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少年

「おはようございます、少年さんっ!」


 台が無くても朝は来る。曇天模様の空の下、今日も新しい日がきちんと始まる。


 毎朝のハナの訪問は、すっかり少年の生活の一部になっていた。死ねない体の少年に、「今日は昨日から連続した一日」だと気づかせてくれる、大切な確認の儀式だ。


「あ、お花しおれちゃいましたね。どうしよう……」


 少年はハナに問いかけの視線を向ける。


「お花のストックがもうないんです。わたしもお母さんみたいに自分で摘みに行ければいいんですけど……」


 ヘイムダルの規則では、昼間でも未成年者の単独行動は禁じられている。少年が同行を願い出ても、『不死勇者でも未成年は未成年』と、メガネ男は頭が固い。もちろん大人たちはそれぞれシェルでの仕事があり、ハナの花摘みに時間を割ける余裕はない。


「しょうがないですよね。生きるためにみんな必死ですから……」


 力なく笑うハナに対し、少年ができることは一つしかなかった。



***



「ハァ? なんであたいがそんなことに付き合わなきゃなんねーんだ」


 他に昼間から暇そうな大人がいないからだという目で赤髪のキムを見る少年。


「すみませんっ! すみませんっ!」


 ハナは散々だった。わけのわからぬまま少年に手を引かれ、顔を真っ赤に、目を白黒にさせたかと思えば、今度はキムの前に座らされ、「説明しろ」とばかりに少年に無言でうなずかれる。挙句、今は涙目になってキムに謝っている。


「おい、ワンダラー。あたいは見ての通り忙しいんだ。人気急上昇のテメェと違って、こっちは稼いでおまんま食ってかなきゃなんねーんだ……お?」


 少年は懐から一万の紙幣を取り出した。キムが布の上に並べた商品から、よりにもよってホッケーマスクを取ると、釣りはいらぬとばかりに一つうなずく。


「わかってるじゃねーか」


 キムはニヤリと笑って少年の手から札を奪った。


「三十分だ。それ以上は、十五分一万の延長料金取るからな」


 ケーザイカツドウも悪くないと思いつつ、少年はハナとキムを連れてキャンプを出た。



***



 見上げた空は今日も灰色の曇に覆われている。


『あたいに任せとけ。花が咲いている場所には心当たりがある』


 そう言ったキムに道案内を任せ、少年はハナと並んで昼でも薄暗い廃墟の街を歩いている。この世界に生まれてから、少年はまともに太陽を見た記憶がなかった。


「街に草花はほとんど残ってねーけど、少し高いところに登るとまだ見かけることがあるんだってよ。トレのおっさんの受け売りだけどなー」


 少年の前を行くキムは、護身用なのか釘打ちしたバットを腰にぶら下げていた。出がけにもスズキから連絡用の端末も借りていたし、赤髪女は存外面倒見がいいのかもしれない。


 ――良い武器は生産者と似た雰囲気を持つ。このククリは癖はあるがいい武器だ。


 そんなことを思いつつ、少年は周囲に警戒を配っていた。輪杖もククリもすぐに振り出せるように手を添えて、用心しながら最後尾を歩く。


 キムが目指しているのは小高い丘にある自然公園の跡地らしかった。


 遠くから見ると茶褐色の地肌が剥きだしのハゲ山だが、坂をゆるゆる登っていると、炭化した木樹の間にたくましく芽吹いた雑草を見かける。


 キムが「こっちだ」と、崩れてボロボロになった公園の石段を登り始める。


 石段の両脇には割れた灯籠と顔の欠けた狛犬が不気味に並んでいた。公園の頂上に併設された神社があるようだ。


「だっ、大丈夫ですかっ? 似人出ませんかっ?」


 ハナはキムの赤いチエックのスカートをつまんで、おろおろと涙目になっている。


「案外すぐ後ろにいたりしてな」


 キムがニヤリと笑って振り返る。


「うおっ! こんなところに似人《仏頂面(フェイスレス)》がっ!」

「きゃーっ! きゃーっ! ……って、少年さんじゃないですかっ! 少年さんも何ノリノリでガオーってしてるんですかっ!」


 そうしなければならない気がした。


「まあ実際似人が出たら、こいつがなんとかしてくれんだろ。最近厄介な変種も倒したっつーし、テメェはあのチビ女どもより強ぇんだろ?」


 少年が大きくうなずくと、ハナが「変種?」と首を傾げた。


「そういう似人がいるんだってよ。他であんま見かけないレアなヤツ。なんつったけな。アルタイルだか、アルカポネだかの、背中に植物の生えたキメェヤツ」


 キムが言った瞬間、石段を上るハナの動きがピタリと止まった。


「少年さん、あの時の似人、倒したんですか……?」


 振り返ったハナの瞳に光がない。口が呆けたように小さく開いている。


 少年がこの世界に生まれ変わった日、ハナは似人アルラウネに連れ去られようとしていた。おそらくはその時の恐怖を思い出したのだろう。


 少年はハナの眼を見て力強くうなずいた。もう大丈夫だと安心させるように。


「そう、ですか……っ。お、おめでとう、ござい、ますっ……」


 ハナの声は震えていた。虚ろな瞳の中で瞳孔が縮小している。少年が心配の視線を向けると、「なんでもないですっ」とハナは石段を駆け上がっていった。


 キムを見るとさあねと肩をすくめている。


 あまり離れるのはまずい。少年も急いで後を追おうとした時、石段上の鳥居の向こうからハナの叫び声が聞こえた。


 少年は石段を数段抜かしで駆け上がる。鳥居をくぐり、ハナの名を呼び境内を見回す。


 神社の跡地には静謐な雰囲気があった。木造の本殿や拝殿は崩れ落ちているが、石造りの手水舎などは焼けずに残っている。


 そんな神聖な場所の名残、半ば枯れかけた池の前にハナの後ろ姿を見つけ、少年はほっと鼻から息を吐いた。


「少年さん、これスイセンです。すごい……! わたし、初めて見ました」


 池の周りにわずかに数本、白い花冠に黄色く咲いた二重の花が伸びていた。その凛とした咲き様には、色こそ違うが決して手折れぬシギネの如くの勇ましさを感じる。


「せっかく連れてきてもらったけど、これは……摘めません。少年さん、もう少しだけここで見ていてもいいですか?」


 遠慮するなと、少年はハナの頭をごしごし撫でてやる。


 振り返ってキムを探すと、赤髪女は焼けた拝殿の階段に座って少年にひらひら手を振っていた。少年はキムの隣に腰を下ろす。


「あたいにゃ花の良さなんてわかんねーけどさ。あのガキが『摘めない』って言った理由はわかるぞ。花瓶の中で人を和ませる花もある。でも池のほとりでしか咲けない花ってのもあるんだろ、きっと」


 池の畔のハナを見て、キムがわずかに目を細める。


「あたいもさ、ヘイムダルに来るまではあちこちのシェルを転々としてたんだ。人を蹴落とすようなひどいこともしたし、目の前で死ぬ人間もたくさん見てきた」


 少年は黙ってキムの話に耳を傾ける。


「ヘイムダルに来たのはほんと偶然でさ。スズキに拾われたんだけど、あいつ、頭固い割に結構話せるやつなんだよ。トラブルにならない程度なら、夜の商売もギャンブルもやっていいって言ったんだ。ま、あたいを買ってくれる物好きなんて、ここにはトレのおっさんくらいしかいなかったけどな」


 しかしそのおかげでキムは武器作りに目覚めたと言い、少年を見てニヤリと笑った。


「なあワンダラー。それ、ちょっと見せてくれよ」


 キムが少年の背負った赤い輪杖に指をさす。


 境内は見晴らしがいい。ここでなら警戒を緩めても問題ないと、少年は首抜き輪杖を狛犬の台座に立てかけた。


「うお、重いな。どれどれ……」


 キムがレンズが片方しかないサングラスのような物を耳にかけ、輪杖に顔を近づける。


「うーん、刃の先端……持ち手にも微細な針がついてるな。電極……いや、薬品か? あー……ダメだわかんねー。今のあたいにゃ手に負えないわ」


 サンキュと、キムが片面サングラスをしまう。


「それ、オリエ姐さんの作った『ユニーク・ギア』ってやつだろ?」


 少年が黙っていると、キムがニヤリと頬を歪めて笑った。


「別に隠さなくたっていいぞ。あたいだって似人とやりあったことくらいある。ツルハシでこめかみをぶん殴ってやったけど、脳みそこぼしてギャーギャーわめいてるくせに、すぐに穴が塞がりやがった。そん時わかったよ。普通の武器じゃ――あたいらみたいな普通の人間じゃ、似人には絶対勝てないってさ」


 赤い前髪の下の目が、遠くのハナの背中を愛おしげに見ている。


「ただ、あたいにしかできないことだってある。まあ今はないけどさ。そのうちトレのおっさんやオリエ姐さんの助手になれたらいいと思う。つまりだ。テメェにも、あたいにも、あのガキにも。みんなあのスイセンの花みたいな咲くべき場所があるってこった。せいぜいヘイムダルを守ってみんなを咲かせてくれよ、ワンダラー」


 わずかに赤い頬のキムを見て、少年は昨夜見た光景を思い出していた。



***



 昨日の晩、少年は寝付けなかった。


 ならばと先日のように外で運動しようとすると、スズキの姿が見当たらなかった。許可が貰えずやむなく屋上に出たところ、隣のビルの屋上にホタルのような小さい光が見えた。


 よく見ると、闇の中にキムとトレと思しき二人が、屋上のフェンスに背中を預けて寄り添っている。二人の間を赤い灯が往復していた。立ち上る煙が風に流れ、少年は懐かしく香ばしい匂いを嗅ぐ。二人の会話が聞こえてきた。


「テメェのあとは湿ってる。よだれでべちょべちょだ」

「うるせえアバズレ。マーケットの戦利品を吸わせてもらえるだけありがたいと思え」

「だったら自分で戦って取ってくりゃいいだろ。ほんとはテメェの足がもう動くってことはみんな知ってんだよ」


 隣のビルの少年にも、トレの動揺した気配が伝わった。


「あたいらは普通の人間だ。死ぬのなんて誰だってこえー。でもな、あたいにテメェの筋肉があったら戦うぞ。こえーことからガキどもを守ってやる」

「……俺にはヘイムダルで仕事がある。俺がいるからオリエや大将が外に出られるんだ」

「だったらなんでテメェはあたいに技術(ワザ)を教えるんだ?」

「それはおまえの手に職をつけてやろうという親心――」

「嘘つけ。テメェ自身の居場所をなくしたいからだろうが。テメェは一度似人にやられてビビってる。けど本当は戦いたいんだろ? だったら戦えよ。ワンダラーの足手まといでもなんでもよ。自分を追い込むのにあたいを利用すんじゃねーよ!」


 キムが立ち上がり、厚底の靴でトレの背中を思い切り蹴った。トレが大げさに呻く。


「あたいは居場所をくれたスズキ以上にテメェに感謝してんだよ。テメェはあたいに生きる意味を教えてくれた。でも、今のあたいにはこうしてテメェの背中を押してやるくらいしか恩返しできねーんだ」

「バカ野郎! 足で押すんじゃねぇアバズレ!」

「うるせえ! 毎回毎回金だけ置いて行きやがって! 一度くらいあたいを抱いてみろ、このチキン野郎!」


 話の内容はともかく、そこには花が咲いていた。少年は屋上を去り、自室でドタバタと体を動かした。そうして隣室のリリィに「殺してやる」と怒鳴り込まれた――。



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