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『或る小説的思想集』

『怠け者(ナマケモノ)に、なりたいと言う思想』

『怠けナマケモノに、なりたいと言う思想』



およそ何十年も前から、自分は、所謂、真面目な人間の様だった。それがどうだと言うのだ、それが何だと言うのだ。しかし、それは、辛いことが多かった。

人々は、目の前の目的を避け、楽な方へと身を投じる。先人を馬鹿にして、法律を守らない。人の悪口を言い、暗い場所では、盗みをする。

許されないこととは、許すことと、ほぼ同一だと、誰も教えてはくれない。しかし、それは当たり前だろう。人間は、生きるためには必死だからだ。



随分と年齢を経てから、自分は怠け者になりたいと思った。具体的に言うなら、ナマケモノという動物に、生れ変りたいと思った。

それは、恐らく、真面目な脳が、悲鳴を上げ出したからだろう。狂う前に、怠け者として生きれば、自殺の前に怠け者になれれば、自分は幸福を得ることができる、そう思う。

無罪な日々から、有罪な日々になっても、生きることを選んだのなら、他者から、指を差されて、怠け者はお前だ、と言われたとしても、自分は言える、生きるためだ、と。



勤勉な精神も良いが、美神は、やがて早死にする。それは、体が悲鳴を上げるのだから仕方がない。全力で生き抜いたら、必ずどこかに支障をきたす。

そういう、怠け者として、という決意表明の前に、誰も、それを否定することはできまい。指を差したって、どこかで分かっているはずだ、死にたくないんだ。

昔、動物の写真で見た、ナマケモノは、確かに怠けていた。しかし、別段どうも思わなかった。それが、その存在が、悪いだなんて思わなかった。そういう動物だと認識したまでだ。



どういう理由だったか忘れたが、自分ははるか昔から、暴力を受けたことが一度もなかった。それは、他者へと暴力を振るわないことへと繋がった。これは、伝染の否定である。

何もかもが、順調に運べば、物事はやがて、調子のよい方向へと好転する。そこに、いつもいるのは、怠け者だ。何かをじっと見て、所謂利益を追求する。

誰もが、偉いと認める人とは、実は何もしていない人だ。何かをすれば、批判の対象になることを、偉い人、少なくとも人の上に立つ人は自覚している。



木から木へと、ナマケモノが移動する。何かを食べるのだろうか。あの、全てに許された様な動物を、初めにナマケモノと呼んだのは、誰だったのだろうか。

怠けて怠けて、人を安心させ、安らぎを与えてくれる、ナマケモノ。自分は言う、今なら、即座に、あの、ナマケモノになってもいいと。

しかし、何か達成感などという、小難しい現象は、ナマケモノにあるのだろうか。少なくとも、人間の怠け者は、楽をして、得をして、得をする達成感はあるだろう。



自分は前述した様に、怠け者になりたいと言った。しかしそれは、勤勉な精神に疲れたというだけなのかもしれないと、回想する。

本当は、時々は怠けたいというだけなのかもしれない。本当に、ナマケモノに生まれ変わったら、逆に発狂するかもしれない。こんな怠惰な生活は、人間の精神が許すまい。

だから、こう言っておく。何かに向かって、必死に生きるが、疲れたときなど、時々は、怠けナマケモノに、なりたい、と言いたいのだと、いうことだ。


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