた年の春に、このようにお詠みになられたと言う。


主殿寮の役人たちが、見ることも無く掃除もしない、この御所の庭は、一面が散った花で敷かれている


新しい御世の仕事が忙しいことにかまけて、新院の御所には、誰も参上する人がいなく、実に寂しい限り。

このような時にこそ、その人間の心の本当の姿があらわれるというものである。


※御国ゆづりの節会:譲位の節会。天皇が皇太子に位を譲る時に、臣下に酒宴を賜る儀式。この段に書かれているのは、文保2年(1318)。花園天皇から後醍醐天皇への譲位の節会。尚、兼好氏は当時36歳。

※内侍所:御神鏡の八咫鏡を奉安することから、鏡の意味にも用いる。



御譲位の際の新しい御世への不安、御譲位が行われた後の、かつての臣下たちの先の帝をまるで無視するような、無礼とも言える手のひら返し。

「そういう時にこそ、人の本性が出る」と、兼好氏は嘆く。


あと、二週間で平成から令和の時代となる。

令和を歓迎し、過ぎ行く平成にも感謝の念を忘れない。

私はこの思いが、時代の移り変わりの時期にいる人間としての、基本的な礼儀だと思っている。

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