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第十四段 和歌こそなほをかしきもの(3)

(原文)

歌の道のみ、いにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや、

今も詠みあへる同じ詞・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに同じものにあらず、やすくすなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

梁塵秘抄りょうじんひしょう郢曲えいきょくの言葉こそ、又あはれなる事は多かめれ。

昔の人は、ただ、いかに言ひ捨てたることぐさも、皆いみじく聞ゆるにや。


(舞夢訳)

歌の道だけは、「今であろうと古代と変わることはないと」いうけれど、さて、それはどうだろうか。

現代の人が詠む同じ詞や、歌枕も、古代の人が歌ったのとは、全然別のものである。

昔の歌のほうが、わかりやすく素直で、姿も美しく、情趣が深いと思われる。

「梁塵秘抄」の歌謡の言葉は、また心を打つものが多い。

作者が古代の人であれば、全く無意識に発した言葉であっても、全て素晴らしく聞こえるのであろうか。


※梁塵秘抄:後白河院が選んだ歌謡集。治承三年(1179)成立。二十巻あったけれど、現存は巻一の一部と巻二、及び口伝集巻十のみ。

※郢曲:遊興の地として知られた郢(春秋時代の楚の都)にちなんで、流行歌曲を表現した漢語。日本では謡い物の総称として用いる。



兼好氏の過去賛美が、よくわかる文である。

同じ詞を使って詠んでも、過去とは違う。

同じに思いたくないのだろう。

確かに風景も変化しているかもしれない、詠む人の、身分や、立場も違うのだからそれも異なる。


確かに、万葉集の時代から古今、梁塵秘抄のような今様、新古今を経て、和歌も変遷をしてきた。

特に、新古今には、藤原定家に見られるような、技巧の限りを尽くした和歌もあるし、その影響からか、兼好氏の時代にも「巧緻を極める」タイプの歌や歌詠みが幅をきかせていたのかもしれない。

それだから、兼好氏は、より一層素直で情趣の深い古代の歌や歌詠みを賛美したのだろうか。


兼好氏自身に、一度「人麻呂論」を語ってもらいたいような気がしてきた。

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