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第十九段 をりふしの移り変わるこそ(5)

(原文)

さて冬枯の気色こそ秋にはをさをさおとるまじけれ。

汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。

年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる比ぞ、又なくあはれなる。

すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。


(舞夢訳)

さて、冬枯れの景色は、秋と比べて、ほとんど劣るものではないと、感じている。

庭の池の水際の草に、散ったもみじの葉が留まり、その上に真っ白な霜がおりている朝に、遣水から、水蒸気が立ちのぼる様子など、実に情趣を感じる。

その年の暮れも押しせまり、いろんな人があわただしく動きまわる様子も、実に面白い。

興ざめなものとして、誰も見る人がいない、寒々と澄む二十日過ぎの月は、心細いものである。


さて、兼好氏のこの「冬枯れ」を愛する文は、後の日本文化に大きな影響を与えた。

わびさび、村田珠光から利休につながる茶の湯文化は、強くこの「冬枯れの美」を意識している。

普通に考えれば、季節の中では、春か秋を最上とするのが、人間心理。

しかし、兼好氏は、冬枯れの景色も、絢爛たる紅葉の秋景色にも決して劣らないと言う。

盛りの時の美しさではなく、余分なものを極力削った「枯れた、やせた」ものにも、深く秘めた美しさ、情趣があると言うのである。

怜悧な美しさなのだろうか、研ぎ澄まされた日本刀の刃先のような美しさなのだろうか。いずれにせよ、心の引き締まりや、緊張感をおぼえる美しさなのだと思う。


誰も忙しくて、寒くて見る人がいないけれど、師走の二十日過ぎの夜空に輝く月は、確かに心細い(温かみは感じない)けれど、怜悧な美しさをたたえていると思う。


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