第十九段 をりふしの移りかはるこそ(4)
(原文)
七夕まつるこそなまめかしけれ。
やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は秋のみぞ多かる。
又、野分の朝こそをかしけれ。
言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにことふりにたれど、同じ事、又今さらに言はじとにもあらず。
おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべき物なれば、人の見るべきにもあらず。
(舞夢訳)
七夕祭りは、優美なものと思う。
それが過ぎ、少しずつ秋が深まり、夜に肌寒さを感じる頃には、雁が鳴きながらやってくる。
萩の下葉が赤く色づく頃には、早稲の田を刈り取り乾かしている。
そのような情趣を感じる様々の風物が、とりわけ、秋に多い。
それと、台風の過ぎた翌朝も、また風情がある。
このように言い続けてきたけれど、実はすべて「源氏物語」や「枕草子」において、言いつくされたことである。
ただ、同じことであっても、再び言ってはいけないということはない。
思っていることを言わないというのは、腹がふくれることになるし、筆の進むにまかせて書いている。
ただ、この文は、そもそもが暇つぶしのための書き物に過ぎないのだから。破り捨てるべきものであって、他人は読むべきものでもない。
※「おぼしき事言はぬは腹ふくるる」:心に思うことを言わないのは、腹がふくれるような感じがする。一説にギリシア神話の「王様の耳はロバの耳」の話に由来し、中央アジア、中国、朝鮮を経て、日本に伝わったとのこと。
兼好氏自身は、途中まで書いていて、そういえば源氏物語や枕草子に、全てこんなことは書いてあったと、自嘲する。
それらに書いてあっても、「書いてはいけないとは思わない」と書きながら、こんな文は暇つぶしの結果であって、破ってもいいような、どうでもいいものと、さらに自嘲する。
こんな文になるのも随筆ならではであって、心の中を、実に「腹ふくるること」なく、書き連ねている。




