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第十二段 同じ心ならん人と(2)

(原文)

たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違う所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつかたも、我と等しからざらん人は、大方のよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。


(舞夢訳)

お互いに、これだけはしっかりと言いたいと思うことについては、「一理ある」と耳を傾けるにしても、多少は意見の違いがある人のほうが、話し相手としては望ましい。

そういう人と、「私としては、そうではなく、このように考える」と言い、互いに「このような理由があるから、こう考える」と議論を交わしあえば、気持ちも晴れることになるだろう。

ただ、実際には、納得しかねるような意見を述べる、その言い方も自分の感性とは異なる人が多い。

そのような人とは、軽い話をしている程度ならば付き合いも問題はないけれど、真の心の友とは全く異なる類となる。

実に、寂しいことではあるけれど。



多少の意見の食い違いがあっても、議論として面白ければ良し。

ただし、確かに感性が合わない人、話が合わない人と付き合うのは、辛い。

当たり障りない程度の話をしている他はないのだから。

これもまた、人間社会の現実だろう。

人は千差万別、気分もその時期、年齢、状況で異なる。


人と人は、求めあうようで、実はすれ違いが多い。

一度、すれ違い始めると、最後まで、すれ違うこともある。

兼好氏のこの文とは異質になるけれど、女三宮降嫁の後の、光源氏と紫上の関係を思い出した。


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