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第二十五段 飛鳥川の淵瀬(1)  

(原文)

飛鳥川の淵瀬、常ならぬ世にしあれば、時移り事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人あらたまりぬ。

桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。

まして、見ぬいにしへのやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。


(舞夢訳)

古くから詠まれて来た飛鳥川の渕瀬のように、世の中とは無常なものである。

時勢は移り変わり、楽しみや悲しみは、人それぞれに訪れながらも、かつては華やかであった場所も、今は人も住まないような野原になり、家自体は残っている場合にも、住む人が別になっている。

桃や李は、何も語ることはないけれど、そうなると誰と往時を語ることができるのだろうか。

それにも増して、見たこともないような、昔の尊いお方が住まれていた屋敷の跡などは、実にこの世のはかなさを感じさせる。


※飛鳥川渕瀬:飛鳥川は渕瀬常ならない川として、古来から名高く、憧れを抱かれていた。

「飛鳥」は「明日」にも通じるので、世の無常を語る際によく引き合いに出され、飛鳥川は、またよく川が氾濫し、流域の地形が変わったと言われている。


〇参考

明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば 靡きあはなくに

                   (万葉集巻7-1380 作者未詳)

世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

                      (古今集 詠み人知らず)

河は飛鳥川。渕瀬もさだめなく、いかならむとあはれなり。

                        (枕草子 第62段)


※桃李もの言はねば:桃や李は、昔のように花を咲かせるけれど、何も語らない。

「桃李もの言はず 春幾たびか暮れぬる 煙霞跡無し昔誰か栖みし」

                         (和漢朗詠集:菅原文時)


兼好氏は、この世の無常、特に豪壮な屋敷の荒廃を、常ならぬ流れで古来有名だった奈良の飛鳥川と、「桃李もの言わねば」の古言をひき、嘆いている。


確かに、永遠の命を持つ人はなく、屋敷もまた、ない。

わびしい、はかないと言っても、どうにもならない。

それが、この世を流れる無常の川であり、逃れられない定めなのだと思う。


※次回で、具体的な屋敷などの例示となります。

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