桃色の青き春
魔王城デルゾゲード。
その通路を制服の少女が二人、並んで歩いていた。
二千年前、魔王アノスの居城であったデルゾゲードは、現在、その一角を魔王学院の施設として使っている。
サーシャ・ネクロンは魔王学院に所属する生徒だ。
「――それでアノスの降らせた雨が傘を貫通しちゃって、土砂降りの中を三人で歩く羽目になったわ。それも三時間」
「三時間……! 誰も止めなかったんですか?」
「……だって、なんか満足そうな顔で歩いてるんだもの……」
「……あはは……お疲れ様です……」
そう笑みを湛えたのはミサ・レグリア。
サーシャと同じくアノスの配下であり、魔王学院へ通っている。
「でも、どうして急に青春なんて言い出したんでしょうか?」
「わからないわよ、アノスの考えてることなんて」
「アノス様のことですから、なにか深いお考えがあるかもしれませんよね」
「ただの興味本位のときもあるわ」
ミサは乾いた笑声をこぼす。
「でも、お気持ちはわかりますよね。アノス様はこれまで、戦いに明け暮れる日々だったんですから」
「まあ、それはね。アノスの力で青春しようなんて、悪い冗談としか思えないけど」
とはいえ、ミサの言うことにも一理あるとサーシャは思った。
二千年前の大戦を経て、この魔法の時代に生まれ変わった魔王アノスは、平和を知らない。青春に至っては体験したことすらないだろう。
だからこそ、それを求め、知りたいと思っている。
「……でも、本当にそうかしら……?」
「サーシャ様は、他にお考えがありそうって思うんですか?」
サーシャは俯き、頭を悩ませる。
――もっとよく深淵を覗け。
彼がよく口にする言葉だ。
魔王はなぜ青春などと言い出したのか?
本当にただ青春を求めているだけとは思えない。
青き春。
その深淵には、なにか別の意味が隠されているのかもしれない。
そこまで考え、サーシャははっとなって顔を上げた。
「もしかして――」
サーシャの頭に、ある思考がよぎった。
それは桃色の青い春――
魔王アノスの声が彼女の耳に聞こえてくる。
それはまるで幻聴のように。
――馬鹿め、サーシャ。まだ気づかぬのか?
――俺が青き春を求めるというのはな、
お前のことが好きだという意味だぞ。
「あ、あはは……アノス様はそんな色ぼけ台詞言わないと思いますよー」
「色ぼ……な、なにも言ってないでしょっ……!」
顔に書いてあったのだ。
「それに、青春って九割七分ぐらいは恋愛のことじゃない?」
「サーシャさんは偏りすぎだと思いますよ」
「でも、百歩譲って、恋なくして青春はないわよね?」
「どこらへんが譲ってるんですかね?」
じとっとサーシャはミサを睨む。
自分は恋人と上手くいっているからって、と恨み節が聞こえてきそうな嫉妬の視線であった。
「……で、でも、あれですよ。よく考えてみてください。本当は恋をしたいのに、青春のことが知りたいなんて、アノス様がそんな遠回しなこと言いますか?」
「なによ。わたしよりアノスのことがわかるって言うの?」
「え、えーと、そうは言ってないです」
「じゃ、聞くけど、アノスならどうするっていうの……?」
「えーとですね……」
ミサは考え、そして言った。
「やっぱり直球で、ちょっと強引に奪っていきそうなイメージですよね」
その言葉でサーシャの頭に妄想の嵐が吹き荒ぶ。
再び青き春のアノスが脳内で声を発した。
――お前のすべては俺のものだ、サーシャ。
拒否することは許さぬ。
――わかったら、返事をせよ。
「……はい……わたしの魔王様……」
「聞こえなかったフリしておきますねー……」
「な、なにがっ? 今のは、その……命を捨ててディルヘイドを守るときのイメージトレーニングよっ!」
「ずいぶん甘々な国の危機でしたね」
ミサの言葉は、的確にサーシャの急所を貫いていた。
「でも、大変ですよね、サーシャさんは。アノス様って、全然そういうことに興味があるように見えませんし」
「……なんのことだかわからないけど……アノスがどう思っているかなんて関係ないわ。わたしは、アノスの役に立てればそれでいいもの」
俯くサーシャに、ミサはじっと視線を向けた。
傍目にはバレバレなのだが、彼女は素直になりきれない性格なのだ。
「じゃ、関係ないかもしれませんが、前にアノス様がサーシャさんのことを褒めてたんですけど……」
「詳しく教えなさいっ! 一言一句っ!」
ものすごい勢いでサーシャはミサの制服をつかんだ。
「…………」
「……い、今のはその、事実確認だわ! 事実確認! 大事よ!」
「で、ですよね……」
取り繕うように、サーシャはミサから手を放す。
「とにかく、今日も呼ばれてるから行ってくるわ」
ミサにそう告げると、サーシャは彼女とは別の方向へ歩いていく。
「サーシャ様」
去っていくサーシャの背中に、ミサが声をかける。
「アノス様が、前に可愛い奴だって言ってましたよ」
彼女は振り返る。
「……もう。なに気を遣ってるのよ? わたしは役に立ちたいだけだって言ったでしょ」
サーシャは前を向き、再び歩き出した。
「ほんと、毎度、なにをさせられるかわかったものじゃないんだもの。魔王様には困ったものだわ」
呆れたように彼女は言う。
だが、口の端は自然と上がり、どうしようもなく頬が緩む。
足取りはみるみる早くなり、気がつけばまるでスキップをするかのように軽やかだった。
「……可愛い奴だなんて……魔王様には困ったものだわ……もっと隠さなきゃだめでしょ……」
隠すことなどなにもない。
浮かれ気分のサーシャには、そんな現実などどうでもよく、やはりアノスが求める青春が桃色なのではないかと思えてきてならなかった。
弾むように通路を移動しては、王命の間の扉を勢いよく開け放った。
「アノス。今日の青春わたしがんばるわっ!」
満面の笑みで王命の間に飛び込んだサーシャだったが、そこにはなぜか巨大な穴が空いていた。
底が見えない。
だが、ぐつぐつとなにかが煮えたぎるような音が聞こえ、異臭が漂っていた。
ゆるりと歩いてきたアノスがサーシャの後ろに立った。
「よく言った。可愛い奴だ、お前は」
「……ちょ……ちょっと……待って……これっ、これっ、なんなのっ?」
「今日の青き春は――」
そっとアノスがサーシャの背中を押す。
「――度胸試しだ」
「み、ミーシャはっ!? ミーシャ、どこっ? お願い助けっ……」
「下で待ってるぞ」
ひゅーっとサーシャは落下していった。
そんな青春があったかはさておき――