青き春
神話の時代。
人の国を滅亡させ、精霊の森を焼き払い、神々すら殺して、魔王と恐れられた男がいた。
曰く、彼の者は暴虐の限りを尽くし、その眼前では理さえも滅ぶ。
恐るべき力を誇った魔族の王は、延々と続く闘争の日々に飽き、転生を行った。
それから、二千年後――
「見て」
「相変わらず凜々しいお姿」
「同じ空気をお吸いになられているかと思うと、頭がおかしくなりそうだわ」
魔王城デルゾゲードがざわついていた。
メイドたちの注目の的となっているのは、黒髪、黒眼の少年である。名はアノス・ヴォルディゴード。彼こそは現代に転生を果たした暴虐の魔王である。
外見年齢は一六歳ほど。
しかし、その表情や、佇まいは、とても少年のものとは思えないほどの重厚さが感じられた。
「ま、魔王様っ……」
デルゾゲードの役人――黒官たち数名が、アノス降臨の報を聞き、慌てて駆けつけてきた。
「お出迎えもできず、とんだ失礼を。国務はしばらく我々に任せると窺っていたもので」
「なにか火急の事態でも……?」
「ば、馬鹿者がっ! アノス様になんという愚問をっ! 暴虐の魔王が、意味もなくデルゾゲードを訪れると思ったかっ!」
一喝された黒官がはっと気がつくや否や、顔面を蒼白にした。
「も、申し訳ございませんっ!」
「ただちに黒二星以上の黒官を召集いたします! 五分、いえ三分ほどの猶予をくださいますようっ!」
黒官たちは素早く身を翻す。
「よい」
一言、アノスが言葉を発すれば、彼らはピタリと足を止めた。
「ミーシャたちと話をしに来ただけだ」
「なぁっ……!?」
黒官らはあんぐりと口を開けた。
ミーシャというのは、転生したアノスが最初に親しくなった魔族の少女である。
彼にとっては純粋に友人であるが、黒官たちにとっては違う。
暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴードの友は、魔族の国ディルヘイドにおける最大戦力だ。
全員揃えば、一国を滅亡させることすら容易い。
アノスが彼らと話をするということは、これから、この国の行く末をも左右する重大な出来事が起きようとしているに違いない。
黒官たちはそう静かに理解した。
「……我が君は、いったい、なにをお考えで……?」
「大したことではない。ディルヘイドの平和は成った。ゆえに、その先を考えておくべきだと思ってな」
魔王アノスは颯爽と立ち去っていく。
その背中に視線を向けながら、黒官の一人が言葉をこぼす。
「ディルヘイドの平和の先……」
「まさか、人間の国アゼシオンを制圧するおつもりか……」
「そんなはずはっ! 魔王様は人間との友好も望まれていたっ!」
「人間たちの腐敗した政治は、自らの民すらも虐げている。それが許せぬのかもしれん」
「どうかな? 私の見立てでは、もっと崇高なお考えがおありだと思う」
そう発言した黒官に、全員の注目が集まった。
「というと?」
「我らの浅はかな頭で計り知れるものではないよ。わかっているのは、魔族はあの御方についていくしかないということだ。たとえ、何千何万もの民が犠牲になろうともな」
ごくり、黒官たちは喉を鳴らす。
「冷酷でありながらも、博愛を尊ぶ御方だ。いったい全体、なにをお考えなのか。もしも叶うのならば、一度その崇高な目的を聞いてみたいものだ」
◆◆◆
王命の間。
玉座に座ったアノスが、ミーシャたちに言った。
「聞け。我が魔王軍の次なる獲物は――青春だ」
ぱちぱちと瞬きをした後、ミーシャが小首をかしげた。
ウエーブがかかったプラチナブロンドの髪がふわりと揺れる。
「青春?」
「いきなりわけのわからないこと言い出したわね……」
呆れた表情を浮かべているのはサーシャ。
金髪のツインテールと碧の瞳を持つミーシャの双子の姉である。
「我がディルヘイドはアゼシオンと友好を結び、精霊たちとの関係も良好。今のところは、神々の企てもない。世界は二千年前、誰もが願った安息の日々にたどり着いた」
それこそが、魔王アノスの悲願だった。
「だが、これしきの平和で満足する俺ではないぞ」
「それはわからなくもないんだけど……」
なぜ青春なのか、とサーシャは言いたげだ。
「山の頂に青き春があると聞く」
「なにが?」
サーシャが真顔で聞き返す。
「この魔法の時代に、俺も学ばなかったわけではない。平和を険しき山脈とすれば、その頂きに君臨する至上の季節、それこそが青き春なのだろう」
アノスの全身からは、魔王の威厳が滲み出る。
二千前、彼にとっては血で血を洗う戦いこそが日常であった。
ゆえに、この平和な時代において彼は少し異質な存在だ。言葉を濁さずに説明するならば、そう――どこかズレている。
「見ていろ、ミーシャ」
不敵に笑い、彼は言った。
「青き春は俺が支配してやる」
「支配してはいけないと思う」
ミーシャは淡々とつっこんだ。
「ほう?」
「この時代になにを学んだのよ……」
サーシャが呆れたようにぼやく。
だが、彼は神々さえも滅ぼすといわれた暴虐の魔王アノス・ヴォルディゴード。
これしきの事態に焦るようでは、二千年前の戦いを生き抜くことはできなかった。
滅ぼして、滅ぼして、滅ぼし尽くして、不可能を可能に変えてきた。
禍々しくも、超然としたオーラを全身から放ちながら、アノスは言った。
「確かにな。俺は平和の生き方を知らぬ。学びはしたが、やはり知識だけではわからぬことは多い」
「まあ、青春なんて言われただけじゃピンと来ないってのもあるわよね」
サーシャの言葉に、ミーシャがこくこくとうなずく。
「なに、わからぬのは一つだけだ。それを聞くためにお前たちを呼んだ」
玉座に座りながら、アノスはサーシャをじっと見つめる。
「サーシャ。青き春とはなんだ?」
「これっぽっちもわかってなくないっ!?」
サーシャが激しくつっこみを入れる。
「さて、どうだろうな?」
「絶対そうでしょ」
アノス・ヴォルディゴード。彼は暴虐の魔王と呼ばれながらも、冗談の類を好む。それゆえ、本気なのか、冗談なのか、非常にわかりづらいところがあった。
「それで、なんなのだ?」
「なんなのって言われても……?」
サーシャが妹と顔を見合わせる。
ミーシャが小首をかしげた。
「説明が難しい」
「……そうよね……言葉で言ってもわかるかわからないし……」
姉妹がどうしたものかと頭を悩ませる。
「では、やってみよ」
「なにが?」
サーシャが素で訊き返していた。
「青春だ。二人でやってみよ」
「やるって、なにが? どういうこと?」
「青春を今ここで見せるのだ」
「どうやって?」
「それを見たいのだ」
サーシャが真顔になった。
「……そうだったわね……でも、青春をやれって言われても……」
「がんばる」
ミーシャが淡々と言って、僅かに後方へ下がる。
「頑張るって言っても、どうするのよ?」
「考えがある」
すると、ミーシャが姉に近寄り、ひそひそと内緒話をした。
「わたしがアノス役でいい?」
「それは別にいいけど、じゃ、わたしは?」
「サーシャはサーシャ役」
「そのままだわ」
「魔王学院の教室で二人きり。居残りで魔法の練習をしている」
「あー、そういうあれね。確かに青春だわ。それで?」
「サーシャはアノスに告白する」
「馬鹿なのっ!」
顔を真っ赤にしながら、サーシャは激しくつっこんだ。
「告白は青春らしいと思う」
「そ、そうだけどっ、それだけじゃないでしょっ! 他にも色々あるじゃないっ。友情とか、勉強とか、ユニオン活動とかっ。大体……!」
一瞬、サーシャはアノスの方向をちらりと見る。
「そ、そんなの、見せられないわ……」
「演技だから」
「それは演技だってわかってるから、変には思われないと思うけど、でも……」
「わたしがアノス役以外になればいい?」
サーシャが口を噤み、顔を背ける。
頬は朱に染まっていた。
「それは演技でも嫌……」
「なるほどな。告白は嫌か、サーシャ」
アノスの言葉に、サーシャの体がびくんと跳ねる。
「つまり、言いにくい告白を勇気を出して行うことこそが青春だと、そう言いたいのだな?」
サーシャはゆっくりと自らの主君、暴虐の魔王を見た。
「あ、あってるわ。うん、それであってる」
「よかった」
青春の意味が通じたことに、サーシャとミーシャは安堵した。
「では、実施と行くか」
「じ、実施って、どうするのよ?」
「なに、お前からは言い出しづらいという話だからな。ならば、俺から告白してやろう」
「…………………………………………え…………?」
玉座から立ち上がり、アノスはゆるりと歩き始める。
サーシャの目前で立ち止まると、彼はじっとその目を見つめた。
彼女の視線が、アノスの瞳に吸い込まれる。
どくん、どくん、とサーシャの心臓が早鐘を打つ。
いったいどうなってしまうのか、と彼女は思った。
魔王は言った。
「俺がこれまでに絶望させてきた人間の数は――」
「そういう告白じゃないわ」
青き春は――まだ遠い。
皆様の応援のおかげで、『魔王学院の不適合者』本編が
アニメ化決定しました。
その記念といたしまして、こちらのスピンオフ
『暴虐の魔王さまは、今日も青春を謳歌する』を
掲載させていただきます。
本編を読んでいない方でも楽しめるようなコメディ作品を
心がけて書いておりますので、お楽しみいただけましたら幸いです。