第十九段 をりふしの移りかはるこそ(7)
(原文)
なき人の来る夜とて魂まつるわざは、この比都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそあはれなりしか。
かくて明けゆく空の気色、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
大路のさま、松立てわたしてはなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
(舞夢訳)
大晦日は、亡くなった人が、戻って来る夜として、その人の魂を祀る風習があったけれど、最近は都ではみられなくなった。
しかし、関東では、その風習が残っているのを見たことがあり、実に感慨深いものであった。
さて、このようにして明けていく新春の空の景色そのものは、昨日と特別に変わるものではないけれど、ひときわ新鮮な雰囲気がある。
都大路の様子は、門松を軒並みに立てて、新春ならではの華やかな喜びにあふれていて、これもまた、感慨深いものがある。
兼好氏のこの記述により、兼好氏の時代の関東では、都では廃れた「大晦日の死者祀り風習」が残っていたことがわかる。
兼好氏自身が、関東のどの地で、その風習を、いつ見たのかは、未詳。
推定では、武蔵金沢になっている。
その後の記述の新春風景については、実にわかりやすい。
「ただ、時間の経過で新年になるだけ」と、思う人は、実は少ないのではないだろうか。
新年を喜ぶ、気持ちを新たに(リセット)する、そのような人のほうが、多いのではないだろうか。




