海月
竹藪の向こうに白砂。白砂の向こうは透き通った宝石のような紺碧。
海の顔から盛り上がる入道雲が岬の突端に引っかかっている。
ここにはわたしの他には打ちあがった一匹の海月の他に誰もいない。
朽ちた空き家が一軒、がらんどうの縁側をアンコウの口のように大きく開けているだけだ。
海月は海に戻れそうにない。まだ乾いてはいない。だが、海には戻れないだろう。
世界がこんなに美しいのだから、海月もまた美しい。
透明の傘に覆われた触手の赤は点、線、面と性格を変えながら赤く、とても興味深い。この海月はまだ誰にも発見されず――いかめしいラテン語によって図鑑に閉じ込められる前の状態にある海月なのではないか、しかもこの世に最後の一匹の絶滅の壁を前にたたずむ一つの種なのではないかとくだらない空想をめぐらす。
そばに棒きれが転がっている。好奇心のある子どもなら、この棒きれで海月をつつき、透明なゼリーの被膜を切り裂いて、次々と色の形を変える触手をいじって、思い通りの赤を出すために何度もつつくことだろう。
わたしの息子もまたそんなことをしていた。遠い昔、妻とわたしの両方の手をつないで浜辺を歩き、初めて見た海の全てが途方もない贈り物のように思え、そんななか見つけた海月を息子は好奇心の赴くまま、棒切れを片手に観察し、熱心に調べるあまり、海月をぐちゃぐちゃにしてしまった。息子は照れるように笑った。
失われた思い出だ。美しい世界をもってしても癒すことのできない。
わたしは自分の手で海月に触れ、海へとゆっくり押し出してやる。
点状に赤い触手がわたしの手を刺す。
だが、わたしは海月から手を放さない。海月を海に帰してやるまで。
海月は浅瀬に浮いた。陸にいるよりもずっとずっときれいで、生き物というよりも花に見えた。
「大丈夫だ。お前はやっていける。やっていけるぞ」
ヘリコプターの爆音がきこえたのはそのときだった。
四輪駆動車が次々と竹藪を薙ぎ倒して現れる。そのうちの一台は朽ちた民家に突っ込んで、朱色の瓦の雨が草だらけの砂地へ猛然と降り注いだ。
自動車からカメラとリポーターが飛び出し、ヘリコプターは三つ、四つと数を増やしていく。フラッシュがたかれる。リポーター同士がわたしを囲んで押し合いへし合いする。
そして、人々がわたしに質問をする。
「息子さんのやったことについて一言!」
「殺された子どもたちの遺族に何か言葉はありませんか!」
「息子さんの子どものころのことを教えてください!」
ああ、わたしの息子。
消えた子どもたち。アパートのなかのバラバラ死体。非常線。拘置所で裁判を待つ息子。窓に投げつけられた石。妻に浴びせられた言葉。そして、息子のしたことに耐え切れず梁からぶらさがった妻。
現実が過去を侵蝕していく。
楽しかった思い出にわたしは〈兆し〉を探さずにはいられなくなる。海月をバラバラにした息子。それを見て、笑った息子。それは普通の子どものよくやる残酷ないたずらだったのか? それとも〈兆し〉だったのか?
あれが〈兆し〉だと気づけたら、息子があんなふうになることを止められたのか?
わたしの目はカメラの目を除外する。
わたしの耳は人々の質問を除外する。
わたしの心はわたしの苦しみを除外する。
そこには紺碧の海に咲く一点の赤い華があるだけだった。