大学生空想阿呆日記
これはとある男子大学生の「僕」による日記である。
11月20日(火) 今日は鍋を食べた。僕は鍋を食べるたびに色々なことを考える。そんな色々のうち今日は1つだけ紹介したいと思っている。今日の鍋には食べられる菌の「キノコ」が入っていた。いわゆるエノキとシイタケである。僕はエノキ、シイタケ、マツタケ、マイタケなどを全て一括りにして「キノコ」と呼んでいる。これは世間ではおかしなことらしい。
そういえば少年時代、母親と同じ鍋をつついていた際に、「キノコをよそってくれ」と言ったことがある。それを聞いた母は、親の愛ここにあり、といったような熱い愛を原動力として息子のために先ほどまで動いていたにもかかわらず、僕のその声を聞いて一気に氷漬けにされてしまったかのように「キノコ」の前で止まってしまった。そう、母は僕が言った「キノコ」がシイタケ、エノキのどちらを指しているか、まるでわからなかったのだ。
ところで、僕は近頃自分が「キノコ」と呼ぶものの範囲が広くなっているように感じる。僕が「キノコ」と呼ぶ対象は、上にあげた、シイタケ、マイタケ、エノキ、マツタケから、とある名医のあっちょんぶりけの娘、男が身体の下部で飼っている猛猛しい猛獣、有名アーティスト米の法師に憧れたバンドマンまで及ぶ。
言葉というものは使用しなければ脳内辞書から消えていくものである。よって、もしこのように「キノコ」と呼ぶ対象が比例関数的に広がり、他の言葉を「キノコ」で代用できるようになれば「キノコ」以外の言葉は消えていき、将来、僕の脳内辞書の50音の中で「き」を除いた49音は消え失せてしまうのではなかろうか。脳内の辞書は1ページ目から終わりまで「キノコ」の多義的意味、多岐にわたるキノコの用例で埋まるのではなかろうか。「キノコ」がシイタケを、マリオのキノピオだかピノキオだかのアイツを、男のドラゴンを、論語を、相対性理論を、世界を、宇宙を、愛までも表せられる日が来るかもしれない。そろそろ「キノコ」で頭が一杯になってきた。
僕の頭は何らかの菌に支配されつつあるのかもしれない。