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第十四段 和歌こそなほをかしきもの(2)

(原文)

新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞ言ふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。

されどこの歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。


(舞夢訳)

「新古今和歌集」においては、「残る松さへ峰にさびしき」という歌が、歌屑と言われていて、確かに、少々整っていない姿にも思われる。

ただし、この歌においても、衆議判の時には、それなりの評価があった。

その後も、格別に印象が深かったとの、後鳥羽院からのお言葉が賜われたとの旨が、源家長の日記に書かれている。



※「残る松さへ峰にさびしき」:「冬の来て 山もあらはに 木の葉ふり 残る夏さへ 峰にわびしき」(新古今集冬:祝部成茂。なお、この歌を歌屑とする説については、不明。

※衆議判:歌合で、特定の判者によらず参加者の合議により、優劣を決めること。

 この歌合は、元久元年(1204)、11月10日の春日社歌合。和歌所で行われて同13日に、春日社に奉納された。参加者30人、佳作も多く、14首が新古今集におさめられた。

※院:この時は、後鳥羽院。

※家長:源家長(1170~1234)。和歌所の事務主任として、新古今和歌集の撰進事業を行う。その当時の状況を伝える仮名日記を残している。尚、「冬の来て」の作者の成茂は、彼の妻の同胞であった。



誰かが「歌屑」と批評したことが、兼好氏の時代にも残っていたのだと思う。

兼好氏自身としては、「歌屑」とまでは、思っていない。

和歌、物語、随筆などの文学作品に対する評価もしかり、スポーツなどにある判定競技を含めて、他者の評価に付和雷同でしたがってしまう人々のなんと多いことか。

自らは何も評価を下さず、感性の鈍いまま、他者の評価に従うのみ。

「行列のできるレストラン」も、似たようなもの。

たくさん人が並んでいるから、それに比例して美味しいというわけではない。

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