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キル・ヴァルキリー・コンテクスト -終末の戦乙女狩り-  作者: 福沢雪
cell.4 生ける屍死せるは姓(かばね)、不死の契りは花千切り
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少年

 少年は海蛇の縞模様を眺めていた。


 ンヌヴァロのプルシャだった青年が、異なる世界の少年として生まれ変わり二週間が経過している。戦乙女ラズから不死の体と驚異的な身体能力を授かった少年は、『人々を守り似人を倒す』という目的が一致し、生存者キャンプ・ヘイムダルに身を寄せていた。


 似人の出現がない昼はスズキの下で「勉強」し、オリエ博士と水や食料の捜索に出かける。暇ができればハナをあやしてレンジと遊び、キムの露店を無言で冷やかす。


 夜はこうしてベッドに寝転び本を読むことが多い。ンヌヴァロ時代に多くの異文化と戦った少年だが、それを理解しようとしたことはなかった。自分が殺された理由や母が笑わなくなった原因は、ひょっとしたらそこにあるかもしれない。書籍で文化を学ぶたび、少年はそんな風に思い始めていた。


 ハナから植物図鑑を借り、オリエからは似人の資料を提供してもらった。レンジにマンガ本を回してもらい、アリスには時代小説を勧められた。


 どれもが少年の好奇心を満たすに十分な内容だった。トレから借りた『十五歳の少年が最も読むべき本』は退屈だったが、翌朝ハナに『少年さん、不潔ですっ!』と軽蔑されたのは興味深い出来事だ。


 今少年が読んでいるのはスズキに借りた物で、正確に言えば本ではなく『スズキが撮った海洋生物の写真とメモ』だった。


 フィンブルの冬以前のスズキは趣味でダイビングをしていたらしい。ハナと同い年の頃からウェットスーツを着て海に潜り、写真を撮って自分だけの図鑑を作る。それがかつてのスズキの生きがいだったという。それを聞いたリリィは『暗っ!』と身を引きおののいていたが、スズキの写真はどれも明るく、少年は興味をそそられた。

 しかし、残念ながら海は汚染されてしまい、もう潜ることはできないのだという。


『仮に潜ったとしても、どのみち魚はもういない。腐海は砂漠化した海なんだ』


 スズキはそう悲しげに言い、少年にこのアルバムを貸してくれたのだった。


 ベッドに寝転び、シイラやイソギンチャクの写真を眺める。スズキが記した几帳面な文字を読む。いつもならそろそろ睡魔が来るはずだが、今日はやけに目が冴えていた。


 外で軽く運動しようと考え、少年はベッドから身を起こす。


 小さなテーブルに飾られた待宵草が目に入った。空き缶の花瓶は不格好だが、活けられた黄色い花には生命を感じる。そこにハナがいるような、人懐こい温もりの気配があった。


 二週間経ってハナの活け花も上達したと、少年は思う。花瓶に比べて花が短いのは相変わらずだったが――。


 ふっと力の抜けた息を吐き、少年は七分丈のTシャツを羽織る。上に何も着ないで辺りをうろつくと、『少年さん、セクハラですっ!』とハナに怒られた。


 廊下に出ると、目の前のラボの入り口でオリエとトレが立ち話をしていた。


 二人はともにバイク好きということでウマが合うらしい。トレはヘイムダルで最も多忙な技術者だが、暇を見つけては改造したバイクでキャンプの周囲を走り回っている。今もその戻りらしく、小脇にモトクロスヘルメットを抱えていた。


 少年は片手を挙げて挨拶する。ちょうど話が終わったようで、オリエが少年にキスを投げながらラボに引っ込んだ。少年はトレと並んで居住区へ向かう。


「オリエと昔話をしてたんだ。俺ぁ『レッドアイ』って、ビールのトマトジュース割りが好きでな。それにタバスコをたっぷり振って飲むんだが、俺たちがまだ学生の頃、一度イタズラでオリエのアセロラドリンクとすり替えたんだよ。そしたらあいつ、口から火吹いて三日も寝込みやがった。覚えとけ、少年。魔女は子供舌だぜ」


 思い出したようにくつくつと笑う中年男。

 少年はオリエの意外な一面よりも、魔女の年齢を疑問に思う。


「少年は外出許可か?」


 鉄パイプの杖でひょいひょい器用に歩くトレに少年はうなずく。ヘイムダルでは夜間の外出は基本禁止で、不死勇者でもスズキの許可が必要だった。この時間ならスズキは居住フロアにいるはずだ。


「悪ぃな少年。いつもおまえみたいな子供にばかり戦わせちまって。なにせ俺は足がこれだからよ」


 鉄の松葉杖がこつこつと中年の膝を叩く。少年が首を横に振ってみせると、トレは笑顔を見せた後に、やや伏し目がちになった。


「なあ、少年――」

「よお、とっつぁん。『となり』からのご帰還か?」


 トレが何か言いかけたところで、二階居住区の住人が軽口を叩いた。以前食堂で少年にサムアップしてきた、ヘッドホンからアンテナを伸ばした男だ。


「ちげーよバカラジオ。ちょっと《ベクター》で走ってただけだ」

「よく言うぜ。頬に口紅べったりだぞ」


 トレが慌てて顔を拭い、少年を見て真偽を問う。少年はふるふると首を振る。


「てめえ! 騙しやがったな!」

「とっつぁんよ。俺たちゃみんなあんたに気ぃ使ってキムの世話にはなってねぇんだ。さっさと年貢収めてくんねーと、俺はいいけど俺の息子が黙っちゃいねーぞ」

「だっ、誰があんなアバズレと! 少年、俺はちょっとレディオと話がある。外に出るなら十分気をつけろよ」


 トレとヘッドホン男が二階の居住フロアに消えていった。少年は再び階段を上る。


 三階の食堂前を通りかかったところで、ちょうど中からスズキが出てきた。隣に少年が知らない女を連れている。


「寝付けなくて体を動かしたいから、外出許可を取りに来たって顔だね、少年」


 相変わらず話の早いスズキにうなずくと、隣に立った女も少年に話しかけてきた。


「話は聞いている。優秀な戦果を上げているようだな」


 自分を知っているような女の物言いに、少年は心持ち首を傾げる。


「私を忘れたか」


 少年を見返すメガネの奥の瞳は赤い。顎のラインで揃った女の銀髪はどこかで見たような気がする。しかし胸に張り付くようなニットのセーターに黒いタイツという、ヘイムダルでは見かけない格好に、少年はとんと見覚えがなかった。


 女はむうとうなると、頭の上で手のひらをウサギの耳のように立てた。途端にスズキがブッと噴き出す。


 少年もそれで気がついた。羽根飾りの兜と鎧を身につけた、その人物の本来の姿に。


「戦乙女ラズ」

「……そうだ。ンヌヴァロの若き戦士、引き続き《煤けた者》の殲滅と自己の鍛錬に修身せよ。貴様には期待している」


 少年が力強くうなずくと、遠くに行かないことを条件にスズキが外出許可をくれた。


 少年は夜の廃墟で輪杖を振るう。


 いつも表情のないその顔に、少しだけ興奮があった。


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