消えたバスの運転手
【今回の登場人物】
シュウ…バスと一緒に転移した主人公
ミスズ…王都にある商家の娘
「お疲れさまでーす、お先に失礼します」
都内のオフィス街に佇む小さな店だが、美人オーナーの作る和風本場インドカレーとしてそれなりに繁盛しているカレー屋で俺はバイトをしている。
本場を謳うだけあって見慣れないスパイスが店には沢山あり、昨日もオーナーが変な猫の容器に入ったスパイスを仕入れて来ていた。
「お疲れー、来月のシフトそろそろ出しといてね」
「はーい」
俺はお盆休みを田舎の実家で過ごす為、バイト先の近くで近所の親戚用にとお土産をたっぷりと買い込み高速バス乗り場へと向かった。
あっもうバスが来てる!
発車時間が迫っている事もあり、慌ててバスへと駆け寄った俺にドアの前へいた係員が声をかけて来た。
「桜木 秀様ですね、どうぞ」
「は、はい……」
何も言っていないのに何で俺の名前が分かったのかと不思議に思いながらも荷物を預けてバスに乗り込むと、何故かこのバスだけは全く人が乗っていない。
電車だと不便な俺の実家へは高速バスを使うのが一番、せっかく奮発して座席が広い高級なバスを予約したのにあんな田舎に行く人は少ないのかな……。
そんな事を考えていると、とうとう他の乗客が乗って来る事無くバスは発車してしまった。なるほどね、乗客が俺一人だったから名前が分かったのか。
◇◇◇
≪ グギィィィイイイイー ≫
バスが発車してから何時間たっただろうか。日頃の睡眠不足も重なって出発後すぐに眠りについてしまった俺は鳥の鳴き声……というよりは鳥の奇声のような音で目を覚ました。
「もう着いた? なら起こしてくれればいいのに……」
不親切な運転手だなーと思いながら辺りを見回すと、どうやら舗装もされていない森の中と思われる道にバスは停車しており、人の気配どころか運転手の姿も見当たらない。
俺の実家は確かに田舎だけどこんな山奥ではないし、そもそも乗客を放置していなくなる運転手なんてもっての外。
仕方が無いのでバスを降りて周囲を見渡すと、見た事のない形をした草や木々が生えており、あれだけ蒸し暑かった昨日までが嘘のようにカラッと過ごしやすい気候へと変わっていた。
時間を確認するとまだ朝の七時。不安がだんだん怒りへと変わり、これはバス会社にクレームの一つでも出さないとと携帯を取り出したその時
≪ドドドドドド……≫
『 何じゃこりゃあぁぁぁぁ!! 』
俺は慌てて運転席へと座りアクセルを思いっきり踏み込んでバスを急発進させた。後ろからは、ざっと百匹を超える動物の群れが土埃をあげながら凄いスピードで迫って来ている。
地面は舗装されておらず路面状態は悪い。動物達が走る振動と合わさって、バスは大きく激しく揺れながら速度を上げて行った。
「何なんだよこいつら、野生のイノシシか何かか!?」
猫ぐらいの大きさだけど、見た目はイノシシに似ている。バスは着実に、少しづつ大群を引き離していき遂に見えなくなった。もうこれぐらい引き離せば大丈夫だろ。一安心した俺が一瞬目を逸らしたその瞬間、
≪ドンッ≫
鈍い音がして、軽い衝撃と共に目の前へ飛び出してきた大きなイノシシのような動物と衝突してしまった。
「あッッ! やっちゃった……」
俺は慌てて急ブレーキをかけバスを停車させた。
額からは冷や汗が流れ出し止まりそうにない。やばいやばい、これは相当ヤバイんじゃないだろうか。幸な事にぶつかったのは人では無くイノシシ……しかしいくら緊急事態だったとはいえバスの盗難に損傷させた車体の弁償……
一体どうしてこういう状況になってしまったんだ――
というかバスの運転手はどこへ行ったんだよ!!
泣きそうになりながらバスから降り正面へと回り込んだが、結構なスピードで衝突した筈なのにバスには凹みどころか傷すらも付いていない。更に驚くべきは衝突したイノシシにも傷や出血は無く、まるで眠っているかのように横たわっている。
恐る恐るイノシシに近づいた俺は、近くに落ちていた棒でツンツン突っついてみた。うん、たぶん死んでると思う……。何が起きたのか全く理解が出来なかったけど、とにかくラッキー。
俺は人の大きさぐらいはあろうかと言うイノシシを路肩まで引きずって移動させた。きっとさっきのイノシシの群れのボスか何かなんだろう。
さっきのイノシシの群れ……そう呟いてふと我に返った。あんなものに追い付かれたら今度こそバスがボコボコになってしまって高額な賠償金が……!!
焦った俺は再び運転席へと座り、アクセルを踏み込んでバスを発車させた。しばらく走って入れば大きな道路に合流できるだろうし、そうしたらバス会社に連絡して状況を説明しよう。
しばらく荒れた道を走っていると前方に馬車のような物が見えてきた。今どき馬車を使うなんてここは観光地かな……そんな事を考えつつスピードを緩めたけど何やら様子がおかしい。
「止まれ!!」
いかにもファンタジー物に出てきそうな全身武装をした男が三人、馬車の周りを固めこちらに武器を向けながらそう叫んできた。
ヤバい、車が入っちゃいけない所だったのかな。でもここまでしなくても……俺は両手をあげながらバスから降り大きな声でそう叫んだ。
「怪しい者じゃない、話を聞かせて欲しい」
「何者だ? その巨大な乗り物は何だ!」
心の中では “何を言ってるんだこいつら” と思ったが、変な奴らは刺激しない方がいい。そこで、帰省する途中で気が付いたらこの場所にいた事を丁寧に説明するもどうも話が噛み合わない。
「ちょっと待って、ここは一体どこなのか教えて貰えないかな……」
「ここか? ここは王都の北側、もしかして道に迷った旅人か?」
ほんの少し、ちょっとだけ、何となくそんな可能性も考えていたが、話を聞いた限りここは日本では無いようだ。つまり、高速バスに乗って寝てしまった後、俺は何らかの理由でバスごと異世界に転移してしまったらしい。
そうと分かれば話を合わせておくべきだろ。
「あ、ああそうだ。遠くの国からバスというこの乗り物で旅をして来たんだが道に迷ってしまったようで……敵意は無いから武器を下ろしてくれないか」
「そういう事か。この辺りはオームボアという小さい割にはそこそこ強い魔物が多く出現する危険地帯。見たところ防具も付けていないようなので、注意した方が良いだろう」
オームボアという小さい割にはそこそこ強い魔物……? ボアっていわゆるイノシシ型の魔物だよな……
「あの、そのオームボアって猫ぐらいの大きさの?」
「ああ、体は小さいが動きが早くて一匹でも相手をするのは大変な魔物だ」
「……人ぐらいの大きさのオームボアも?」
「それは恐らくキングボアだ。オームボアの突然変異と言われており滅多に遭遇する物じゃないが、もし鉢合わせしたら助からないだろう」
「そ、そうですか……」
そんな会話をしていると、後ろにある馬車の中からいかにもお嬢様という雰囲気の女の子がこっちを覗いている事に気が付いた。恐らくあの子が護衛対象の貴族かどこか良い家の娘なのだろうな。
その少女と一瞬目が合ったような気がしたその時、
≪ドドドドドド……≫
地面の振動と共にもの凄いデジャブ感がよみがえる。そういえば百匹超のオームボアに追いかけられていたんだった……
「オームボアだ! さっき百匹超のオームボアの大群に遭遇して逃げていた所だったんだ!」
「「「百匹!?」」」
とたんに全員の顔が青くなり、馬車の中にいる少女に至っては今にも泣きそうな顔になっている。なにしろ一匹でも相手をするのが大変な魔物が百匹もの集団で近づいて来るのだから仕方ないだろう。
護衛達が戦闘態勢に入り、少女を乗せた馬車も急いで出発の準備を始めた。あれだけの大群に襲われれば腕の立つ護衛でも数秒と持たないだろう。
このままでは間違いなく全員死んでしまう。けれどもこのバスに乗っていれば、もしかしたら逃げ切れて命ぐらいは助かるかもしれない……
「今すぐ全員このバスに乗って!」
この際、馬や荷物は諦めて貰うしか無い。護衛の三人と馬車に乗っていたお嬢様、その付き人と思われる男性がバスに乗り込むと、発車させる間もなくオームボアの大群がバスを囲い込んで突進してきた。
ひぃぃぃー! 早く、早くどっか行ってくれッッ!!