空気
明転。
四場 一週間後の文芸部室。愛理と松永が、座ったまま話している。
愛理 あれから一週間かぁ…。
松永 上の方は大変だったみたいだけど、授業も部活も普通にできてたから、あんまりそういう気持ちにはならないけどね。男バスは大変だったけれど。大友くんも普通に学校に来ているし。
愛理 昼休みに学食で、白身魚とエビフライの定食をおいしそうに食べてましたよ。
松永 人間、ご飯を食べられるようになれば大丈夫だよ。
愛理 北川先生、辞職しただけじゃなくて、離婚して、子供とも離ればなれになって、引っ越しまでしちゃったそうだね。
松永 私の口からはなんにも言えないけど。
愛理 みんな知ってますよ。
松永 だから、私からは何にも言えないって言ってるでしょ。
愛理 拓哉くんにはぺらぺらしゃべってたくせに。
松永 あの日とは状況が違うでしょ。あの時は、一刻も早く彼を下校させる必要があったんだし。
愛理 だけど、あたしもあれから色々考えたことがあります。
松永 どういったこと?
愛理 あたしは、現実っていうものは、あたしみたいに弱虫で、不器用で、努力不足で、何をやっても半人前な人間にだけ厳しいと思ってた。だけど違った。北川先生みたいに、能力があって、実績があって、みんなに努力が認められているような人にさえも、現実は残酷なまでに、そんな人から全てを奪ってしまうほどに厳しいことがある。
松永 私は、たった一度の軽率な行動でも、信頼を根こそぎ失うってことしか感じなかったけどね。
愛理 現実ってものは、あたしみたいな子にだけ厳しいだけじゃない。だったら、少しだけ頑張ってみようとか思った。
松永 「少しだけ」ねぇ…。
愛理 いいんですよ。北川先生みたいな成功者になろうとか思っているわけじゃない。自分なりに「頑張れた」って思えればそれでいいんです。
松永 それは…、いいと思うよ!
愛理 それから、あたしみたいな子でも、誰かの役に立てるんじゃないかと思った。
松永 それは、北川先生を見て思ったことじゃないでしょ。
愛理 あれだけたくさんのチームを優勝させた北川先生が、今は誰の役にも立ってない。役に立つ、立たないは、単純に能力の問題じゃないのかもしれない。北川先生は、いま、「無敵の人」みたいなものだけど…。
拓哉が部誌を持って登場する。
拓哉 そうです! 北川先生は無敵です! いまに立ち直って、きっと僕らに、元気な姿を見せてくれるに違いありません!
松永 (立ちながら)そうだね。私もそう思うよ。
愛理 むろん、拓哉くんのおかげでもある。
拓哉 何の話ですか。
松永 愛理ちゃんがね、「少しだけ頑張ってみよう」って思ったんだって。
愛理 いきなりたくさん頑張ると、またくじけた時にきついからね。拓哉くんは今度の部誌をつくるとき、たくさん頑張ってくれたけど。ごめんね。あたしが破っちゃったせいで。
拓哉 僕は、どうしても読みたかっただけです。
愛理 こんなことを言ってくれる人がいるから、あたしは「少しだけ」頑張れる。もし、それでもだめだったら…。
松永 だめだったら?
愛理 (拓哉に)また「もう少し」頑張るよ。
拓哉 とても、いいと思いますよ。
愛理 こんなことを素直に言えるのは君にくらいだよ。こんなことを言うと、「甘えてる」だの、「中途半端にやるくらいなら最初からやるな」だの、そんなことを言ってくる人ばかりだからね。そんな人たちの前では、やる気がなくてもあるふりをするか、何も言わずに黙っているかのどっちかだし。
拓哉 僕にはそんなことは言わないで下さいよ。(持っている部誌を顔の横に上げて)今回も良かった。また、「やさしい世界」をつくって下さいね。
松永 (笑って)わたし空気だなあ。
松永、静かに退場。
拓哉 だから…、よろしく先輩。
拓哉、手を伸ばす。
愛理 よろしく後輩。
愛理、拓哉の手を取る。
拓哉、愛理を立たせて引き寄せる。
BGMが鳴る。
愛理と拓哉、クラッシック系のダンスを踊る。
了




