ガチャしたいだけなのに
その日、セレスカヌア王国、第一王女のエルティナは赤色のソファに寝そべり、右人差し指で優雅にタップ&スワイプしていた。
「毎日のログイン大事。小さいことからコツコツ大事」
そう真面目な顔で呟くと、また素早く指を動かす。
爽やかな水色のドレスはソファとエルティナの体とに挟まれ、しわになっていた。
けれど、エルティナはそれを気にする様子はない。
それどころか、なんの気配りもなく、仰向けから俯せへと姿勢を変え、より一層、しわを酷くした。
「通算ログイン日数のボーナス来た!」
よし! とはしゃぐエルティナの髪がふわっと揺れる。
すべらかな頬にかかった光をはじく金色の髪。
白く華奢な指で、髪をそっと耳にかければ、だれもが見惚れる美しさだ。
が、エルティナはそんな自身の美しさなどどうでもいいようで、ただ一点に集中していた。
そのまるく大きな碧色の瞳は、左手に持っているものに夢中なのだ。
エルティナが持つ、四角くて薄いもの。
片手に少し余るぐらいの大きさのそれは、ガラス面になにか映像を映し、小さく音楽も流れている。
かわいらしいパステルピンクの躯体。
……それはセレスカヌア王国のものではない。
いや、それどころかこの世界のものですらなかった。
――聖遺物。
そう呼ばれる、異世界からの迷いものであった。
「神託が下りてよかったぁ。こんなに楽しいものが私の手元に舞い降りて、本当によかったぁ」
素早くタップ&フリックしながら、エルティナは呟く。
そう。この聖遺物はある日、突然エルティナの元に舞い降りたのだ。神託とともに……。
――これはスマホです、と。
「聖遺物、最高」
豪奢な金色の髪。輝く碧色の瞳。
美しい顔をにへらと崩して、エルティナは笑った。
その時、聖遺物から大きな音楽が流れ始める。それはどうやらアラームのようで――
「……殿下。エルティナ殿下。そろそろ執務のお時間です」
その音楽を合図にして、エルティナのそばで控えていた騎士が声をかける。
彼の名はアルクード。エルティナの護衛で幼いころからエルティナに仕えている騎士だ。
アルクードのビスケット色の髪は耳にかかる程度に延ばされ、右側だけがきっちり撫で上げられていた。
長めの前髪からのぞく青い瞳は少し垂れていて、どこか色気を感じられる。
女性が放っておかないだろう、その容姿。そして、その容姿に似合い、声も甘い。
色気をまとった騎士はその目をやわらかく細めて、愛おしそうにエルティナを見ていた。
元から美青年だが、そうしているとより彼の甘い雰囲気が増しているようだ。
だれもが夢中になるだろう美青年。
そんな騎士に呼ばれたエルティナはすばやくフリックしてアラートを止める。
そして、聖遺物から視線を外し、ソファの横に立っていた彼をまっすぐに見つめた。
「あとにするわ」
たった一言。
なんの感慨もなく言い放ち、また手元にある聖遺物に没頭する。
そんなエルティナの態度にアルクードはキッと形の良い眉を上げた。
「『あとにするわ』じゃないんですよ! なにまっさらな心と純粋な瞳でまっすぐに言い放ってるんですか!」
「ちょっと待って。とりあえず、溜まったゲージを使いきらないと。これがないと行動ができないけれど、何回か行動するとなくなっちゃうのよ。で、回復方法は時間のみ。一応課金アイテムもあるけれど、私はそっちには課金したくないのよね。つまり――」
「つまり?」
アルクードがエルティナをじっと見る。
エルティナはもう一度聖遺物からアルクードへと視線を移すと、いい顔で笑った。
「ゲームの合間に仕事をする」
「馬鹿じゃないですか」
いい笑顔のエルティナにアルクードの眉はさらにキッと上がる。
「執務の合間にゲームをするんでしょうが!」
「ちがう! それだとゲージがあふれちゃうじゃない! もったいない!」
そんなアルクードにつられるようにエルティナも声を大きくした。
「今はイベント中なのよ! イベント、それすなわち周回が命」
「いのち」
「ゲージを使いきるまで周回する。そして使いきったら回復を待つ間に執務をする。そしてゲージが溜まる時間になれば、即、周回再開! ごはんの前に周回、お風呂の前に周回。周回の狭間に日常生活を組み込む! これがアプリゲーのイベントの楽しみ方なのよ!」
「なんて堂々とした提言……!」
エルティナの言葉にアルクードはぐぅと胸を抑える。
そんなアルクードにダメ押しとばかりにエルティナは左手に持っていた聖遺物を高く掲げた。
「見て。今はこのキャラのイベントなのよ。かっこいいでしょう? 素敵でしょう? こういう男性を『イケメン』って呼ぶそうよ。神託が下りたの」
「……いけめん」
「そう。こんなに精悍な顔つきなのに、ときどきかわいいの。たまらない」
エルティナが聖遺物を胸元に戻し、画面を見て、にへらと笑う。
その笑顔にアルクードはむっと眉を寄せた。
「殿下には俺がいるじゃありませんか。こんなにかっこいい男はいません。俺だってその『イケメン』という単語にふさわしい男です!」
アルクードはソファに寝そべるエルティナにずずいと近寄り、その顔を認識させるかのように、エルティナの視界に無理やり入り込む。
しかし、エルティナはその色気のある甘い顔を近付けられても、動揺することもなくじっと見返した。
「たしかにあなたはイケメンね」
今にも口づけを交わせそうな距離。
そんな距離で、しかしエルティナはカッと目を見開いた。
「けれど、あなたはただのひとりイケメン」
「ひとりいけめん」
「あなたがどんなにイケメンでも、あなたというイケメンはひとりだけ」
そして、右手をぐっと力強く握りしめる。
「イケメンはみんなちがうからみんないい。オンリーワンだからこそのワンフォーオールでオールフォーワンなのよ……!」
輝く碧色の瞳は熱い。
その信念、岩をも砕く。
「だから私はイケメンを侍らせたい。たくさん侍らせたい」
現実ではいろいろあるが、聖遺物ならそれができる。
二次元だっていいじゃないか。イケメンだもの。エルティナ。
「以上終わり。解散!」
エルティナはそう言うと、すぐそばにあったアルクードの顔をぐいっと押し退けた。
アルクードはダメージが大きかったのか、少しふらつきながらエルティナから離れていく。
そして、しばらく目を閉じ、なにかを考えていたようだが、ふと目を開けた。
その青い瞳はさきほどとは違い、剣呑な色をしていて……。
「ゲームが本命で執務を片手間……。女王陛下が知ればなんとおっしゃるでしょうか……」
「……お母様?」
話に突然でてきた女王陛下。
自分の母親でもあるその人物にエルティナは目をパチパチと瞬かせた。
「そうです。最近の殿下はひどい。朝から晩までゲーム、ゲーム、ゲーム! 俺の顔を見てくれない! 俺との触れ合いが足りない!」
「執務の話ではないのね」
「もう無理です。最初は寛いでいる殿下かわいい。油断してるから、服がよれててまじ眼福とあえてなにも言わずにいましたが、もう限界です!」
「欲望が漏れてるわよ」
「殿下が聖遺物にハマり、執務をおろそかにしていることを報告いたします」
アルクードはそれだけ言うと、恭しく礼をし退室しようとする。
エルティナはアルクードの思ってもみなかった言葉に動揺し、慌ててその背を追いかけた。
「……っ! 待って! そんなことをすれば、今までほぼノーチェックで通っていた、聖遺物予算が減額されてしまうじゃない……!」
アルクードの背に縋りつき、マントをぎゅっと握る。
しかし、アルクードはエルティナへと振り返ることはせず、寂しそうに言葉を続けた。
「……何かあれば、ガチャ。やれピックアップが来た、やれ新しいキャラが出た、でかしたぁ! SSR! やら。その度に俺は震える右人差し指でタップする殿下を見守ってきました」
「……ガチャ。それは希望の光。手に入れるまで回し続けるしかないの……!」
「殿下が一喜一憂するのもかわいかった。気の抜けた笑顔も爆死したときの虚ろな顔も好きだった……。でも気づきました」
そこまで言うと、アルクードはようやくエルティナへと振り返った。
エルティナが掴んだ赤いマントは強く握られたために、少しあとがついてしまっている。
アルクードはそのしわさえも愛おしいようで、マントを握るエルティナの手を大きな手でやわらかく包み込んだ。
「殿下のその表情が俺以外のなにかのせいとかいやだわー。殿下には俺のことで笑い、俺のことで泣いて欲しいわー。俺だけでいっぱいにしたいわー、と!」
「欲望がすごい」
「頭の中も心の中も全部俺でいっぱいにしたい。むしろ、おなかの中を俺でいっぱいにしたい」
「最後のやつ、なんかあぶない」
不穏な言葉にエルティナがぺしっとアルクードの手を払い落とす。
するとアルクードは深く笑って、部屋から出て行った。
「……なんてことなの」
一人、部屋に残されたエルティナは呆然と呟く。
そして、エルティナの現状を知った女王は、即座に命令を下した。
『執務サボるのまじ卍。ちょっと田舎に視察に行ってきて。ワンチャン。ガチャしたいなら、自分で稼ぎなさい』
かくして、エルティナの王宮グータラ生活は終わり、聖遺物予算はなくなったのだった。
「ひどい……ひどすぎる……次のピックアップには五万突っ込もうって決めてたのに……」
「エルティナ殿下と視察。エルティナ殿下と二人きりで離宮生活! たぎるわー」
はたして、次のピックアップまでにガチャ資金を貯めることはできるのか。
そもそも、離宮には女神の慈愛が飛んでいるのか。
なんだか護衛騎士であるアルクードがウキウキしてて、背筋がゾクゾクするが、これは大丈夫なのか。
「とりあえず、イベント周回しよ……」
すべてを忘れるため、エルティナは聖遺物をタップした。