ミスズのお遣い
このお話は本編とは直接関係の無い、一話の番外編です。
【今回の登場人物】
シュウ…バスと一緒に転移した主人公
ミスズ…王都にある商家の娘
「美味しいー! ふわふわしてまるで雲を食べているみたい!」
それは少し前の出来事。
ミスズは都合でどうしても家を空けられない父に代わり、王都から遠く離れたこの街まで商談に関する書類を持ち、調印をしにやって来た。
まだ成人してないとは言え、王都一の商会の娘となればそれなりの権力はあり、調印程度であれば何の問題も無い。
だがミスズがこのお遣いを受けたのには別の理由があった。
王都に来ている旅人に聞いた話によると、この街にはとても珍しいスイーツを出す店があり、そのスイーツを食べた人は運命の相手と出会うというジンクスまであるというのだ。
甘いもの好きのミスズとしては『珍しいスイーツ』とやらを一度味わってみたかった事と、年頃の娘なのだから恋にも興味はある。
こうしてミスズは執事と共に護衛三人を雇い、噂のスイーツを味わうついでに調印もして来る、片道六日間の長旅に出たのだった。
「すみません、メニューを頂けますか」
「お嬢様、もうそろそろ出発されませんと帰路の日程に影響が出てしまいます」
三度目の追加注文をしようとしたミスズに執事の男性が忠告する。
「まだ大丈夫ですよ」
「まだ大丈夫ではありません、暗くなると魔物に遭遇する確率も高くなります。早めに安全な場所まで進み野営の準備をしなければなりません」
渋々納得したミスズは、せめてもと持ち帰りのできる菓子を大量に購入し帰路へと就いた。
「お嬢様、もう調印も終わりましたし、旅路はもっと楽な格好をされてはいかがですか?」
店を出た後、お気に入りのやや控えめなドレスに着替え、髪に白いリボンを結ぶミスズを見て執事の男性は不思議そうにそう尋ねる。
「いいんですこれで、旅の途中とは言え何があるか分かりませんから」
食べた人は運命の相手と出会うというジンクスのあるスイーツをニ個も堪能した今のミスズは、一時たりとも気を抜く事ができない。
「皆さまご苦労様でした。本日はここまでにしましょう」
街を後にしたミスズ一行が最初の野営地に着き、夕食の準備を始めようとしたしたその時だった
「魔物……オームボアだッ!!」
警戒に当たっていた護衛の一人が叫んだ。食事の匂いに魔物が反応する事はあり、一般的に野営で匂いの強い料理は避けられている。
今回もその例外では無かったが、嗅覚の鋭いオームボアはミスズが大量に購入していたスイーツの甘い香りを遠くから嗅ぎつけたのかもしれない。
「念の為にお嬢様たちは馬車に避難して下さい」
腕利きのハンターが三名もいるこの状況でCランクのオームボア一匹なんて大した事は無い。むしろ食材が自分からやって来たと喜ぶべき所だろう。だが次の瞬間、衝撃的な事が起きた。
「わ……私の……」
人間や馬には見向きもせず、ミスズが夕食後にと用意したスイーツを一瞬のうちに食べ尽くしたオームボアは、少女から発せられるただならぬ殺気を感じ取り森へと逃げて行った。
本来なら誰にもケガが無く喜ぶべき事だが、三人いれば簡単に倒せる程度の魔物にまんまと食料を奪われた事でミスズの護衛達に対する印象は悪くなり、本来なら屋敷に着くまでの護衛依頼だった所を王都の門までで良い!と言い出したのだ。
―― 翌朝 ――
「後方からなにか来たぞ!」
朝食を済ませ早々に出発した一行は、しばらく進んだ所で後方から巨大な物体がもの凄いスピードで近づいて来る事に気付いた。今の状況では隠れてやり過ごす事もできず、相手の正体も分からない。
「止まれ!!」
三人の護衛達は武器を持ち、お嬢様の乗る馬車の前へ囲むように立ちはだかって厳戒態勢を取った。
通常であれば正体不明の相手にこのような強気の姿勢を取るべきでは無いのだが、昨夜の魔物によるスイーツ強奪事件で『王都一の規模を誇る商会のお嬢様』の機嫌を損ねてしまった事がどういう事か、それは彼らにも分かっており挽回しようと必死だった。
「怪しい者じゃない、話を聞かせて欲しい」
馬車のすぐ近くに停車した大きな乗り物の一部が開き、中から珍しい服を着た青年が降りてきて両手をあげながらそう叫んだ。
どうやら敵ではなさそうだが、『高速バス』だの『スマホの電波』だのと意味の分からない事を言っており気を緩める訳にはいかない。
しかし詳しく話を聞くと、どうやら遠くの国から旅をしてきて道に迷っているようだ。
「いったい何かしら……?」
ミスズは馬車のカーテンをそっと開け外の様子を伺った。
見た事も無い大きな乗り物から自分より少し年上に見える青年が降りてきて護衛の人達と話をしているが、会話の内容までは聞こえない。一瞬その青年と目が合ったような気がしたその時、
≪ドドドドドド≫
もの凄い地響きと共に、魔物だ! オームボアだ! という叫び声が聞こえた。この地響きから推測するに複数なのだろう。
本来なら命の心配をするべきだが、まさか百匹超の大群と思っていないミスズは、腕利きの護衛がいるという先入観も合わさって『また私のスイーツが狙われるのではないか』という事を心配し、今にも泣きそうになっていた。
「みんなバスに乗るんだ」
謎の乗り物へ避難するようにと指示があり、言われるがままに乗り込んだ直後だった。ドスッドスッと魔物の激突する振動が伝わり全員が恐怖に怯えながら無事を祈る中、ミスズは見てしまった。
魔物によって破壊される馬車と荒らされグチャグチャになって行く荷物。恐怖と怒り・悲しみからいつの間にか流れ出る涙が止まらなくなってしまった。
五分ぐらい経っただろうか、辺りが静まり返ったのを確認して車外に出たミスズは、バスの周りで力尽きた大量のオームボアを目の当たりにし、自分達が置かれていた状況を悟った。
我々だけでは確実に全滅していたであろうこの状況から救ってくれた恩人にそれなりの対応をしなければならない。ここでミスズのスイッチが商家の娘モードへと切り替わった。
「この度は何とお礼を申し上げたら良いか、おかげさまで誰一人犠牲者を出さずに済みました。 私は王都にある商会の娘でミスズと申します。」
道に迷っているというその青年はシュウと名乗り、道案内を兼ねて王都までの同伴を提案してきた。馬車を失ったこの状況で五日の旅を続けるのは不可能であり、こんな有り難い提案は無い。
「私の事はミスズと気軽に呼んで下さい、ここから王都までは馬車で五日程の距離です。王都に到着次第このお礼は必ず致します」
これは、もしかするとスイーツパワーによって作られた運命の出会いかもしれない。危険な所を助けられた事でミスズのその思いはより強くなり、王都までの旅路で少しでも親しくなろうと自分の事は名前で呼んで貰う事にした。
この後、五日かかる筈の旅がわずか数時間で終了してしまった事で様々な思いが渦巻くミスズは、昼食にと訪れたネネさんのお店『黒猫亭』で大量のスイーツに浸るのであった。