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キル・ヴァルキリー・コンテクスト -終末の戦乙女狩り-  作者: 福沢雪
cell.3 「ヒューマニズムにヒューマニティはない」とメガネは言った
8/33

少年

***



 薄曇りの空が照らす溝小杉の駅前に、年代物のワゴン車が停車した。


 白い車体に赤いラインのツートンカラー。赤十字を消すように上から描かれた『折れた角笛』のロゴマーク。ルーフ前部に巨大なパトランプを埋め込んだこの車こそ、ヘイムダルの移動車両、通称《救急車(メディック)》だ。


 救急車の後部ドアが開き、ストレッチャーの上から少年が飛び降りる。


 少年がぐるりと辺りを見回すと、そこには見慣れた景色が広がっていた。


 焼け焦げた鉄骨と、倒壊したビルの森。ターミナル駅につながる歩行者回廊には、本来の色とは違う黒ずんだ塗料があちこちに散っている。


 ヘイムダルの大川崎も、メルベリファミリーのキャンプがある溝小杉も、どちらも同じだと少年は思う。この世界はどこまで行っても死んだ街しかない。


「まったく。ガソリン車は乗り心地が悪くて嫌いよ」


 少年の後から降りてきたリリィが、ぶつぶつ言いながら運転席を振り返る。


「ここからは歩いて行くわ。トレは連絡があるまで目立たない場所で待機して。決して周囲の警戒を怠らない。似人を見たら自身の安全確保を最優先。絶対守んなさいよ」

「わーってるって。しかし悪ぃな。いつも嬢ちゃんたちばかりに戦わせちまって。俺もこの足さえまともに動けば――」

「ノスタルジーならよそでやって」


 リリィがぴしゃりと切り捨てると、トレは少年を見て肩をすくめた。しかしすぐに厳しい顔つきで、「頼んだぞ」と二人を送り出す。


「行くわよ、足手まとい」


 リリィが背中で言って歩き出す。車中でもそうだったが、リリィは少年と無駄口を聞くつもりは一切無いようだ。


 戦において仲間との信頼は、戦法の幅を広げる。少年はリリィとの敵対を望んでいるわけではない。かといって、この愛想のない娘とどう接すればいいのかもわからない。


 黒い小さな背中の後ろを追いながら、少年は難問を持て余す。


 しばらく歩くとリリィが巨大な建物の入口で止まった。少年は建物を見上げる。


 ヘイムダルキャンプの優に三倍はある巨大なビルだった。入り口には鉄板と鉄条網でバリケードが築かれている。周囲に人の気配はない。


 リリィは似人の襲撃を危惧する素振りも見せず、堂々と中へ入って行く。


 揺れる金色の髪束を見て、少年は夏狐に似ていると思った。夏狐の母親は、子と父親を守るため、自ら囮となって追手の前に姿を晒す。


 そんなことを思いながら、少年は建物内の様子をうかがう。


 ビルの内部はかなり広かった。血と灰で汚れた壁にフロアの案内図が貼られている。どうやら元はファッションビルだったらしい。が、あちこち瓦礫が山と積まれ、移動できる場所は限られていた。隅の方には砲塔の曲がった戦車までゴミとして放置されている。


 先行くリリィが無言で戦火の跡を横切り、一階のエレベーターホールに近づいていく。


 二基あるエレベーターは、右側のドアがひしゃげていた。脇の階段はショッピングカートやマネキン、レジスターなどでバリケードが設置されていて通行できない。


 リリィが左側のエレベーターに乗り、少年も後に続く。


 白い指先は最上段の「9」のボタンを押した。押せるボタンは他にない。防衛のためにつぶしているようだ。


 エレベーターは特に問題もなく、軽い駆動音を立てて動き出す。


 視線を感じ、少年は頭上を見た。天井の隅に監視カメラが設置されている。レンズの脇には稼働を示す緑色のランプが灯っていた。そのまま視線を動かすと、天井の中央に穴が空いていた。穴の向こうには闇しか見えない。生き物の匂いもない。


 扉上部の階数表示灯に「3」が灯った。その下のリリィの背中は身じろぎひとつしない。少年を完全にいないものと思っているようだ。


 階数表示灯に「6」が灯る。少年は奥の壁に背中を預け、軽いストレッチを始める。


 その時、天井に開いた穴から何かがべちゃりと落ちてきた。


 少年とリリィの間、四肢を伸ばして床にうつ伏せになっているのは、巨大な胎児だった。


 今産み落とされたばかりのように飴色の胎膜に包まれた体。しかし大きさは既に人間の子供ほどある。テラテラ光る茶色い皮膚に粘液をズルズル引きずりながら、胎児は芋虫のように素早く這った。


 少年がククリを抜く。しかしそれより一瞬早く、胎児がリリィの背中に飛びかかる。


 リリィの体が前方に動いた。パニエの裾を翻し、閉じたエレベーターの扉を蹴る。その反動でくるりと宙を返ると、リリィは胎児の背中を両足で踏みつけた。


「惜しかったわね。音も匂いもしなかったけど、あんた、『熱い』のよ」


 胎児の背中に馬乗りになり、リリィがヌメった耳元に囁く。同時に柔らかな赤ん坊の肉に、ズブリとヤドリギを刺し込んだ。


 耳をつんざく乳児の泣き声。赤い飛沫と水流が、胎児と少女の手から噴き出す――。


 エレベーターの扉が開いた。箱の中に立ち込めた血と死の匂いが散っていく。


 少年がエレベーターから降りると、先に降りていたリリィが背を向けたまま言った。


「よかったわね。狙われたのがあんたじゃなくて」


 少年は何も言わず、点々と続くリリィの血の跡について行く。


 ファッションビルの九階は元々事務フロアだったようだ。建物自体は傷んでいるが、老朽化したヘイムダルのビルと違い、ドアも認証開閉式になっている。


 以前にゲスト登録していたリリィが扉を開け、二人で各部屋を点検して回る。


 中はほとんどが物置のように使われていた。水や食料、衣類などのダンボールが積まれている以外は何もない。人の気配も匂いもない。


 リリィが廊下を歩いて先の階段を降りて行く。八階はブースで区切られたショッピングフロアの形が残っていた。元書店と思しき店の書架には小難しいタイトルの本ばかりが並んでいる。マンガ本や小説はこんな時代の娯楽として珍重されているのだろう。


 他に目につく物はなかった。少年たちは更に階下へ進む。


 七階は居住フロアのようだ。ブースの区切りは変わらないが、毛布や寝袋、ぺしゃんこになったタープ式のテントといった寝床の跡があちこちにある。足元にはヌードルの容器が転がり、ドッグフードの空き缶には萎れた待宵草が首を曲げていた。


 そこに生活の痕跡はあったが、住人たちの気配はない。


「おかしいわね……」


 リリィが怪訝そうな顔でつぶやく。六階、五階と続くフロアも同様に人はいなかった。


 似人に襲われたファミリーがキャンプを捨てて逃走したのなら、誰もいないことには納得できる。しかしここには戦闘の痕跡もない。


 オリエたちが戦った似人、レッドキャップはメルベリファミリーの銃を持っていた。


 ならば似人に無条件降伏でもしない限り、交戦の跡がないのはおかしい。


「まるでキャンプの人間だけが神隠しにあったみたい……」


 少年もリリィと同じ意見だった。しかし少年がうなずいてみせても「あんたには聞いてないわよ」と先行く少女はにべもない。


 続く四階、三階も同じだった。ヘイムダルと同じく武器庫や医務室のような部屋もあったが、どこも人が消えたようにいないのは変わらない。


 二人はより一層の警戒を強め、実質の最下層である二階に降りる。


 入り口の二枚扉の前に、封をするようにして巨大なコンクリートの壁が立てかけられていた。少年が苦労して壁をどかすと、扉にも鍵がかかっていた。輪杖を振って鍵を壊し、重い扉を奥へ押し込む。開いた扉の隙間から、リリィと上下に並んで首を突っ込む。


 そこに、地獄があった。


 二階はブースの類が取り払われ、だだっぴろい空間になっていた。メルベリファミリーは人数が多いシェルらしい。元はレクリエーションに使用するフロアだったのだろう。


 その広い空間の中央に、今は似人がひしめいていた。少年が戦ったバーナードの他、未知の似人がおよそ三十体。あちこちにしゃぶり尽くされた人骨が転がり、濡れた硬貨のような血の匂いが、ツンと鼻の奥を刺激する。


 似人がひしめく中央には、裸の男女が横たえられていた。胸にはそれぞれタープテント用の杭が突き立っている。二人には頭部も四肢も腹もない。それらは周囲の似人がもっちゃもっちゃと咀嚼している最中だった。


「あの二人、まさか、メルベリさんと奥さん……?」


 元々白いリリィの顔が、血の気が引いてますます人形に近づいている。


「嘘でしょ……! 二人とも不死勇者なのよ? あんな風に心臓を貫かれたら、夕方に蘇生した瞬間また死んで……」


 リリィが呆然と立ち尽くしていた。


 夕方になると、メルベリ夫婦は自らの体を食われる苦痛で目覚めるのだろう。そうして恐怖と絶望を感じながら再び死に至る。それが永遠に繰り返される。不死の身を持つ不死勇者ゆえに、夫婦は生きながらに地獄を経験する。死ねない我が身を呪いながら――。


 それは死よりも辛い生だ。リリィはもちろん、少年ですら不死勇者の業に愕然とした。


 だから、少年はリリィの頬を張った。


「……った! いきなり何すんのよ!」

「おまえは戦士だ」


 エレベーターの中で少年はそう感じた。リリィは少女ではない。人を守れる戦士だ。


「意味わかんないんだけど!」


 リリィが大振りのビンタで反撃してくる。冷たい手だった。


 少年はリリィの目を見て大きくうなずいた。すぐに輪杖を下段に構え、食事に夢中の似人の群れへ走り出す。背後で「無視すんじゃないわよ!」とリリィが大声で毒づく。


 少年の前に、三十匹からの腹を空かした肉食獣がいた。いかにンヌヴァロのプルシャといえども、考えなしに飛び込めば十秒かからず骨と化すだろう。


 だが、少年は似人の群れに飛び込んでいた。


 弱い個体を探して頭数を減らすこともなく。強い個体を叩いて、周囲の戦意を奪うようなこともせず。背を向け屍肉を貪る似人の首根に、少年は何の考えもなく輪杖の外輪を叩き込んだ。


 ごろり、と肉色の首が落ちる。晩餐の輪の空気が凍る。似人たちの対な白目が、一斉に少年を振り返る。


 しかし、その時既に少年の体は飛んでいた。


 口の周りを血で濡らした白目の似人が、きょとんと少年を見上げている。やにわに顔の中央に亀裂が入り、血と脂肪と脳漿の混ざった体液が、吐瀉物の色で噴出する。


 血振りの代わりに、少年は刃先に食い込んだ似人ごと輪杖を振るった。輪杖が8の字の軌道を描く度、ぎゃッ、ぎゃッと叫び声が上がる。似人の体が細切れになり、あちらこちらに千切れ飛ぶ。


 一騎が当千の如く。万夫が不当の如く。ンヌヴァロの戦士は鬼神と化して、鎧袖一触に敵を蹴散らした。その数八体。


『こちらが考えずに飛び込めば、相手にも考えさせる余裕を与えない』


 それがンヌヴァロの戦い方だった。脅威に襲われた生き物は、本能で行動するしかない。


 グァッ、と怪鳥の如くに叫んだ一体が二階の窓を突き破った。その後に他の似人が続く。


 残った全員で少年を囲めば必勝のはずだった。しかし今の似人たちにはそんな当たり前のことすら考えられない。恐怖は本能を支配する。


 少年は小さな脱出口に殺到する似人に襲いかかった。大立ち回りを小太刀に変えて、逃げる似人のアキレス腱を次々と切断した。その数六本。


 十数匹が窓から外に逃げた。救急車で待つトレのことを思い出す。


「連絡!」


 少年が振り返って叫ぶ。呆然と大量虐殺(ジェノサイド)を見ていたリリィが、逼迫した少年の声でハッと我に返る。同時に行列で逃走の順番を待っていた似人も冷静になった。その数四体。


 冷静な似人の行動は多様だった。二体は自分が銃を持ったレッドキャップであることを思い出し、二体は食べかけの弁当を取りに戻った。


 今度は少年の本能が試される番だった。ンヌヴァロの時代に銃はない。少年は銃との戦い方を知らない。しかし戦乙女のお陰でか、知識としては銃を知っている。


 手近に転がる似人を掴み、少年は肉の盾を構えた。そのままサブマシンガンを構えたレッドキャップに突進する。電話の呼び出し音に似た射撃の音。アキレス健を切られただけの盾の似人が、ビクンビクンと痙攣しながら、体を小さく削られていく。


 少年はレッドキャップに肉の塊となった似人を投げつけた。赤いネクタイを頭に巻いたレッドキャップが怯む。少年は酔客の頭を輪杖にくぐらせる。


 すぽん、とレッドキャップの栓が抜け、赤いシャンパンが天井へ噴き出した。


 同時に、少年の背後でも火が噴いていた。もう一体のレッドキャップが構えたアサルトライフル。その銃口から少年に向け、弾丸がフルオートで撃ち出されていた。


 その音に少年は気づいている。飛来する9ミリ弾を意識している。それでも少年の体は動かない。秒間半キロを進む音速の弾は、人よりも、不死勇者よりも、早い――。


 体にプチプチ穴が開く。腹と背中に痛みが走る。そんなイメージが少年の脳に浮かぶ。


 しかし、実際体に穴を開けて血を噴き出したのは――リリィだった。


 少年の前、黒いドレスを着た少女が、血を撒き散らして弾丸の雨に踊っていた。


「……だからあんたは足手まといなのよ」


 火薬の匂いが漂う方へ、リリィがゆっくり歩いて行く。その体が前に進む度、沸騰した鍋のように、ごぽ、ごぽ、と血が吹きこぼれていく。


 レッドキャップの銃はもうトリガーを引いても発射されなかった。一マガジン三十発の銃弾は、すべてリリィの体の中だった。


 自らが撃ち出した薬莢の上、似人の体がへたりこむ。リリィがどんと腹に跨る。


「おめでとう」


 以前と同じ祝福を言い、血まみれのリリィがヤドリギを振りかぶる。レッドキャップの体が血で染まっていく。初めはリリィの血で。次第に自身の血で――。


 似人に止めを刺し終えて、リリィがゆらりと立ち上がった。


 少年を振り返った少女自慢のゴシックドレスは、穴と血でボロボロになっていた。スズキがリリィに無理をさせない理由が、少年にも少しわかった。


「ありがとう」


 少年は素直に礼を言い、右手を差し出す。


「勘違いすんじゃないわよ」


 リリィはスパンと友好の手を払いのけた。


「あたしはあんたを助けたんじゃない。一人で止めをさすのが面倒だっただけよ」


 言ってふんとアゴで床を指す少女。床で蠢く似人たちの何体かは、既にアキレス腱が再生していた。その数六体。


「あたしは先輩。あんたは後輩。後始末、よろしく」


 少年は小さく鼻を鳴らし、半端に終えた仕事を再開した。


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